北の大地へ Part11 かつての常紋信号場

また次の旅立ち準備をしております。香港に、また行こうとのお誘いがありました。トラムや地鉄も撮ったし、乗ったし、他の場所が良いのですが、どうしても行きたいらしく嘆願されれば、断れないぶんしゅうです。この後、広州東→ハルピンの列車も乗りたいし、芭石鉄道、平頂山、調兵山も行って見たいと思って、OKを出しました。と、言う訳で、『北の大地へ』の、残り投稿を急ぎます。
と、思っていたら、インタネットで購入した簡単なフイルムスキャナーが、届きました。もっと早くに頼めば、昔撮った写真と比較しながら、投稿できたのにと思いました。
DRFCメンバーと行った頃の、懐かしい常紋信号場写真をご紹介させていただきます。
昭和44年9月(1969年)、当時の常紋信号場の光景です。9600やD51牽引された、しかも重連もあり、補機もあり、おまけに混合列車もありで、スキャンしながら、ノスタルジアの世界にうっとりしました。



今は、雑草が茂り、見る影もありませんが、当時は、頻繁に列車が、交換をした常紋信号場でした。




こんな混合列車も走っていました。

今はなき、急行DCです。キハ56とキハ22の混合列車で、長編製でした。
    

こういった約40年前の写真を見ますと、もっと一生懸命に撮っていれば思いますが、今のようにデジカメ時代になると、何カット撮っても、問題ありませんが、当時は、フイルム自体、高価でした。100フィート巻きのトライXを購入して、夜、部屋の電気を消し、押入れに入って、カメラ屋でもらった中古パトローネに、巻いた時代を思い出します。

 

 

1 thought on “北の大地へ Part11 かつての常紋信号場

  1. ぶんしゅうさま
    毎日毎晩、北海道紀行、楽しませていただいています。その行動力に加え、掲示板の更新頻度たるや、読む方が追いつかないぐらいで、感嘆の至りです。さらに、昔のネガまで引っ張り出して、今昔対比までされるとは‥。
    一緒に行った40年前の常紋信号場、たいへん懐かしく拝見しました。怪談話の絶えない常紋トンネルを抜けて、キューロク重連の混合列車などをみんなで撮りましたね。
    現在の写真と対比すると隔世の感があります。なにせクルマで信号場まで行けるとは信じられません。常紋は、他から全く隔絶されたところで、鉄道でしか行けませんでした。クマが多いのも驚きです。あの頃は、線路近くまではクマは近づいて来なかったと思います。40年の間に、クマの生態系まで変えてしまったのでしょうか。
    また続きを楽しみにしています。

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