11:00 パズンランでヤンゴン環状線の撮影は切り上げです。次はヤンゴン訪問の本命だった臨港線を走る広電撮影と言いたいところですが、【73550】で述べました通り、6月30日で運行を休止したという突然のニュースがありました。既に航空券も買いホテルも手配した後だったので、走っていなくとも痕跡だけでも見たいと決行しました。
【ヤンゴン臨港線】
海からヤンゴン川を32㌔遡った所にあるヤンゴン港からの陸運のために貨物線として建設されました。近年はトラック輸送にシフトが進み臨時列車程度しか運行されなかったようですが2014年12月7日から日本製の中古気動車が入線してパズンダン~トウリクエ(8.9㌔)で旅客営業運転が始まりました。元 三陸鉄道36-1200形2両(RBE3001、RBE3002)、及び予備車として元 伊勢鉄道イセII形1両(RBE2524)が改造され投入されました。
2016年1月10日には利便性の高い交通機関を目指してリンサタウン~トウリクエ(6㌔)が電化されて日本製の中古路面電車が走り出しました。ヤンゴンではかつて1904年には路面電車が開業しており、第二次大戦前には77両の車両が走っていたそうです。その時以来の路面電車運行となりました。この路面電車は第2次大戦中に運行停止となりましたので、約70年ぶりの復活です。環状線のパンヒランとも接続される計画で、1部では工事着手されています。投入されたのは1962年製造の広島電鉄の3000形連接車(元 西日本鉄道 1301形)2編成(3005、3006)と同じく1950年製造の広島電鉄750形の772号車(元大阪市電)でした。
運行は1日6往復でスタートしたようでしたが元々人口密集地帯ではなくせいぜいポダウンパコダぐらいしか訪れる人がいないところでしたので、収支が取れるわけはありません。むしろ最近では初めての電車でしたので将来の環状線電化を見据えた運行のノウハウを学ぶための意味合いが大きかったと思われます。しかし政権が変わったためか旧政権の施策見直しが行われ、あえなく5か月の短命で休止に追い込まれました。
電車を送った広島電鉄からは運転手や保守員を招いての教育、現地に社員を派遣して多大な援助を行いましたが、報われることがない結果となりました。順調にいけばもっと多くの広電車両が続いて海を渡り2番目、3番目の新しい人生を歩むことになったろうと思います。尽力をささげられた関係者の皆さんは、さぞかし残念だったでしょうね。
11:30 Taxiをつかまえて地図を見せて臨港線へと向かいましたが、途中で車は故障して動かなくなるトラブルに見舞われました。さすが運休なった臨港線に向かうだけの事がありますね。仕方なくタクシーの乗り継ぎです。結構、道路は渋滞していて路面電車が走っていたストランド通りに入るまでに約30分を要しました。
タブレットに「ここに走っていた電車を撮りに来た。このまま線路沿いを走って欲しい。」と打ち込んでミャンマー語に翻訳して運転手に見せます。運転手は理解したようでOKサインで返答してくれました。
▲ 11:35 ストランド通りに出ると渋滞は嘘のようになくなりました。通りの左側が臨港線の走行路線です。
▲ 電停ホームは約30㎝ほどかさ上げされて中央には屋根が設置されています。
少し行くと終点のトウリクエです。ここで架線も終わっていました。
イギリス領だった昔はここから海岸線沿いにレールがまだ伸びていました。分岐した路線は環状線のバンヒランに接続していました。
計画ではもう1度環状線まで線路を復旧して電車が走る予定もありましたが、線路も道路に埋もれていました。
そして、この後ろの貨物駅を見ると、電車の車庫がありました。
[googlemap lat=”16.77597″ lng=”96.13731899999993″ align=”left” width=”300px” height=”200px” zoom=”17″ ▲ 11:41 ストランド通りからはすぐに見えています車庫に門はなく、TCE3001号車の乗降ドアは開いていましたので声をかけて入りました。中には係員の方が一人おられましたので、またタブレットを取り出して「日本からこの路面電車を見に来ました。写真を撮りたいがいいでしょうか?」と、ミャンマー語で聞いてみますと、即決OKが出ました。
▲ 大阪市電は大阪色から塗装が変わっていました。車歴66年です。車体色は替わりましたが、第3の職場を与えてもらっただけでも他の同期生と比べると幸せだったのでしょうね。車内は施錠してあり入れませんでした。
▲ 営業で使用されたのは、わずか5ケ月です。日本を出る時は念入りに整備されていたと思いますので今からでも仕業に出られます。
▲ TCE3002号車は、シートがかけられて保存されています。熱帯の劣悪な環境下です。屋根の設置されている場所ならともかく、シートでは持たないでしょうね。心配です。車庫内の路線も標準軌とメータゲージの3線軌道です。
▲ この電停には屋根がありません。電停整備に一貫性はないようです。
▲ 11:56 時々、気になった場所は停まってもらって撮影です。左は英国領だった時に建設された建物なんでしょうね。
▲ 続いても英国領だった1916年に竣工された税関です。その向こうはミャンマー港湾公社です。イギリス風の街並みが続いています。
▲ ミャンマーでは自動車の生産は行われていなく、新車販売のディラーもありません。街に走っているすべての自動車は輸入中古車です。その90%以上は日本製でTOYATAが圧倒的ですが、古い車が多いようです。
すれ違ったのは綺麗な日野ボンネットタイプのタンクロータリーです。バスについては詳しくはありませんが、運転席前面には曲面ガラスが使われていて新しそうです。1960年代後半に発売されたボンネットタイプとしては最後に近いトラックかと思いますが、どうでしょうか?
▲ 11:58 臨港線の走る道路は途中から有料道路となっていて料金所があります。ここを通過するのが臨港線一のハイライトでした。
▲ ゲイトを抜けたところで停車してもらって撮影ですが、面白い古典的バスがきました。これも日野製ですが、かつて昔に見たこともないタイプです。製造年1960年代のバスは前照灯が左右各2灯ですがこの車は一灯ですので、1960年よりも古いバスと思われます。こんなバスが街中でまだ現役で走っていますのでバス好きの丸谷さんが40数回も来られている心情が分かります。
▲ 世界一の黄金のシュエダゴォンパゴダが有名ですが、ヤンゴン市内には他にも立派なバコダが点在しています。臨港線にあるポダウンパコダもそのうちの1つで、広電路面電車を入れてのカットは、臨港線2番目のカットでした。訪れる仏教徒は多く、門の前には屋台が並びます。
▲ 12:05 起点の電停リンサタウン(LansDown)に到着です。もう電車が来ない薄汚れたホームの屋根下には立てかけられた駅名板、ズタ袋を横に置いて一人で寂しく飯を食べるおじさんがいては、哀れな、懐しい郷愁を感じます。
▲ 架線はここで終わっています。昨年9月ごろまでは環状線のパズンランから日本製DCも走っていました。電化してわずか約6ケ月で休止になるのなら無駄な投資だったと言わざるを得ません。DCが走っていた方がまだ良かったですね。
これで広電探索は終了です。次回にここに来る時は復活なってからですね。折角ここまで出来ているのですから初めの目的の電車運行のノウハウを勉強するに戻ってもう1度走らせてもらいたいものです。お願いします。
運転手さんにホテルへ向かうように言って戻りました。貸切時間は約1時間半ほどで請求された金額は12,000k(約960円)、まあ妥当な金額ですので「ありがとう、ご苦労さまでした。」と、お支払いしました。
【 ヤンゴン国際空港 】
ホテルで荷造りしてから荷物を預けて近くの日本食屋でラーメンです。その後ホテルで空港までのタクシーを頼むとホテル前に泊まっていたタクシーを進めてくれました。空港までは12,000k(約960円)と、これも妥当です。お願いしました。
空港への道路は渋滞することが多いので余裕をもって向かうようにとネット記事がありましたので早めの出発です。
▲ 14:45 ヤンゴン国際空港に到着です。一昨日に着いた時の到着ロビーの先は新築されて空港ビルは拡張中です。
▲ こちらが従来のターミナル、先ほどのが左側にあります。建物内に入り、チェックインカウンター場所を警備員にお聞きしますと、案内しますと言われて私のキャリアーケースを持って行かれます。正面右の新しい建物内まで結構ありましたが案内してくださいました。ありがとうございました。結構距離がありましたので私1人では迷ったでしょうね。感謝、感謝です。
ターミナルは先に向かって右側が拡張され、次いで左側が拡張中です。
▲ 15:08 無事AirAsiaのチェックインカウンターに到着、搭乗券を受け取りましたが、バンコクで往路受け取ったペラペラのレシートとは違っていつも受け取る搭乗券でした。
▲ 15:22 出来たばかりと思える搭乗ロビーです。店は小さなお土産店が1軒だけ開いていましたが、免税店など見当たりません。搭乗までは2時間以上もありますので、開いていたコーヒー店を見つけ、タブレットを広げてネット記事を見ながら時間を過ごしました。
待っている間に2度ほど短時間の停電がありました。空港ですので大丈夫なのでしょうか。ホテルでは経験しませんでしたが、電力事情の悪いミャンマーです。前回も度々ありましたのでまだ解決はしていないようです。
【 ヤンゴンの3年間経った印象 】
初めてヤンゴンの地に立ったのは2013年3月23日でした。ナムツ鉱山鉄道で動態保存なった蒸気機関車をチャーターしての乗り鉄・撮り鉄が主たる目的でヤンゴン環状線はついでに撮った程度でした。日本製の中古DCが投入されていましたが、多種の3セク地方鉄道のDCが多く、キハ181はまだ工場で改造中でした。
鉄道はじめ国全体の近代化は遅れているというより取り残されている感がしていましたので今のうちに再度行ってみたいと思いましたが、円安及び現地の物価高騰の影響で渡航費・滞在費とも2倍近くになってあえなく断念しました。世界各国企業のミャンマー進出が本格化してホテルが取りにくくなり、ビザを取るのに1ケ月もかかるのも控えた理由の1つでした。
今回はビザ取得期間が1週間に短縮されて、燃油サーチャージがなくなり飛行機代が安くになりました。ホテルも宿泊代高騰が落ち着き取りやすくなったそうです。バンコクまで行くのでヤンゴンは直ぐです。1月から広電が走り出したというニュースは是非に再訪したいになりました。3年間で環状線の様子も随分と変わったらしいという事で実際にこの目で見てみたいとの興味が強くになっていました。
実際見たヤンゴンの環状線、臨港線は期待以上の驚きでした。日本製の中古DCがこれほど運用についているとは聞いてはいましたが、びっくりでした。環状線については約半分は日本製DCの運用です。今後も投入が続くでしょうからいずれ客車列車は消えていくかもと思いました。この様子だとローカル線区も日本製DCが進出しているのだろうと容易に考えられます。
もう少し早くに、せめて1年でも早くに来ておけばと悔いが出ました。東南アジアの原風景が残っている間に、いずれ機会を作って3回目の訪問をしたいと思いました。
【 バンコク到着 】
ヤンゴン17:30(FD254)⇒19:05バンコク・ドンムアン
定刻のフライトでバンコク・ドンムアン空港に到着です。
19:46 ドンムアン空港から市内へはもう1つのスワンナプーム空港のエアポートリンクのような便利な電車はありません。国鉄⇒MTRに乗り継いでも行けますが、待ち時間を除いて1時間以上もかかります。
予約してあるホテルまで夜に重い荷物を持っての移動は好きではありません。Taxi利用が一般的ですので到着ロビーに出た後は案内所でTaxiを頼みました。料金は700バーツ(約2,100円)と案内記事と比べると2倍です。それでもぼったくりタクシーに会うよりはいいかとOKしました。カウンターから出てきたおじさんは荷物を持ってタクシーまで案内されます。車は1周り大きなカペラで快適です。約40分で予約してあるバイヨースカイホテルに到着です。
上の写真で高くそびえるのが、そのホテルです。
▲ 21:00 前回3年前にタイに来た時に宿泊して気に入ったバイヨースカイホテルの室内です。日本人スタッフもいて心強くなります。何よりとっても部屋が広いのが最高で、バスタブもあってくつろげます。これで1部屋6,695円(朝食込)は、納得の価格です。2人でも十分な広さで安くになります。今回は中層階でしたが高層階だともっと市内が一望できます。
▲ 22:30 シャワーを浴びてビールを飲んでから夜の街歩きです。周辺は食堂や屋台も多く選ぶのに困るほどです。今回の旅、最後の夜を遅くまで楽しみました。
Part 25へ続く