写真展 ちょっといい話 写真が被災地へ里帰り

烏丸御池駅ギャラリーでクローバー会写真展「東北の鉄道」を行ったのは、震災1年後の2012年2月のことだった。tsurukameさんのお蔭で展示写真も本ホームページで閲覧できるようになったが、そのうちの3点が、撮影された町に里帰りし、被災地の復興のお役に立つこととなった。

いまも被災地への思いやり・支援を欠かさない“山科の人間国宝”から電話があったのは9月末だった。奥さまが支援活動を通じた知人を訪ねて岩手県大槌町へ行かれると言う。その際に、前記の写真展に人間国宝が出展された、大槌川を渡るC58貨物の写真を持参されると言う。

その電話で、ハッと思い付いたのが、私も大槌駅の写真を出展していること、またI原さんも同様に大槌の写真を出品しており、“もう要らん”と言うことで私が預かっていたことだった。“この2枚も加えてください”と即答となった。

奥さまは夜行バスで大槌入りをされた。写真3枚を持っての夜行は、少々辛い旅だったかもしれないが、大歓迎が待ち受けていた。最初の考えでは、ごく内輪2013大船渡 027syに写真を渡すだけだったが、知り合いの方の機転で、受け取り場所が町役場になった。わざわざ京都から人間国宝の鉄道写真を携えて来訪される、の報は街じゅうに広がった。町役場には、町の広報担当、地元の岩手日報の記者、災害FMなどの取材陣が待ち構えた。

写真の贈呈は町長も出席して行われ、参加者は鉄道が走っていた時代の大槌に思いを寄せていた。左から、碇川豊大槌町長、人間国宝の奥さま、妹さま(許可を得て掲載)

そして、町議会の直前のあわただしいなか、大槌町長までが参加のもと、贈呈式が行われた。3点の写真が、どよめきのなかで披露され、町長から感謝の言葉が述べられたと言う。その後、3点の写真は、大槌町のホームページにも紹介された。

↓  山田線を走るSLの雄姿、鉄道マニアが大槌町に寄贈

http://www.town.otsuchi.iwate.jp/docs/2013101600053/

町長からは、三人三様のカメラアイがよかった、と言われた。町全体が見える風景、ホームの人の動き、大槌川鉄橋も、参加者全員から当時を懐かしい記憶がよみがえったとの声があった。FMの女子アナは、駅のホームに格別の思い出があったそうな。町長からは、鉄道復興を町は強く望んでいる、その後押しに写真を使わせて欲しいとの申し入れもあった。

奥さまは、そのあと、南リアス線に乗ったり、大船渡線のBRTにも短距離だが何回も乗られた。しかし、車窓から見える風景は、復興まだ手付かずといったところと結んでおられた。

この写真は、大槌の街を、当たり前のように鉄道が走り、人と貨物が、日常的に行き来していた時代だ。いま、大槌を走る山田線は不通のままで、復興の端緒は見えない、たいへん厳しい状況が続いている。鉄道が走っていた時代の大槌がもう一度来るように、その一助となれば、これほど嬉しいことはない。このような機会を作っていただいた人間国宝には、厚く御礼申し上げる。

2013大船渡 025sy

橋脚だけが残る大槌川鉄橋の現況。鉄道時代の写真と対比してほしい

2013大船渡 042sy大槌駅の跡の現況。鉄道時代と対比しても、対比できるものは何も残っていない。駅舎の基部だけがあった。(いずれも山科の人間国宝の奥さまより提供)

 写真展 ちょっといい話 写真が被災地へ里帰り」への1件のフィードバック

  1. 同志社大学鉄道同好会の目的に「鉄道趣味を通じて社会に貢献し人類平和を求めること」とか大げさななことが書かれていたように記憶します。それはさておき大槌町長をはじめ大槌町の皆さんに人間国宝他2名が提供した現地のかつての鉄道風景を喜んでいただけるとは大変うれしいことであります。何れにしましても江若OBや大津市民の皆さんに喜んでいただいた西村雅幸さんのジオラマといい、今回の大槌の話といい当会の活動も捨てたものではないと思いました。2013年度の表彰ものですね。

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