可部線その昔

可部線の話題で盛り上がっていた時に間に合わなくて残念な思いをしていましたが、昭和48年1月に広島方面に行った時のネガを見つけることができました。当時旧型国電にはあまり興味がなかったのですが、今となっては非常に貴重な資料であり、最近のステンレスやアルミの車体を見ていると「なんと電車らしい」という思いが沸いてきています。場所もキハの型番も定かでなく申し訳ないのですが、当然ご存知の方注釈願います。駅撮りはクモハ11205、車庫はクモハ12017です。※台車の白点はスキャナのごみが残ってしまったようです、すみません。ただネガは缶に乾燥剤と一緒に入れていたので比較的色は出ていると思います。

8 thoughts on “可部線その昔

  1. wakuhiro様
    昭和48年頃は私はまだモノクロが大半で、ようやくカラーフィルムを使い始めた頃でした。この3枚はネガの保存状態が良かったためでしょうか 非常に発色も良く貴重な記録ですね。リベットが並ぶ17mのクモハ11+クハ16、クモハ12は模型にもしたい車両です。2連の写真の場所がどこなのかはわかりません。クモハ12は横川駅にあった可部線管理所の電留線で 多分山陽線のホームから撮られたのでしょう。今では横川駅には電留線はなく この場所は空き地になっていて、山陽線ホームから可部線ホームがよく見通せます。可部線のクモハ11たちは昭和41年に黄色い警戒色が塗られたようで、昭和51年3月末まで活躍し、20mのクモハ73、クハ79に置き換えられています。また連結器は国電の標準である密着型ではなく一般的な自動連結器をつけています。一方気動車の撮影場所も特定できていません。電車も気動車も所属は広島運転所で 昭和48年の車両配置表によると 広転にはクモハ12が7両、クモハ11が5両、クハ16が9両、キハ23が12両、キハ30が2両などとなっています。貨物列車は昭和46年にC11からDE10に代わり無煙化されています。山陽本線は80系、呉線が73系の時代です。先般水島臨海鉄道で元気に走るキハ30を見て感激しました。こんな「電車らしい電車」がなつかしいですね。

  2. 西村 様
    コメントありがとうございます。以前から、写真は撮っても殆んど記録を残していなくて悔やまれることが多々あります。当時の記憶も残っていなくて…当時の情報をありがとうございました。可部線以外にもネガを見ていますとおっしゃる通り、80系(サロ改造のクハ85だったと思います)や73系を写したのも出てきました。古い写真もデジタル化して残していけるのがいいですね。

  3. wakuhiro様
    貴重な写真をありがとうございます。大阪から夜行急行に乗り 早朝広島駅に着き横河駅まではまだ交通機関がないため徒歩で行き 可部線始発に乗り可部駅の1つ手前の中島駅に着いたのはまだ暗いうちでした。藤本先輩に案内していただき3人だったと思います。中島駅は片側ホームで両方向への電車 気動車が写せる場所で特にクモハ12 クモハ11 クハ16が写せる貴重な場所でした。
    今年3月4日可部 あき亀山間が復活しましたので3月末に昭和48年以来久しぶりに中島駅に行ってみましたが周囲はびっしり建物があり また昼間は227系ばかりで当時の面影は有りませんでした。終点のあき亀山駅は電留線もある大きな駅でしたがこの先の延長は無いことを思わせる終点の駅でした。
    懐かしい写真をありがとうございました。

    • 昭和48年1月ということは お三方は社会人2、3年生だったはずです。3人が申し合わせて夜行急行(何号?)で広島に向かわれたんですね。卒業後も時々声をかけあって鉄旅に出かける関係が40年経っても続いているのがDRFCのすばらしい風土だと感じます。ところで撮影地点はやはり中島駅だったですね。キハ23の後方にガソリンスタンドの看板が見えますが、今はレンタカー屋になっているようです。沿線風景は一変し電車も227系になっていますが、所要時間は当時と殆ど違わないように思えます。宅地化が進む可部線沿線ですが、可部線の走行写真は撮ったことがないので 一度ゆっくり歩いてみようと思います。

      • キハ23と17m旧国の懐かしい写真を拝見しました。当時他所では23と30の編成は余り見かけなかったように思います。
        5年ほど前に113系湘南色4連を追い掛けて可部線で撮りましたが、小生の好みの場所としては横川~三滝間と上八木~中島間のいずれも太田川橋梁くらいしかありませんでした。新型227系ならまだ市街地もいいかもしれませんが、113湘南色ではやはり自然の風景が欲しいですね。
        もう40年位前になるでしょうか、未乗線区踏破をしていたときに芸備線下深川駅から中島駅まで歩き、可部線で三段峡を目指したことがありました。記憶では江津を6時頃に出る三江線に乗り三次へ、芸備線から前記行程で三段峡を往復し広島で投宿したようです。芸備線で広島まで行くとタッチの差で可部線に間に合わず、暫く地図を眺めていてハタと思い当たったルートでした。両駅の間は歩いても20分足らずだったので逆に時間を持て余し、茶店でお茶でもと探しましたが当時はそんな気の利いた施設も無く、中島駅で無聊を持て余したことを憶えています。

  4. 皆様返信ありがとうございます。確かに藤本先輩、INUBUSE氏と3人で出かけた所でした。私も昭和48年と当時のメモを見ていて入社2年目でよく出かけて行ったものだと感心しています。広島駅や可部線で写したことは思い出すのですが、大阪からどの列車で行ったのか、いつ帰ってきたのか全く覚えていません。同じ年の5月に信越、8月に大糸と就職してからも誘い合わせて出かけているようです。確かにこの風土が今も続いているのはすばらしいことと思います。リタイヤー後もこの流れを絶やすことなく続けたいですね。

  5. wakuhiro様
    1月27日 急行阿蘇の編成がメモされています。
    (EF58162 オユ1226 スハフ4315 スロ542047 オロネ1028 スハネ1639 同46 同64 同38 オハ36106 オハ36116 スハ4368 オハフ4517 スハ43568 スハフ42240)
    名古屋始発の阿蘇に乗ったとも思えませんので この後の急行だったのではないかと思いますがメモがありません。
    帰りは 28日しおじ4号モハ181-22とメモがありました。DT23よく揺れたと記憶しています。
    この頃いろいろと出かけていたようです。お付き合いいただきありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。

  6. wakuhiro様、INUBUSE様、当日の行動を思い出しました。
    名古屋発急行「阿蘇」に乗っています。私は京都から乗り、大阪で合流しています。
    広島着は3時48分です。京都22時50発の元「ななうら」の「音戸2号」がありますが、広島着が6時47分と遅く、可部線の初発電車に間に合わないため、到着が少し早いですが「阿蘇」にしたと思います。
    山陽本線の初発電車が6時35分と遅いため、寒い中、横川まで歩いて可部線の初発に乗り、
    可部の一つ手前中島で降りて撮影しています。棒線駅ですぐ横が畑のため、比較的撮りやすく朝ラッシュで次々に電車が来ました。
    その後、上八木駅間の鉄橋で撮影後、横川に戻り、電車区を訪れています。
    その後は広電を撮影していますが、市内はもとより、宮島口や荒手車庫にも行き、鉄道線の連接車等を撮影しています。
    夕方は、広島駅で80系、呉線の73系、広行のオハ41等を撮影後、17時46分発「しおじ5号」で帰っています。
    今考えてみると、息つく暇もない超効率的なスケジュールで、昼食の記憶がありませんが、どこかで手早く済ませたと思います。
    3年前にパートで再就職した会社が人で不足のため時間に余裕がなく、未完成の原稿が投稿できていませんが、連休明けには少し落ち着きますので、この時の写真も投稿したいと思います。

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