4.廃線跡・生瀬-武田尾間(2)
廃線跡を武田尾目指して北上します。
▼溝滝尾トンネル 1899年1月竣工、1961年落石防護のため生瀬方8mと武田尾方3.4m延長、全長150m、1986年廃止。
生瀬方杭門、北山第二トンネル杭門同様コンクリート製の味気ない姿。
▼❶トンネル内部、アーチ部はレンガ長手積み ❷側壁は野石乱積み
❸側壁の退避所 ❹武田尾方出口に近づくと巨大な第二武庫川橋梁が迫る。
▼溝滝尾トンネル武田尾方杭門、1921年落石防護のため、整層切石積みで3.4m延長されている。1986年廃止。鉄橋が迫り、正面から全景を撮影できる場所がなかった。延長部と元の部分との境目が、わずかだが見える。造りが整然としていて、色も美しい杭門です。明治時代の残しておきたい遺産です。
▼第二武庫川橋梁 1898年 米国 The Phoenix Bridge Company製。延長250ftわが国最初の本格的なトラス橋である。これも明治遺産の一つである。
▼❺橋梁中央部を歩くことは禁止、側道を通る ❻付近の武庫川は急流であった。 ❼木製の桁は見た目はしっかりしているようだ。 ❽橋梁の武田尾方は樹木が、橋梁に倒れ掛かるようにして繁っていた。
橋梁と岩肌のわずかな隙間を通り、川原に降り立つハイカーが多く、筆者も降りて橋梁を遠望撮影したかったが、少し危険なので取りやめにした。この辺りには、取り外した枕木が積んであり、ベンチ代わりにして休憩を取る。
▼長尾山第一トンネル 1899年1月竣工、全長307m。延長工事は行われていない。生瀬方杭門、野石乱積み。アーチ部はレンガ4段長手積み。
▼トンネル内部 ❾❿生瀬方・武田尾方杭門付近のアーチ部はレンガ長手積であるが内部に入ると場所打ちコンクリートのため見えない、側壁は野石乱積み⓫⓬武田尾方出口近くも同じような造り。
▼長尾山第一トンネル武田尾方杭門、野石乱積み、アーチ部はレンガ積み。
▼杭門の一方は武庫川の水中にまで、石積みで足を伸ばしている。
▼【今】出口から少し進むと石積みの擁壁に半円状の開口部がある。1964年撮影時と同じ場所です。
開口部を潜り裏側に入ると、狭い空間は空まで見える。その三方は崖で、岩石が崩れかけ、木々が雑多に繁っている。ハイカーが用足しの場としているが、あまりしない方が良い。何しろ当時は重機が無く、手彫り同然。急峻な地形の工事で犠牲者も沢山眠っている箇所、誤って爆発が発生した箇所でもある。
第二武庫川橋梁は1953年に架け替えられたものです。
The Phoenix Bridge Company製のトラスは初代のもの。「わが国最初の本格的なトラス橋」ではなく「最初の分格トラス」です。
本格ではなく分格です。