第11・12日目 11月22日、23日
11月21日 鸡西21:00(K7038次) →翌日5:58哈尔滨
11月23日 哈尔滨7:40(K7131次)→10:58綏棱
▲ 夕陽が紅く染まる零下15℃の世界、我々二人だけのために長い眠りから覚めて息を吹き返したC2型蒸気機関車は、吹き上がるドレインの中で雲上にいるようにも見えました。この日は、明日走り出すためのリハビリに深夜2時まで作業が続いたそうです。
今回の綏棱森林鉄路訪問は、ボンネットバス界の巨匠として知られる丸谷洋一氏からのお誘いを受けて同行させていただくことができました。丸谷氏は、ボンネットバスについてのみならずナローゲージにも、はまってしまわれたそうで、この綏棱も何回目かの訪問だそうです。
お知り合いになった切っ掛けは、今年4月に「デジタル青信号」に掲載させていただきました中国北台製鉄の記事でした。これをご覧になり、ご自身も行ってみたい撮りたいとバス仲間の当会員の藤本哲男先輩から紹介を受けられて連絡してこられたのが縁でした。
DRFC-OB会には、現在、準特急先輩の他には大津の86さんと私の3名ぐらいしか熱心な海外鉄ちゃんがおられません。最近では、 「デジタル青信号」を通じて、また旅先でお会いしてお付き合いさせていただいている方々が多くなりました。勤務していた頃は、長期の休暇を必要とする海外鉄は、業務また生活面からも中々行けませんでした。時間だけが融通が効くようになって一度はまってしまうと、今まで実際に見ることのなかった光景や体験は、国内とは比べようもない刺激性に富んでいて止められなくなってしまっています。また老いる共に訪れる認知症対策には、趣味と実益を兼ねての特効薬にもなりますので、老朽化を感じるようになられましたら、是非とも早くに飛び込んでこられるようにお奨めさせていただきます。
渡航費は、国内と比べると高くなりますが、最近はLCCも増えてきて安く行けるようになりました。滞在費用は、国内と比べるとぐんと安く、東南アジア方面だと国内の1/2~1/5程度で済みますので、国内よりもずっと安くつきます。何より、同業者で溢れる幻滅感はありませんので、ゆっくりとマイペースで乗り鉄、撮り鉄を楽しめるのは大きな魅力です。言葉の壁は、身振り手振りで、勇気一つあれば乗り越えられます。皆様方、身体の動ける間に思い切って海外へ出てみませんか。たくさんの発見は自分を見直すことにもつながります。
▲ 鸡西から綏棱への直通列車はありません。一旦、哈尔滨に戻り、新潟から来られる丸谷氏と宿泊する旧ヤマトホテル(龍門貴賓楼酒店)でお待ちして合流することにしました。
▲ 前回も乗車しましたK7076次は、鸡西~哈尔滨の549キロを8時間58分で走破します。利用者も多く軟座寝台車は2両連結されています。
哈尔滨には、夜明け前の到着です。駅前のいつもの餃子屋で中国一美味しい水餃子を食べてからチャックインしました。口に入れた瞬間にこぼれ出るスープが絶品です。
▲ 宿泊した龍門貴賓楼酒店は、1903年に哈尔滨初の豪華ホテルとしてロシアにより建設されました。1935年に満州国に譲渡、リニューアルされてヤマトホテルとなりました。満洲の大連、奉天、新京にあったヤマトホテルに宿泊していますが、最も気に入っています。宿泊料は、1室428元(約5,600円)ですから、日本では考えられない安さです。
部屋に置いてあった缶詰ですが、見れば分かる火災等の煙発生時に身を守る空気マスクです。初めて見ましたが、これは日本でも義務付けてもらいたい緊急グッツですね。ビックリしました。
哈尔滨は何回も来ていますので、周辺を散歩した後は深夜便で来られる丸谷氏を部屋でゆっくりと旅の疲れを取りながら待ちました。
第12日目 11月23日 綏棱森林鉄路
名門ホテルでの美味しい朝食を食べてから7:40発の列車で綏棱を目指しました。綏棱までは188キロ、約3時間の乗車です。この列車は海倫までの短区間列車で硬座車のみの編成です。
綏棱チャーターは明日なのですが、今日は編成する車両の確認と打合せのために1日早く参りました。丸谷氏は、高校の先生だけあって、さすがに予習は万全です。
▲ 10:58、かつての東清鉄路時代の面影の残る駅舎を見ながら綏棱に到着しました。
▲ 今回の案内人は地元哈尔滨から趙志孚さんと、綏棱の運転手は邱保平さんです。今回は、チャーターをしますので、言葉の行き違いがあってはいけないと丸谷氏の方で手配をしていただきました。
▲ 11:33、待っていたチャーターTaxiに乗車して綏棱森林鉄路の綏棱站に到着しますと、既に伐採した運材列車も到着していました。運材列車は、伐採した原木を滑らせて降ろすために、山に雪が積もる11月下旬から雪解けまでの間のみに運行されています。
そして、機関区を見ますと可愛いDLたちの中に1両黒い塊が白い息を吐いているのが見えました。明日走る準備のために車庫から出されたC2型蒸気機関車は、長い眠りから覚めて、既に火入れを終っていました。
▲ 輝くばかりに塗装され磨かれたC2型機関車は初めて見ましたが、傾いているようにも見えます。
▲ こちらはナロー用のDL、牡丹江軍団です。4両が稼動状態、1両が廃車放置でした。全体で何両在籍しているのか聞くのを忘れました。年末にもまた行きますので、性能等も合わせて聞いておきます。
▲ 客車軍団です。①はかつて寝台車だったそうですが、今は座席車に改造されています。②は、座席車、③は、食堂車兼リビングカーです。①は、走行できる状態ではなく、②と③をチャーター連結することにしました。
▲ 連結車選びの最後は貨車です。タンク車があるのにはビックリさせられました。
▲ そろそろヤードに戻ろうとしますと、廃車放置されている客車がありました。中は個人の物置として使われていました。お断りを入れて撮らせていただきました。
▲ 12:28、機関区、客車・貨車区の視察を終えてヤードの駅に戻りますと、牡丹江DLが別のタンク車を牽引して来ました。これも何に使用しているのでしょうね。
▲ これが森林鉄道の客扱いの駅ホームです。建物は林業局の運輸部になっていました。
▲ ヤードでは、運材車の振り分け作業が行われています。橋がありましたが、中国鉄路で見かけるPCコンクリート橋ではなく、珍しい鉄橋でした。
13:30、夢中で撮っている間に林業局広報担当者の方との打ち合わせ時間になりました。列車の編成、時間、撮影希望場所等を申し出て了解と、準備を確認しました。既に何回も来られている丸谷さんがおられますので、スムーズに打ち合わせが進行できました。感謝、感謝です。
▲ 14:25、昼飯時間ですが、天気も良いので抜いて撮影続行にしました。機関区に行くとC2型蒸気機関車からの蒸気をもらってDLの部品の油落としをされています。大きな気化器が詰まってしまっているようで、修理です。
▲ 14:37、走り出せそうでしたので、SLの試走をお願いしました。既に零下12℃にまで下がっていましたので、ドレインの吹き上げはものすごく、中々です。
▲ ヤード内には転車台もありましたが、C2型蒸気機関車を乗せるのには小さすぎるようです。デルタ線を使って機回しを行うそうです。
▲ 車庫に入っていたクレーン作業車を出してもらいました。
▲ 15:13、丁度もう1台も作業を終えて機関区に帰ってきました。
▲ 15:45、零下14℃まで下がってきました。クレーン車も車庫に入りましたが、丸谷氏は手袋もせずにカメラを持って機関区を走り回ってシャッターを切っておられます。私にはとてもできません。凍傷にならないのかと心配になり聞きますと、「新潟の人間ですから慣れています。」と、申されます。
地元の案内人の趙志孚さえ、その活力に驚いていました。夕日も沈みさらに冷えて、じっとはしておられなくなってきましたので、そろそろ引き揚げませんかと、泣きを入れて今日の撮影を終了してもらいました。
お昼抜きでしたので、お腹もペコペコです。夕食は勿論、東北羊肉のしゃぶしゃぶです。たらふく食べて飲みました。
こんなに美味しいのにどうして日本にはないのでしょうかね。
北京の火鍋とは違って、冷凍物ではなく生肉で、安くて美味くて絶品です。
明日は、早朝7時に機関区に来て、出発準備からを撮影開始です。
宿の綏林賓館は、床暖房があって非常に快適でした。明日に備えて早めに就寝しました。 Part10へ続く
ぶんしゅう様
毎回の刺激的な紀行楽しみにしております。
光栄にも準特急様と並べて熱心な海外鉄と書いていただきましたが、今のところ年に2回がやっとのぶらぶら歩き的な旅行で、他の方と比べお恥ずかしいしだいです。
それでも、書かれているように、新しい経験と刺激は海外ならではのものがあり、いろんなハプニングはあるものの、帰るとすぐに次が行きたくなってくるのが、海外の魅力でしょうか。
ぶんしゅう様のハードな旅程についていけるかの不安はありますが、機会ありましたらぜひ一度ご一緒させてください。
大津の86さま、コメントをいただきまして、ありがとうございます。
今年は、海外鉄ファンの方々からのお誘いをたくさんいただきました。老人になってきますと、お誘いを受けるうちは、まだ花だと喜んで参加をさせていただいております。
社会で働き、色々な人生経験をされたユニークな方々が多く、お会いできるのも楽しみです。鉄以外にも教わることが多く、この年になっても人生勉強をさせていただいております。タイから帰ってきたばかりですが、後4日でまた大地への旅に出ます。また長い旅になりそうです。
今回はお誘いするには、時間がありませんが、次回は3月にマレーシアのSL撮影ツアーを企画しています。ご紹介をさせていただきますので、ご検討してみてください。