撮影地今昔 生瀬・道場間(1)に寄せて

tsurukame氏の廃線跡レポートを拝見して思い出した記事をご紹介します。1968年(昭和43年)11月発行の「鉄道模型趣味 No.245」に掲載された坂本衛氏著「忽川の工臨」という記事です。廃線跡レポートの起点である生瀬駅と一つ手前の宝塚駅の間にあった忽川貨物駅の現地レポート記事です。      最近では砂利を敷かないスラブ軌道という方式もありますが、線路には砂利がつきもので、各地に砂利採り線や砂利積込み設備がありました。川砂利採取が禁止され、砂利採り線は姿を消し、採石場に隣接した砂利積込み設備も殆ど見ることはできなくなりました。この記事は当時各地で見られた光景や工臨列車を詳しく記録された貴重な記事だと思っています。坂本氏や機芸出版社には無断で恐縮ながら、全文をご紹介することに致します。

TMS No.245から引用

TMS No.245から引用

 

 

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TMSに掲載されているということは、レイアウト作りの参考にするという視線で取材、解説されているわけですが、かつてTMS誌上にはこの種の現物観察記事が多く、大変興味深く読み返したものでした。実はこの忽川貨物駅に出向いたことは一度もないのですが、中国自動車道上り線の西宮名塩SAを過ぎてしばらく走ると右手に今も砂利積込み用ホッパーが残っているのがチラッと見えます。3車線下り勾配の事故多発区間のため よそ見は禁物ですが、ここを通るたびに まだ壊されずに残っているなと思いながら通過しています。今は現地に行かなくても航空写真やストリートビューで近景が判りますので とても重宝していますが、ストリートビューによれば、忽川の側線やホッパー下のレールは今も残っているようです。多分使われてはいないでしょうが、むしろ残っているのが不思議なくらいです。山の上の大阪砕石工業の採石場も稼働しているのかわかりません。クローバー会で廃線跡ウオークを企画されるのであれば、生瀬手前にある かつて日に2本もD51が牽く工臨が入線していた忽川貨物駅跡も立ち寄られてはいかがですか。なお砂利採り線や採石場線については稿を改めて投稿したいと思っています。

7 thoughts on “撮影地今昔 生瀬・道場間(1)に寄せて

  1. 西村様、スキャン投稿された画像が読めません。修正しようにも元原稿の縮小・圧縮が過剰にされていてこれも出来ません。再度スキャンをやり直していただく必要があります。。方法については前々回のコメントに記載しております。お手数ですがよろしくお願い申し上げます

  2. 西村雅幸様
    残っていますよ、西村様。宝塚駅を出てすぐ、車窓からよく見えます。ホッパー、何本かの線路が、かなり広い場所に展開しています。武庫川の源流を辿るまで、まだ何度か福知山線の世話になりますので、通りすがりに撮影して投稿しましょう。私も知らないものですから、なんだろうなと思っていました。それが今はっきりしました。ありがとうございました。

    投稿されたTMS誌面の拡大がうまくできませんので、詳細を読めませんのが残念です。

  3. 管理者様、tsurukame様
    すみません。再スキャンしますので今しばらくお待ちください。

  4. 管理者様
    私の画像処理システムでは画像サイズ(幅、高さ)はmm表示ではなくピクセルで、解像度はピクセルではなくdpiで指示するようになっています。投稿するのに適当な数値を教えて下さい。お手数をおかけしますがよろしく。

    • 横長の画像サイズは幅1200pixelの固定がベストです。投稿した時に左右がピッタリとはまります。dpitとpixelについては、基本的に同じと考えて良いと思います。
      現在、西村さんの原稿が拡大できないのは、462×700pixelに設定されているためです。画像が小さすぎています。縦長の画像の場合は縦1200pixelに固定して下さい。よろしくお願い申し上げます。

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