2012年 春の中国鉄路の旅       Part17  ロシア国境の町、满洲里(満州里)その3と、扎赉诺尔(ジャライノール)

第20日目 5月8日  满洲里2日目 ジャライノール(扎赉诺尔)へ

2009年9月に露天掘り炭鉱が閉鎖されて1904年からの歴史を閉じたジャライノール露天掘り炭鉱には、数10両もの蒸気機関車が活躍しました。樺南林鉄訪問後に满洲里に向かうとO氏に言いますと、まだ 地上部分には走っているはずですと、詳しい地図を描いてくださいました。今日はこれを持って、蒸気機関車を追いかけるつもりです。


▲ 8:30、運転手君ホテルのロビーでお待ちでした。满洲里から ジャライノールまでは約30キロです。街中を通過、一直線に向かいます。
9:07 ジャライノール西駅に到着、始めて見ましたがローカルにしては大きな駅です。售票処は2つの窓口が開いていましたが、営業時間は決まっているようです。丁度、海拉尔行きの4188次の改札が始まりました。


▲ 9:27、運転手君次は任せてと、路地を抜けると鉄路が見えました。今度はコンクリート枕木の柵ですが、またも隙間まで連れて行ってくれます。中に入りますと直ぐに4188次が、警笛を鳴らしてやって来ました。13両編成です。先を見ると、線路を跨ぐ跨線橋が見えました。撮るなら、ここでも良かったですね。
発電所へ行きたいと申しますと、鉄路との道口(踏切)へと連れて行きました。O氏が蒸気機関車が走行してだろうと言われた発電所への路線でしたが、牽引して来たのは、新しいDLでした。


▲ 9:45、蒸気機関車を撮るのは難しいかもと、炭鉱記念公園に参りました。
ここからは、ジャライノール露天鉱が一望できます。1900年代にロシア東進により採炭が始まりました。石碑には、「1938年日本占領により露天鉱の本格的は掘削が開始され、石炭資源を略奪した。その後、地下が水没して掘削は停止した。1960年5月、掘削は再開されて・・・。」 と、記載されています。100年近くの歴史を持っていますが、途中採炭が停止していた時期があったようです。
詳しくお知りになりたい方は、左の写真をクリックしてください。但し、中文です。



▲ 眺めていますと、露天鉱左上彼方に動く煙が見えます。蒸気機関車に違いないと、車を走らせましたが途中で見失いました。すると運転手君分かったと、道を代えて凸凹道を進みます。
10:20、いました、5両のお皿貨車を牽引して止まっていました。珍しいデフ付きの上遊型SY1618号機です。3人の機関士たちは、降りて賭けトランプを始めています。運転手君は友人だと言います。機関車に乗っても良いよと申しますので、上がらせていただきました。年季は入っていますが、よく整備された運転台でした。
走行写真を撮りたいので、次はいつ走るのかを聞きましたら、連絡待ちだが当分は休憩だとの返答です。まだ見たい所もありますので、後にしました。


▲ 10:45、ジャライノール駅に来ました。構内には、ロシアからの木材を積んだ貨車が並びます。ヤードは広いですが、ホームは1本だけで、駅舎は列車が発着するまで閉まっていました。


▲ 浜洲線(哈尔滨~满洲里)の列車をもう少し撮ってみたいので、ジャライノール市内を出て、哈尔滨寄りに進みますと丁度いい所に道路高架橋がありましたので上がってみました。地平線をバックに来る列車を狙ったのですが、この日はあいにくと霞んでいて見えません。
11:27、海拉尔(ハイラル)発满洲里行きの4185次17両編成が来ました。牽引はDF4D-0364です。


▲ 11:52、反対側から满洲里発丹東行きの2690次14両編成がやって来ました。霞んでいますが、後方はジャライノールの市内です。
▲ 高架橋下には、1軒の建物がありました。かつてあった踏切番小屋です。冬には、零下30℃以下にもなるこの地です。寒さ対策のためにしっかりとした小屋になっています。

撮影後は、昼食を食べにジャライノール市内に戻りました。食堂に入る前にもし何人かと聞かれても日本人とは言わないで欲しい。韓国人と言うように忠告されました。それほど反日感情の強い所とは思えませんが、現地人の言うことですから一応忠告は守りました。
運転手君、食事後次はどこに行くかと尋ねてから、「当初の予定外の場所を走ってきたので、料金(350元=約4,600円)の割り増しをして欲しい。」と申し出ます。17時までチャーターしていますが、走り回ると細かい場所の指定はしていませんでした。値切っていたので、ちょっと可哀想かなと了解しましたが、その後 「町から遠いが鉄北炭鉱と言う所に10台前後の蒸気機関車がまだ走っている。行って見ますか?」 と、とんでもない事を言い出しました。O氏からはこんな事は聞いていません。もうジャライノールでは、さっき見た場所以外には、蒸気機関車は走っていないと返答しましたが、運転手君は自信たっぷりです。しかし、突然に蒸気機関車が復活して走行する事があるのも、たまに聞く話です。本当かなと疑心暗鬼ですが、まあ騙されたと思って案内するように言いました。

13:20町から約30分弱で鉄北炭鉱に着きました。立派な広い炭鉱です。蒸気機関車がいても不思議ではありませんが、運転手くんが門番と入場交渉している間、外の引込み線からDLが単機で走って行くのが見えました。期待感は消えました。

門番との交渉が終って運転手君戻ってきましたが、やはり現在は炭鉱内では走っていなかったと言います。じゃあ蒸気機関車のいた場所に戻りたいと申しますと、ちょっと待ってと言って、炭鉱から出てきた人に何やら聞いています。
そして、「蒸気機関車が50台ほど置いてある場所がある。ただ軍管理区なので入れるかは分からないが行ってみるか?」 と、問います。ここまで来ましたので、ダメもとで見てみるかと炭鉱から出てきた人を案内人にして向かいました。
13:35、荒野を走って着いた所には、確かに廃車された蒸気機関車が無数にあるのが見えました。
運転手君は事務所に頼んでくると言って途中で買ってあったタバコを持って行きましたが、そのまま帰って来ました。「300元(約4,000円)要求された。どうしますか?」です。高額です。外から見ているだけでも良いかなと一瞬思いましたが、ここまで来たら後には引けない気弱な性格です。断りきれず渡しました。
入場後は、「日本人と分からないように、この場所や
入場した事は言わないように、軍施設は撮らないように、見学は1時間まで。」 と、注意事項を申しますが、帰国後撮影した写真のGPSを見ますと、グーグルアースには、はっきりと場所が出ていました。これでは何も隠す必要はありませんね。

▲ グーグルアースの衛星写真です。拡大していただきますとお分かりのように50台ほどの蒸気機関車やジャライノール露天鉱で使用された車両がはっきりと見えます。

▲ 放置してあった廃車群です。数は数えていませんが、50台はあったかも、300元も出したので何かお宝写真でも撮れるのかと期待しましたが、何もありません。全くの無駄金でしたが、香典代と思って割り切る事にしました。

次はどこに行くと言われましたので、O氏作成の手書き地図を見せながら、国鉄線をくぐって行く露天鉱とは反対側の炭鉱を指先ましたが、連れて行かれたのは、满洲里駅に近い切り通し上にある道路橋でした。途中で睡魔が襲ってしまったので気がつきませんでした。仕方ありません。降りて列車が来るのを待ちました。
※ 帰国後に現地では見られなかった鉄北炭鉱が、指示した炭鉱と分かりました。道理で運転手君が既に行ったと言った事が理解できました。(中国現地では、炭鉱や鉄鋼所等の生産現場の衛星写真は、百度地図は勿論、グーグルアースでも隠しが入れてあって見ることができません。)

▲  15:58、满洲里方向から、北京圣由で内モンゴルの呼和浩特(フフホト)に向かうK278次(13両編成)がやって来ました。满洲里も同じ内モングルです。この列車は、U字型に回って再び内モンゴルに戻ります。2,532キロを41時間4分(2泊3日)をかけて走る中国鉄路でも乗車時間の長い列車の一つです。

次はどこへと問いかけがありましたが、今からジャライノールに戻ってもチャーター時間をオーバーします。この国では、Taxiは2交代制が多いので、運転手交代時間の午後5時になりますとこちらが降りなければなりません。今日は初めての訪問でしたので失敗もあり、多くを望むのは無理です。諦めて、ホテルに戻ることにしました。

▲ ジャライノールの地図は現地では見られないだろうと思い、日本で見て頭の中には入れておいたつもりでしたが、広大な大地の前では真っ白けになりまして、どこがどこやらさっぱりと分かりません。印刷して持っていけばと思っても後の祭りです。
また行く機会があれば、同じ過ちを犯さないように気をつけようと思った一日でした。    Part18  へ続く

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