2009年 北の大地へ Part12 富良野線 根室本線 日高本線

第9日目 10月30日

道の駅『うたしないチロルの湯』美瑛11:00→11:25美馬牛11:30上富良野16:20→17:15芦別18:30→19:00道の駅『うたしないチロルの湯』

昨夜は、早く寝付きましたので、夜明け前には、起きました。今日も天気がすぐれない予報でしたので、夕張辺りを目指すつもりではありましたが、空を見上げると、雲の流れが速くなっています。北海道に入ってより、天気予報には、敏感になっていますが、ことごとく外れています。
こういう時は、地元の人に聞く方が、間違いありません。丁度、犬を連れて散歩に来られた方に聞いてみますと、『もう少し様子を見ないと、はっきりと、分らないが、雨は降りそうにないだろう。好天になる可能性は高い。』と言われました。中学校の先生をしておられる方でしたので、石炭最盛期だった頃の話を聞いてみると、
『その頃は、大勢の炭鉱夫が住んでいて、周辺の町は、大盛況だった。蒸気機関車が、走り回り、汽笛の聞こえない時間は、なかった。後ろのサイクリングロードは、歌志内線の廃線跡です。炭鉱夫の住居には、風呂がなかった。共同浴場が向かいにあったが、老朽化したので、新たにできたのが、この温泉だった。

年中無休のはずだが、休館日だったとは、きっと何か問題があったのだろう。ここでは、7年おきに耐寒設備を点検補修しないと、雨漏りしたり屋根が抜けたりもする。箱物がたくさん出来たが、造るだけ造って、後の補修を考慮していない。これからも続く維持管理に相当な費用が必要だが、歳入が減る一方の町には、その予算を捻出できない。とても心配だ』と、嘆かれました。
『鹿の件だが、年々、被害が多くなっている。先日も友人が、鹿と交通事故を起こし、車の修理に、70万もかかったと嘆いていた。轢いた鹿は、持って帰って、生きている内に解体して食べる。』等々、書きつくせない、いろいろなお話を、聞かせていただきました。

ここの湯は、炭鉱の町だったためか、朝湯をやっていましたので、天候の様子を見る時間を兼ねて、入ってみました。通路の天井は、ビニールが張り巡らされていて、昨日は、雨漏りがひどく、臨時休館になったと聞きました。お風呂内の設備も、古くて綺麗ではありません。壊れていたりで、補修が追いついていないのか、よく分りました。
露天風呂から見る空は、どんどんと雲が流れ、青空になってきています。これは、富良野線に再挑戦しなければと思い、道の駅『うたしないチロルの湯』を後にしました。

芦別駅 これは、いったい何だと思わずにはいられない、場違いの五重の塔。日本経済発展を支えた炭鉱の町として、相応しいモニュメントがあって、しかるべきと思うのは、私だけでは、ないと思います

▲ 728D 美馬牛→美瑛 キハ54-502

▲ 727D 美瑛→美馬牛 キハ150単行

峠を越えて、昨夜走った富良野線沿いに出ました。晴れてはいますが、期待した冠雪の山々には、まだ厚い雲がかかった状態です。期待は、吹っ飛びました。仕方なく、前日の撮影地での撮影となりましたが、昨日よりは、幾分ましでした。

富良野線での撮影を諦めて、根室本線の金山~東鹿越間を目指しました。

2432D 東鹿越→金山 キハ40 12:28、山深いこの辺りを走る列車は、極めて少なく、この時間に撮れる列車も、わずか1本です。
▲ 根室本線 富良野駅から狩勝峠へ向かう中間点に『金山駅』がある。このまま、釧路、根室方面に向かうも良しです。ホームには、伊予西条駅で見たと同じ煉瓦造りのカーバイト保管庫?が、残っていました。

慎重に撮り終えて、東の空を見ますと、雲が切れて青空が広がっています。ラジオの天気予報も、内陸部では降雪と、路面の凍結に注意するように、告げていますが、日高方面は、逆の予報です。ナビをセットすると、所要時間3:30と言います。今から行けば、夕日を見れる。その時間に、列車も走っている。太平洋側は、風も強いだろう。旅の疲れも溜まってきている。節約旅行に努めてきましたが、今夜は、初めて、宿を取ろうと、『新冠温泉 レ・コードの湯ホテルヒルズ』に予約を入れました。公共の宿ですが、私としては、大奮発の9950円(一泊2食)です。

途中、道路案内板に鉄道記念公園の看板が見えました。すっかりと、振内鉄道記念館の存在を忘れていました。先を急ぎます
が、見た以上、行かないわけにはいけません。

▲ D5123 昭和18年に汽車会社製造、サハリンで活躍しましたが、1990年に帰国。ここに保存されていますが、状態は極めて悪く、修復が望まれます

客車は、スハ4537と、スハフ42-519です。こちらも。かなりボロボロ状態です。


野ざらしで、ボロボロになっていましたがD5123号機と、2両の客車が静態保存されていました。客車は、夏季には、ライダーハウスとして開放されていました。

富内線は、1964年に全線が開通し、1986戦に廃線となり、極めて短命に終わっている。残念ながら、この路線は、乗車していない。先ほど立ち寄った根室本線金山駅までの延伸計画は、あったそうです。
▲ 当時の路線図、たくさんのローカル線が、ありました。
▲ 15:20、ようやく太平洋が見えました。清畠駅で、時刻表を確認しますと15:30に様似行きの列車が出ます。ホームに上がると、かなたから、DCが走ってくるのが見えます。

▲ 撮影時刻15:39 様似行きの2233D

急いで、撮影予定地の厚賀~大狩部間厚別川橋梁を目指しました。丁度、夕日が太平洋と、川面を染めての絶景です。ただ、車が止められる余地は、道路橋梁にはありません。渡りきった空き地に駐車してから、無我夢中で、走りました。そして、撮影場所に着いた瞬間に、DCが来ました。10秒でも遅ければ、撮影は不可能だったでしょう。ただ、アングルまで決められる余裕は、ありませんでした。また、通常、私は、マニアルモードで撮影していますので、前もっての試し撮影で、最適露光を決める余裕もありませんでしたので、もっと良い写真を撮れたかもしれませんが、美しい自然がカバーしてくれました。
▲ 大狩部駅を発車する苫小牧行きの2236D
ホテルには、17:00には着くだろうと、言っておりましたが、遅れるとの連絡を入れて、夕日が沈んだ後も、暗くなるまで、列車を追いかけました。

宿は、新冠の町並みを見下ろす高台にありました。露天風呂にゆったりと浸かって、久しぶりに、まともな食事を食べました。お風呂では、襟裳岬辺りで、明日、秋アジを釣りに行くという釣好きがおられ、釣る楽しみと、食べる楽しみを聞かせていただきました。 Part13 へ続く

2009年 北の大地へ Part12 富良野線 根室本線 日高本線」への8件のフィードバック

  1. 僕も個人でブログをやっておりますが、こういう投稿って
    難しいですね。
    何枚かの記録や公にしておきたい写真は共有の価値が
    あると思うのですが。
    この掲示板に挙げられるのは、史料性が一義にあるもの、
    他のニュース媒体より速報性があるもの、
    それから、芸術性を評価してもらいたいもの
    の、順で選別、取捨されて、削って削って、最後に残ったものを
    挙げてみるというやり方で運営しては、どうでしょうか。
    それと会員間で共通の面白みや、思い出等の個人的感情の
    共有できるもの、そこまででいいかと思うのですが。

  2. まあ、確かに、ご指摘のような掲示板へのブログ的な投稿、それも連投は好ましくないんですよね・・・他の方の力作(投稿)も流れてしまうし・・・ルール付けをしても投稿意欲を削いでしまうだけだと思うので、とりあえず本人には旅日記本体は個人的なブログを開設し、そちらへ投稿、DRFC側には抜粋(「詳しくはブログで」みたいな)を投稿という形にしてはどうかと提案するつもりです。まあ、今本人は中国にいるんで、帰国後に。

  3. 別にブログを作らなくてもこのデジ青に「個人投稿」があるのでそこにしてもらえれば書き手も読み手も楽ではないですか?
    左のアイコンでビデオ館の下をクリックしてみて下さい。

  4. 掲示板投稿について、K.H.生さんよりご提案があり、それに対して管理人さんと田野城先輩よりご意見がありましたが、私の見解を述べさせていただきたいと思います。

    まず、当掲示板の冒頭に「鉄道に関することでも何でも、気軽に書き込んでください」とあります。ぶんしゅうさんの「北の大地」は正に「鉄道に関すること」であります。我々いわゆる団塊に属する会員の皆さんは、休みにともなればバイトで稼いだお金を元に、大挙して北海道に渡り、夜行列車やYHに泊りながら、常紋、上目名、塩狩、狩勝等で素晴らしい写真を残されており、ぶんしゅうさんもそのお一人です。中に私のように、私鉄と簡易軌道を中心に巡っていた人も例外的には存在します。これらの方にとっては「北の大地」の内容は、現在の北海道を知る上で貴重な資料であり、K.H.さん言われるところの「会員間で共通の面白みや、思い出等の個人的感情の共有できるもの」に十分該当するものであります。私自身、今回の芦別駅は「三井芦別鉄道」を訪れた時に下車しており、駅舎は当時と変わっていないことを確認しつつ「五重塔」には驚いております。また、富内線振内駅構内に保存されているサハリンのD51も初めて知りました。(余談ですがサハリンのD51は柏崎駅の近くにも保存されております)要するに世代により、価値観が大きく異なるということです。
    あと一つ、当掲示板の読者が会員以外に多数おられるということです。実は私の勤務先に、大学鉄研OBが数名おり、その内の一人は以前から「台湾鉄道全線乗車の旅」「秋の中国一人旅」そして今回の「北の大地」をコピーしてファイリングしています。将来自分が行く時の参考のためだそうです。変わったところでは、私の愚息の担任教諭が鉄研の顧問をしており、保護者会の時に当掲示板をPRしておいた処、「北の大地」は来夏の合宿の参考にしたいとのこと。(愚息はテニス部で乗物には一切興味なし)そういう私も「北の大地」をコピーしており、リタイヤ後、海外は無理でも北海道は行けるだろと思い、続編をワクワクしながら待っています。

    田野城先輩のご提案のデジ青「個人投稿」への投稿の件ですが、どちらに投稿すべきか迷う内容もあり、ルール作りが必要かと思います。また、掲示板以外に投稿した場合、どの程度の人に見てもらえるか疑問が残りますが、PR次第で解決するとは思います。

    私の結論は現行の掲示板のルール通りで良い。唯、5項目しか掲載されないため連続して投稿があれば「EVEの情報」等の重要なお知らせが埋没する可能性があること、過去の記事を探すのに時間がかかること等、若干の問題点があることは事実ですので、検索用に過去ログがあれば便利かと思います。皆さんのご意見をお聞かせいただければと思います。

  5. 掲示板投稿の件、藤本先輩のご意見に賛同します。私の場合は、DRFCで過ごした5年間事情があり殆ど旅行に行けなかったので、学生時代に先輩・友人たちが蒸機や地方私鉄を追いかけた成果を見て、ああ常紋ってこんな所だったんだと涙が出そうです。自由人になっても思う様に動けない身にはDRFC掲示板の記事が何よりの楽しみなのです。投稿する人によって量や質に差があるのは当然で、規制する考えには賛同出来ません。連投が好ましくない理由もよくわかりません。

    重要なお知らせはトップページにバナーを設ける方法で相当カバー出来ると思います。管理人さんにはその辺りのお世話をお願いします。

    確かに個人投稿はもっと活用されるべきと思いますが、活用方はルール等と言わずあくまで自由意志で良いと思います。投稿があったとき「NEW」マークがトップページに出る様にすることで分かるでしょう。

  6. 私の投稿につきまして、ご賛否、ご提案、ご意見をいただきまして、誠にありがとうございます。現在まで、インターネットを見られない場所におりまして、お返事が遅れ、申し訳ございませんでした。
    田野城様のご提案についてですが、”個人投稿”は、ご投稿者様からのDATAを管理者が受け取り、編集して、校正、再校正をしていただくといった、やりとりが必要です。管理者への負担は大きく、相当の時間と手間がかかってしまい、現実的ではなくなっています。
    現在、このホームページは、世界的にも最新のソフトで運営されております。以前に1枚しか投稿できなかった写真も、5枚へと増え、皆様方の多くのご希望で、無制限に拡大させていただきました。その他、多くのソフトを導入して、工夫をこらせて、また投稿のボリュームに耐えられるようにカスタム化されて、運営されております。一般的なプログとは、全く異なる別物です。
    投稿の制限につきましては、皆様方さまざまな、ご意見をお持ちと思います。しかし、何らかの制限等で、規制する場合、誰がどういった基準でもって、決定をするのかが問われます。各自の基準に対する考え方そのものが、さまざまです。また、制限そのものの論議が必要なのかも議論の対象となります。そうなれば、各自の妥協にもなります。
    いろいろなHPを見てきていますが、こういった制限を加えたHPは、投稿が減り、やがては消えていっています。
    投稿者の良心的な”自由意思”を尊重していく事が、”繁栄への道”となる事を歴史が証明しています。
    湯口大先生が言われたように、クローバー会の皆様方が、確実に毎年1歳老齢化すると共に、悲しいかな頑固になって、妥協や受け入れを拒むようになるのは、仕方ない事実です。私も全くそうです。
    同志社精神の”無限なる自由への行進”を、ひたすら望んでおります。drfc-obの
    HPも、そうあって欲しいと思っております。

  7. 私は元来このようなHPでは自己責任による運営が基本と考えています。従って非常識な投稿や誹謗中傷を目的とした投稿などは会員相互のフィルターで淘汰されるものと確信しています。幸い今までなんの問題もなく運営されており、今回もなんら問題とは考えておりません。投稿を読んでもクレームなどは一つも書かれていません。今回の意見は「過去の投稿が探しにくい」と言うことだと理解しています。「個人投稿」の管理がそれほどの手間がかかるとは知りませんでしたので私のここを利用する提案は撤回します。
    それなら過去記事が探しやすくなるように投稿時に「カテゴリー」を必ず入れてはどうでしょうか?カテゴリー別なら今より検索しやすくなると思いますがいかがでしょうか。
    規制をしたり複雑にするより今あるシステムを使いこなす方がいいと思います。

  8. いろいろとコメントいただきありがとうございます。在学時には青信号の他に
    補機という会内誌があり、私はそちらに雑多なことをよく書いていました。
    また写真帳「ハレハレ」には鉄道写真以外の面白い記録も残されており
    それを読んでは鉄道写真帳以外の先輩方の活躍を偲んでおりました。

    メディアの使い分けが上手く出来ていないな、というのが気になった部分です。

    批判意見のようにも取られるな、と書いた後で少し考えていたのですが
    全ての投稿が縦の系列でしか見られないのが、まず難点と思っています。
    例えば湯口さんのアーカイブ資料性の高い記事と旅日記投稿が一緒なのも
    読みにくい。それが気になるので、鉄道写真以外の駅弁とか風景を含んだ
    ものはこちらへ投稿せず、私は個人のブログに載せてアドレスをつけたりして
    いました。

    掲示板の利用投稿が大幅に増えてきたので、考え直す時期かもしれません。
    それとトップページから、すぐ掲示板に来てしまうのも新聞や雑誌でいえば
    作りが悪いわけで、編集者の意見としては、何とか知恵を出したいです。

    最後に、失礼なことを申したと思われましたら、どうかお許しください。
    皆様の今後のますますの活動を心より願っております。

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