第18日目 5月6日 K7091次に乗って满洲里へ
ハルピン東20:15(K7091次)→10:00满洲里 954キロ 13時間45分
小竹先生はじめNSさん、MIさん、STさんは早朝にハルピン空港に向かわれました。朝食をご一緒に出来たのは、明日の瀋陽から帰国されるO氏と、大連でゆっくりしてから帰国されるTHさんの二人でした。
今日からいつもの一人旅がまた始まります。最初に向かうは、ロシア国境の町「满洲里」です。前回の44日間の旅では、あじあ号の展望車を求めて「黒河」に参りました。同じ国境の町ですが、黒河では鉄路が切れていましたが、满洲里では中国側1,435mmに対して、ロシア側は1,524mmとゲージ幅が違っていますが、国際列車では台車交換をすることで車両は相互乗入をしていますので、一応つながってはいます。
乗車は、夜で十分な時間があります。樺南ではホテルの部屋にインターネット接続がありませんでしたので、投稿及びハルピンに戻って以降の行程が決められませんでした。(出来ていても、連日飲み続けていましたので、部屋入り即爆睡でしたので無理でした。)
朝から部屋で、鉄路の残席情報を見ながら、今からでも購入できる切符を探します。出来れば、满洲里と反対東側の国境へ行ってみたいです。绥芬河と図们をノミネートしましたが、両方を行くとなると接続が難しく、日程オーバーとなりましたので諦め、北朝鮮国境の図们にしました。O氏とTHさんを見送った後一人部屋で、滞っているHP投稿のための画像処理に専念していますと、コンコンとドアをノックする音が聞こえます。開けますと、王さんが空港までの見送りを終えて戻ってこられていました。
ハルピン駅外の售票処(切符売場) を確認させていただきました。帰路にはお住いのある長春に立ち寄りますと申しますと、発電所に蒸気機関車が走っているので案内できます。是非名物の犬鍋もご馳走したいと嬉しいお話もいただきました。チェックアウト時間も午後2時までに延長してくださいました。
今日は小雨がぱらつくあいにくの天気です。ハルピン駅発着を撮りたかったのですが、諦めて投稿準備に専念しましたが、ノートPCでは処理作業が遅く午後2時近くになっても進みません。
仕方ありません、際丰假日酒店をチェックアウトして、教えてもらった售票処のある駅前の天竹賓館に行きました。切符を買って昼食後には、4時間の休憩チュックインをして続けました。中国のホテルでは、昼間の部屋利用が一泊の半額程度で可能ですので便利です。
▲ 切符は、ハルピンから吉林、乗り継いで図们へ、帰路は長春までの3枚購入です。どうして乗り継ぐのかといいますと、パルピンから図们へ直通の2636次の切符が売切れだったからです。1本しかないので、繁忙期でなくとも難しいようです。
切符を買った天竹賓館の1階には餃子専門店が入っています。ハルピンの餃子は、上海の小籠包のようにジュウシーなスープが入っていますので、大好きです。
▲ ホテルの部屋から見たハルピン駅です。下のバス停からハルピン東駅へと向かう6路バスが出ていました。
▲ 投稿を終えてからバスに乗り、O氏が時間を持て余しそうだから、違った駅からの乗車も良いのではとお薦められた東駅へと向かいました。
駅前のバス停を教えてもらった餃子屋のお姉さんは、約40分はかかるよと言っていましたが、30分弱で到着しました。ハルピン駅と違って華やかさは全くありません。暗くぬかるむ広場の閑散とした中にありました。駅前食堂も閑散としていましたが、注文した麺(6元=約80円)は中々美味しかったです。
▲ 始発駅ですが、一般には乗降客の少ない東駅の原名は三棵樹駅といい、1932年満州国建国後の1934年に竣工されました。正面右に狭いながらも軟座待合室もありましたが、入って直ぐに改札が始まりました。
▲ ハルピン東~满洲里を最速で結ぶK7091次の軟座寝台車は、東ドイツ製のRW24です。定員は32人とゆったりしています。室内に置かれたパンフレットには珍しく時刻表がはさんでありました。樺南での飲み疲れが出ましたので、乗車直ぐに睡眠に入りました。
第19日目 5月7日 K7091次に乗って满洲里へ
▲ 終着满洲里までまだ5時間もありますが、朝5時前に起き上がりました。川の氷はようやく溶け出したようです。
12:43、海拉尓(ハイラル) に早着です。高速鉄道同様に急ピッチで進む駅リニューアル化の真っ最中でした。
▲ 9:55、定刻より5分早く满洲里駅1番ホームに降り立ちました。寒いと思っていましたが、外はハルピンと変わらずの春の気候です。先ずは售票処に行って、長春からの切符購入です。窓口の掲示を見ますと、满洲里駅では、5月5日からの実名制入り切符の発売開始? と、なっています。え~どうして、今年1月からのオンライン化と同時に名制入り切符に徹底されたはずと思っていましたが、ここでは違っています。と、言う事は小さなローカル駅ではもっと遅れていると思われます。
▲ 1900年4月、ロシアは中国東北部に進駐し東清鉄路の建設を始めました。1901年に第一番目に誕生した駅が、「满洲駅」でした。ロシア語の発音が「里」を末尾に含んでいたので、中国語では满洲里駅となった次第です。
左は、開業当初の駅です。
▲ 列車の食堂が6:30に営業開始すると乗務員が言っていましたので楽しみにしていましたが、無座客に占領され、営業はありませんでした。满洲里で切符購入後に駅前食堂に行きましたら、大好きな羊肉水餃子がありました。右下は、宿泊した秀山国際商務休閑会館です。
前回の経験から長い旅の途中では、一日ゆっくり出来る休息日をつくった方がよいと思いました。满洲里には、国境を見たかったのと、休息日のために4日間の滞在にしています。ホテルは、当初Agodaで駅に近いホテルを予約決済したのですが、直前に部屋が取れませんでした代替案はここですと照会がありました。直前ですので他を探す時間もなく、泣く泣く紹介されたホテルにしましたが遠い遠い、街から離れていました。部屋は広くて良かったのですが、なぜか外温20℃なのに室内温度は30℃を超えています。クーラーはまだ稼動していませんので、Tシャツ姿のリゾート気分でした。
1階の大浴場・サウナが無料で入れると説明があり、国境から帰った後に行ってみましたが、垢すりやマッサージを強要されます。ゆっくり出来ずで、逃げて来ました。おまけに、ドアをノックして、今度は悩殺的な格好をしたロシア人のお姉さんがマッサージをしましょうと言って部屋に入ろうとします。2日連続して来ました。勿論、お断りしましたが、これが国境の町のホテルなのですかね。
▲ 来る時にTaxiの窓から思わずシャッターを切った街行く、お姉さんかな? それとも・・・。 昼間なのにすごいファッションです。これも国境の町だからなのでしょうかね
ロシア語で書かれた看板が多くて、ロシアの町に来たのかと思ってしまう满洲里でした。
チュックイン後、待たせてあったTaxiに乗って国境に向かいました。 Part16 へ続く