5.生瀬-武田尾間(3)
もうすぐ武田尾です。
▼長尾山第二トンネル 1899年1月竣工、全長149mの直線。延長工事はない。
生瀬方杭門周辺は野石乱積み、内部の側壁部、アーチ部は共にレンガ積み。トンネル前に付近の土砂が流込み、道床が高さ10cmほど埋まった。
▼❶入口で見た側壁部とアーチ部。共にレンガ積みだが積み方が異なる。アーチ部は長手積み、側壁部はイギリス積み。❷トンネルを入った所で見た。積み方の違いがよく判る。上半分がアーチ部、下半分が側壁部。入り口付近の全てレンガ積みが、奥へ行くとアーチ部が覆い加工されている、材質は不詳。
▼トンネル内部 アーチ部および側壁部共にレンガ積みの美しい姿。
先の方にレンガ積みでない区間が見える。(ストロボなしで撮影)
▼右端下に退避箇所が見える。竣工から116年経つが崩れた様子には見えない。
ストロボを炊かず自然光で撮影した方が、レンガが美しく見えた。
▼武田尾方杭門。野石乱積みとレンガ積み、コケの緑が良く似合う。
▼長尾山第三トンネル 1899年1月竣工、生瀬方10m、武田尾方22mそれぞれ落石防護のため延長、全長91m。生瀬方杭門、鉄筋コンクリート製、生瀬-武田尾間最後のトンネル。
▼10m程入った所に延長前のレンガ積みの杭門が見える。コンクリート部分も模様入り、高さ・幅共に少し広まっている。
▼武田尾方杭門近く、側壁部は整層切石積み、アーチ部はレンガ積み。
▼武田尾方杭門、枕木は形をとどめている。
▼なお、ここで神戸新聞社による現地リポートをご覧ください。良く似た人も登場しますが、白いジャンパーを着た筆者が登場します(2分58秒から、58秒間)。下の画面上にマウスを置くと中央に赤い右向き三角ボタンが出ます。これをクリックしてご覧ください。ダウンロードの案内が出ますが、通常は無視していただいて結構です。×ボタンで閉じて下さい。
tsurukame様
お元気な姿を動画で拝見させていただきました。また、DRFCのPRも有難うございます。「武庫川をめぐる鉄道」を投稿する際にこの生瀬-武田尾間の廃線跡を歩きましたが、懐中電灯も持たずに先の見えない比較的長いトンネルを越えるのにはえらい苦労しました。拙稿への応援を感謝しております。大阪からわずかな時間での別天地武田尾界隈は今歩いてもC57(もう少し前はC54、C55)、D51、C11、DF50の時代と同じ風景ですね。阪急電車神戸線の運転士をやった小、中学の同級生K君(西宮段上に住み年賀状交換続く)と飯盒炊飯をやったのも武田尾駅の真下あたりで停車中の蒸機から煙がゆっくりと出ているのを覚えております。和歌山線の新旧対比写真に続きこのような発表を大変嬉しく思い、また、期待しております。有難うございました。
お元気ですか、準特急様
そうですか。懐中電灯持たずの通行は足元が覚束なかったことでしょう。持っていても時々躓きそうでした。枕木上の歩行は明るくても難儀です。今回武田尾界隈には都合5,6回出かけました。昨年暮れ12月27日、暇が出来て生瀬から再度通過した時、武田尾で新聞記者に出くわしたのでした。年末の曇りの日でもハイカーが沢山いました。春秋シーズンは人出多く、トンネル内でハイカーにぶつかりそうになります。
3,4年前武田尾から西谷に行った時は、昔の店や民家がまだ残っていたのですが、最近の付近大改修でこれらが全て無くなりさびしい限りです。改修後元に戻るのでしょうか。駅のホーム跡など痕跡を探しましたが、ほとんど見つかりませんでした。
温泉付近も橋が一つ無くなりましたが、吊り橋が綺麗になり、関西の奥座敷風を残しています。駅付近から望むと湯煙が見え、風情豊かです。
次回は武田尾駅の今昔、次々回は例の第二武庫川橋梁です。最終回は道場側から武田尾方面に、対岸道を行けるところまでバックしましたが、大茂山、野田尾トンネルは通過できず、道場近くの植山トンネルは、雑草の中に坑口を見つけ通過してきました。武庫川遡上は今、藍野迄です。