先日は準特急様の投稿にあるように、京急で「青い空、青い海、赤い車体」の写真を撮ることができました。準特急様には願いを叶えていただき本当にありがとうございました。懐かしい方々とも会うことが出来て、また猛暑で熱中症になることもなく楽しい一日でした。なお、横浜に行く前日は、別件で河口湖に居たのですが、ホテルの朝食前に出かけた河口湖駅です。駅前にあったのがモ1号で、説明によりますと…富士山麓鉄道が昭和4年に5両製造(日本車両)したもので、電気ブレーキ・砂まき装置付き。創立60周年記念事業として上田丸子電鉄より引き取り整備・復元した… とあります。自重34t、定員102人(座席50人)、電動機93.25kw×4 です。次にあるのが「瑞雲まつり」とのコラボ車両です。瑞雲とは旧海軍の水上偵察機です、富士急ハイランドでは実物大模型が展示されているようですが、この地と水上偵察機にどのようないわれがあるのか分かりません(スミマセン)。さらに私事ですが今回富士山を山梨側から見ることが出来ました。富士山というとほとんど静岡側からしか見たことがなかったのですがいつもとは違った(山梨ではこちらが正面ですね)体験でした。
川柳に「三国一の冨士の山 甲斐でするより 駿河一番」というのがあります。意味はお分かりでしょうから、余計な注釈は差し控えます。
山の正面(表)というのは中々微妙です。高校生の頃に叡電車中から比叡山を見た際に、滋賀県草津から通学していた同級生が「比叡山は”表”から見た方が綺麗」と宣ったのです。一瞬何のことかわからず、殆ど京都からしか見たことのない小生は「当たり前やないか」と理解したのですが、次の瞬間彼が草津在住であることを思い出し、それでは「京都側は裏か!」と憤慨したことがありました。
いやしくも千年の都である京都を「裏」とは何たる言い草か、というところでした。
その後何度か東海道線から比叡山を見ていますが、なんとなく滋賀側から見る方が形がいいような気がしないでもありません。皆さんのご意見はいかがでしょうか。
1900生様
比叡山の表は大津側です。そもそも667年に大津京に遷都され、(今年は遷都1350年ですが地元では盛り上がりに欠けますが。)日吉大社には比叡山の地主神が祭られています。また最澄が比叡山を開いたのは平安遷都の前の788年でそれ以来、ふもとの坂本のまちには比叡山の里坊があって、天台座主は坂本におられます。残念ながら大津の町は京都に押され存在感に掛けますが、明らかに比叡山の表と言えば大津側ですし、延暦寺の大部分は大津市の区域です。家から見る比叡の山並みも断然こちらの方が良いのではと思います。京都の町が世界的な人気の町になるのを横目で見て大津の人間は悔し涙を流しながら、琵琶湖の水やらんぞと悪態をつくばかりです。失礼しました。
大津の86さま
いやいや歴史的経緯と事実からそう理詰めでこられるとこれはもう参った、その通りと言わざるを得ませんね。琵琶湖の水を戴くためにも表は大津側と認めましょう。
京都に育った小生にとっての「感覚的な表の認識」とご理解下さい。
後期高齢者は完全にボケております。まずこれは川柳ではありません。それに正しくは「三国一の冨士の山 甲斐で見るより 駿河いちばん」でした。歳に免じてお許しを。
さすがはyuguchi先輩!
昔(失礼!)の鉄道ファンはみんなこうでした。鉄道の知識は当然として、世事にも通じていて、BOXではなかなか洒脱な話が聞けたものでした。こうして僕たちは大人になったのです。
この句(か川柳かは知らないが)を読めないヤツ!意味が分からないヤツ!一般教養からやり直せ!
硬派、軟派のコメントありがとうございます。一般教養の大切さ身に沁みます。ちなみに富士山は独立峰でどこから見ても美しい姿ですね。ものの見方の正解は一つとは限りません、「富士山」の場合は「どこから見ても、それが正解」だと感じました。