撮影地今昔-播但線-

知人から青春18きっぷを譲り受けたので、9月の初旬、兵庫県内の乗り鉄ついでに、昔の撮影地を訪ねた。尼崎-姫路-(姫新線)-津山-(18切符圏外の智頭急行)-智頭-(因美線)-鳥取-(山陰線)-和田山-(播但線)-姫路-尼崎の乗り鉄。撮影地は、播但線・生野-長谷間の鉄橋と川沿いの大きなカーブである。

キハ41など最近のワンマンDCは、運転席横の正面窓や右の窓からは前方が極めて見難い。運転席の機器類が中央部にまではみ出し、料金回収箱が中央にあり、時には右側にトイレがある側が先頭になったりで眺めはほとんど不可能に近い。

仕方なく、生野-長谷間7.7kmは徒歩となった。所要2時間、線路沿いの町道を歩いたのだが、長谷までに出会ったり、追い越された車が日中にも関わらずわずか2台。
途中「注意・熊出没」の看板があったり、人気のない寂しい道であった。
409061 生野駅。瀟洒な佇まい。写真右手方の踏切を渡り、町道を南に向かう。

▼播但線 上り客612レ生野を出発 1963年8月13日
08203h1963年8月12日、京都発下関行き夜行列車で和田山へ。(1963年の時刻表が手元になく、1964年10月を参考にすると、下関行き各停819列 車、京都21:56発、和田山着1:41、播但線・612列車、和田山4:50発、生野着5:34となる)
和田山初発で生野へ。降り立ち踏み切りで乗って きた612を撮影したのが上の画像。右手の線路部は、現在も鉄路こそ無いが本線より少し高く盛土された状態で健在。

   ▼下市川橋梁を渡る上り客618レ 和田山発姫路行き 機C55 1963年
    (ピク誌の写真コンクール入選作)

08205h409062生野を出て約3km、3番目の鉄橋、下市川橋梁。川原に降り立つことは今回できなかったが、川中の石は半世紀を経てもそのままかもしれない。

        ▼下り貨物 機C5561【和】1963年
08214h先の橋梁から更に2kmばかり下ると、長谷発電所そばの踏切から大きなカーブが望める筈が、木か竹かが生い茂り、見通しは悪くてがっかり。
409064  ▼画像中央、市川に注ぐ栃原川の鉄橋を行く、下りワンマンDC。
409063▼少し高所に登り、カーブの南側から全体を眺めたもの。
列車は上り準急・但馬1号、堂々たる10両編成だ。
08208h▼先の鉄橋をカーブ外側から眺めたもの。土手・築堤にはつる草などが茂る。
上りワンマンDC キハ412001
409065半世紀も過ぎれば風景は変わっていて当たり前。それを、同じ様子であって欲しいと勝手に期待する。行くと見事に外れる。それでもこれから順番に訪ねてみたいと思うようになった。次回は大船渡線。撮影者の昔は筆者、今はネットの友人。乞ご期待。

撮影地今昔-播但線-」への3件のフィードバック

  1. tsurukameさま
    播但線生野~長谷間の今昔、興味深く拝見しました。ピク誌入選の写真は、私が高校生の頃だったと思いますが、朝の雰囲気とC55のシルエットが印象的な写真で、どんな方が撮られたのだろうと高校生の私は思っていました。見事に定点撮影が決まっていますね。準特急さんとよく言っているのですが、数十年間のスパンの定点撮影を一人で行なえるのは、鉄道趣味を長くやっていた人間にしかできない特権です。大いに敬意を表する次第です。
    生野~長谷間は私も歩き通したことがありました。ずいぶん寂しい沿線風景になりましたね。線路沿いの雑草も全く手入れされず、いっそう荒涼感を増しています。全国のローカル線の共通の光景なのでしょう。
    話代わって、今日は、tsurukameさまが過日の写真展で「新緑」と題されて発表された同じ場所へ行っていました。この鉄道も乗客の減少が著しいですが、キャラクターの列車だけは平日にも関わらず大人気でした。何か起爆剤になるものがあれば、沿線も賑わうことを再確認した次第です。

  2. 総本家青信号特派員様コメントありがとうございます。
    その昔我々が訪れていた撮影地はローカル線、そして今はもっとローカルに。地元住民はあまり活用せず、優等列車の素通り道。線路脇の草木や電柱につる草が巻き付き、築堤・土手にもつる草、雑草。踏み込むにも戸惑いが。もっとひどいのは、田園風景の真ん中に立つ、やたら背が高くて細長い道路の橋脚。まったく絵にならないのがあちこちに。それでも訪ねたり、時に素通りの時も思わず首を伸ばします。

    抜里の茶畑に行かれましたか。あそこは地形的に大変好きな場所です。大井川が作った昔の流れ痕の平地に、取り残されて先の尖った小さな丘。丸くて低くく、丘より少し高い小山。家山に通じる道は急斜面を上らねばならぬ西側の山道。車のない私の移動に大変苦労する場所です。

    移動には以前ほど電車が利用できぬようになりました。ダイヤ改正で電車の本数が減ったためです。ますます地域住民は利用しません。最近私は電車よりも、地元住民用の地域運行バスを活用するハメになっています。時間さえ合わせば、徒歩で峠や遠回りしなくとも撮影地近くにたどり着けます。このバスとて地域住民が乗っていることは稀です。いつまで続くやら。

    キャラクター列車や、観光客の人気だけに頼り、沿線は素通り。鉄道会社は財産であり商品でもある列車に愛着少なく、汚れ放題、荒れ放題。一つ事故が起こればそれまで。お節介ながら無事故をひたすら祈っています。

  3. はい、抜里へ行ってきました。抜里は、以前に乙訓老人、準特急さんと行ったことがあるのですが、今回、真っ先に行ってました。tsurukameさんが写真展キャプションに書かれた「大井川の流れが造った後ろの小山が今、新緑の真っ盛り」が言葉が気になっていました。この小山は実際、見るほどに不思議な形状の山ですね。地理的、地学的に見ても、この地は魅力を秘めています。
    現地へは電車で行かれたのですか。旧ダイヤと比較して、本数が半減した新ダイヤを見て愕然としました。でも、SLは賑わっているのに、半減して3~4時間ヘッドで来る南海車や近鉄車は、それでもほとんど人が乗っていません。
    実際、この日も抜里には約30人のテツが集結していましたが、ほぼ全員がクルマでした。かく言う、非(否?)クルマ派の私ですら、知人のクルマ便乗ですから、大井川にとっては厳しい現実を突きつけられています。

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