お礼

本日は酷暑の上に台風接近にも拘わりませず、私をダシにした暑気払いの会にご参加いただきまして厚く御礼を申し上げます。
思えば久我会長様と雑談していた時に「お前な-、暑気払いに一杯飲みやろか思てんねん。口実考えろャ!」とご下問がありましたので、「ちょうどフジの50000人写真展があるので見物方々梅田で集まっては如何でしょうか?」と言いましたところ、「それええな!」と賛成いただきました。その後、何の因果か、天の采配か、私が応募した半世紀前の写真が20点の一枚に選ばれたという連絡を富士フイルムから頂いたのです。事務局長様のお計らいで、本日先輩後輩の諸兄に集まっていただき少しの賞賛と多くの罵詈雑言を頂きましたのは、私、一生の誉れであります。この上は来年も当会から20点に選ばれてラグビー同様に三年連続全国制覇をして、天下に名声を轟かせていただく事を祈念いたしまして、不肖、米手作市のお礼の言葉とさせていただきます。

この度賞を頂きましたのは下記の作品です。ご笑覧下さい。
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 しなの鉄道をチラ見する 〈下〉

スカ色115系以外のネタも少々‥。しなの鉄道には急行形の169系電車もいましたが、2013年に廃車されて、現在は115系電車の天下となっています。第三セクターで、保有車両すべてが国鉄型というのも珍しいことです。同社の北しなの線も合わせて、現在では3連15本(編成番号S1~4、S6~15)、2連7本(編成番号21~27)の計59両が在籍、全車が1000番台の耐寒耐雪形で、JR時代の車号を踏襲しています。
 湘南色S3編成の「快速しなのサンライズ」が小諸駅を発車する。特別にネーミングされたこの快速は、上田~長野を無停車で走る。

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 しなの鉄道をチラ見する 〈上〉

スカ色復刻の115系

しなの鉄道では、所有する115系電車を国鉄時代の車体色へ復刻化を進めています。開催中の「信州デスティネーションキャンペーン」の一環で、4月には「初代長野色」(白地に緑・赤)、5月に「湘南色」に塗り替え、このたび、3本目となる「横須賀色」(スカ色)の編成が登場しました。同社の115系S16編成3両編成を青15号、クリーム2号の横須賀色に戻したものです。初日の7月29日は、戸倉で出発式が行われたあと、戸倉~軽井沢で1往復が臨時電車として運転され、折り返し時間を利用して、軽井沢駅で撮影会を開催しました。中央東線のスカ色115系は姿を消しており、唯一となったスカ色115系を撮りに、初日、トンボ帰りで軽井沢へ行ってきました。

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ドクターイエロー(DY)を捕る

この一ヶ月程、祇園祭にかまけていました。すると小学校以来の旧友から「DY走るよ」との情報が寄せられ、リハビリのつもりで出かけました。

東山トンネルから出てきた、下りT4編成

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広電と三江線ネタ

いつも代わり映えのしない内容で失礼します。まずは広電関係から。

平成29年7月29日 中国新聞

新しい構想として3時間、7時間、1日広電バスを含めて乗り放題という時間制運賃を検討中とのこと。外来者にとって広電バスも含めたフリーパスのメリットはあまり感じられませんが、広島市郊外の住民にはお得感はあるのでしょう。いろんなアイデアで少しでも乗客を増やそうという意欲にはエールを送りたいと思います。

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 夏の思い出2017-3 「はしだてビーチ」

前掲の江若鉄道で行く湖水浴は、京都から近いものの、琵琶湖の水は、汚れ放題のうえ、ナマ温かく、砂浜も狭くて、とても快適な水泳場とは言えませんでした。やはり、海の魅力には勝てません。“水のきれいな日本海へ”の国鉄キャッチフレーズに誘われて、丹後・若狭の海へ行く客が増加していたのも、この頃で、大阪・京都からは、多数の臨時列車が運転されました。 そんな中で、昭和42年から、京都から宮津線天橋立へ向けて、寝台車を利用した冷房付きの臨時急行「はしだてビーチ」が走り始めました。本欄でも断片的には紹介しましたが、改めて「はしだてビーチ」の歴史をたどってみました。昭和42年7月21日から走り始めた「はしだてビーチ」、京都駅2番ホームから発車した。向日町からEF58に牽かれて駅東の引き上げ線で転線し、2番ホームに据え付け、福知山区のC57が連結された。

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中国地方小ネタ3題

まずは梅小路のD51200が山口へ出稼ぎに来ているようです。

平成29年7月25日 中国新聞朝刊

「デスティネーションキャンペーン」と言われても「それ何?」という感じですが、9月1日から12月31日まで JR西などが企画している「幕末維新やまぐち デスティネーションキャンペーン」のことのようです。結局 オジサンには「デスティネーション」が解りませんが どうやら「目的地」の意味だそうです。とすると「幕末維新やまぐち目的地宣伝活動」と言うことになりますネ。どうも長州人は物事を判りにくく 回りくどく説明するのが得意なようです。D51200がいつのまにか山陽路を回送されて行ったようですが、これぐらいの長距離を回送する際には無火状態にして回送するのでしょうか?あるいは一旦火を落とすと大変なので有火状態で機関士も添乗して回送されるのでしょうか?どなたか教えて下さい。

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 江若鉄道“生みの親” 安原仁兵衛の思いを知る

少し前になりますが、7月9日、滋賀県高島市の藤樹の里文化芸術会館で行われた朗読劇「江若鉄道の生みの親 安原仁兵衛物語」に行ってきましたのでレポートします。これは、鉄道が無く不便な生活を強いられてきた湖西地方の悲願を達成するために、鉄道敷設に生涯を捧げた安原仁兵衛の生涯を語る朗読劇です。たまたまチラシに私の写真を使っていただいた縁で、招待券をいただき、日曜日の午後、湖西線に乗って安曇川まで行きました。同館は、以前にも江若鉄道展があり、クローバー会会員とともに観覧に行った場所でもありました。

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三江線の話題など

九州地方の豪雨災害や各地でのゲリラ豪雨など自然の猛威による鉄道の被害も報じられています。三江線も何度も自然災害に見舞われてきた線区で、その都度何とか立ち直ってきましたが、その命脈もあと半年ほどです。今回は自然災害のせいではなく、地方交通の置かれた厳しい環境の為せる結果です。いつものように新聞記事頼みの横着記事ですが悪しからず。

平成29年7月19日 中国新聞朝刊

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 夏の思い出 2017-1 祇園祭と京都市電

すっかり「デジ青」からご無沙汰の毎日ですが、外部の愛読者からは「最近、投稿が無いのは、身体でも悪いのか」と心配の連絡がありました。いえいえ元気にしていますよ、ご安心ください。“生きている証し”のためにも、せっせと投稿を続けます。
さて京都は祇園祭の時期を迎えました。DRFC時代なら、前期の試験も終わって“さぁ夏休み”の期間で、京都の学窓を巣立った人間にとっては、祇園祭は何とも言えない解放感・期待感が入り混じった、特別な祭りだったと思います。そんな祇園祭も、齢を重ねると、すっかり観光化した祭りに反発もあって関心が薄れ、この10年以上は行ったことがありませんでした。ちょうど埼玉県から京都へ戻った会員のSさんも、自身のブログで30数年ぶりに祇園祭へ行ったと述懐されています。
今年は、宵山の昨16日、趣味会合の帰りにホント久しぶりに、山鉾の立ち並ぶ烏丸通、四条通を歩き、しばし宵山の雰囲気に浸ることができました。若い世代が圧倒的に増えたこと、そして露店の数の多さにはびっくりしました。

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三江線代替バスルート案

沿線市町村で代替バスルートなどの協議は進んでいるようですが、なかなか全体像が見えてきません。

平成29年7月12日 中国新聞朝刊

この案は島根県側の邑南町が提示したもので、作木口から三次間はそれなりに整備されている国道54号線をメインルートとしたいという案です。島根県側の人が三次に出たい時には、三江線と同じ江の川沿いの狭い道を時間をかけて三次に向かうよりは54号線ルートの方が早いので至当な案でしょう。この案では口羽・三次間の旧三江南線の大半はルートから外れることになります。ただ三江南線に沿って国道375号を走る路線も検討されてはいるようですから、沿線住民の利便性を優先しながら、乗換えが少々面倒だったり便数が少なくても旅行者にとっての選択肢も残した案になることを期待します。

昨年に続いての快挙です

先日皆様にご案内しました、「富士フイルム50000人の写真展」には6名の方から応募を頂きました。(事務局で把握している方々だけですが)その中から米手作市様の「窓」という作品が、見事「鉄道のある風景」部門の「心に響いた20選」に選ばれました。昨年の総本家青信号特派員様に続く2年連続の入選で、改めて当会のレベルの高さが証明されました。

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瑞風と三江線

今月17日から山陰・山陽を走り出した「瑞風」ですが、瑞風が停車する沿線自治体は 豪華列車がわが町に停車することを自慢げにPRし、マスコミもそれに乗っかって 新聞、TVで盛んに報じています。

平成29年6月28日 中国新聞朝刊

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三江線はどうなるの?

米手作市様から問いかけがあって気になっていましたが、今朝の中国新聞記事でその答えとさせて頂きます。

平成29年6月26日 中国新聞朝刊

同紙 (続き)

8月末には具体案が見えてくるようです。いずれにせよ全線を乗り通そうと思えば、2,3種類のバスに乗り継がねばならなくなるのではと想像します。果たしてどうなることやら。

京阪大津線の新塗装色

京阪大津線の塗装色が新しくなりました。本線と同様のデザインに統一することとなり、最初の700形1編成が新塗装になりました。今年度から4年かけて順次石坂線の600,700形、京津線800系 の全車両の塗装が新しくなり統一されます。

数日前から営業運転に入っていたようですが、今日出かけた折、たまたま新塗装色の車両が来ましたので写真を撮ることができました。また、塗装色の変更により、京津線と石坂線が同じ配色になるため、両路線を識別しやすくするために路線識別マークが設定され同時に運用が開始されました。新塗装はあまり違和感なく結構良いかなと思っていますが、800系はどうでしょうか。そもそも800系の色は琵琶湖の水面をイメージしたものだけに、地元の人間としてはなじみがあります。

↑ 路線識別マークは右上の行先表示の横にあります。ヘッドマークのような大きなものがつくのではと思っていましたが、これでは見にくいですね。 続きを読む

三江線関連の小ネタ

平成29年6月20日の中国新聞朝刊に載っていた記事です。広島県安芸高田市にある歴史民俗博物館が三江線の企画展を計画しているが、手持ちの資料が少ないので 貸してくださいとのお願い記事です。

平成29年6月20日 中国新聞朝刊

同館は毛利元就の居城 吉田郡山城のふもとにあります。ところが吉田町は鉄道によるアクセスが悪く、芸備線向原駅、吉田口駅、甲立駅が最寄り駅ではありますが、クルマでないと行きにくい場所です。

資料を借りたいとは言いながら、持参して来館できる人に限るということですから そんな枠をはめると どれだけの資料が集まるか疑問ですね。もし万一「貸してもいいよ」というお宝があれば 私宛にお送り頂ければ 私が飛脚となって吉田郡山城麓まで届けることは やぶさかではありません。

 「トレランス8号」 三陸鉄道を走る 〈下〉

釜石から戻りとなる「トレランス8号」は釜石18時10分発、移りゆく車窓は、次第に夕闇に包まれようとしていた。

往きの「トレランス8号」は15時25分に終点の釜石に到着しました。釜石と言えば、駅前に新日鉄釜石製鉄所があり、巨大な煙突から煙を吐き出していた40年前の印象が忘れられません。その後、高炉もなくなり、今では線材を生産するだけの一部門になり、工場は大幅に縮小されています。釜石駅周辺も津波被害がありましたが、ほとんど感じられないほどに復旧していました。この釜石駅ホームで本日のもう一つのイベントが行われようとしていました。

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 「トレランス8号」 三陸鉄道を走る 〈上〉

三陸鉄道南リアス線の恋し浜駅に停車する、佐竹さん貸切列車「トレランス8号」、レトロ調車両36-R形が充当された。時間を掛けた、ゆっくり旅で、まさにトレランス精神あふれる列車となった。
佐竹保雄さんの貸切列車「トレランス8号」が、6月11日に三陸鉄道南リアス線盛~釜石で運転されました。「トレランス」号は佐竹さんが皆さんを招待し展望車を連結した京都発京都行きの特別列車で、1989年に運転を開始して、ほぼ一年ごとに運転され、1996年の7号で完結を見ました。
その後、佐竹さんは、震災復興を願って毎年「東北展」を開催され、三陸鉄道の南リアス線全線開通時にも、自ら撮影に出掛けられるなど、とくに三陸鉄道とは強い絆が生まれ、20年ぶりに場所を変えて「トレランス号」の復活運転となったものです。クローバー会でも参加者を募ったところ、私と、西村さんご夫妻の計3名が参加することになり、本隊の約30名と現地で合流して乗車を果たしました。車中では、“震災の語り部”から当時の様子を聞いたり、そのあとはバスに乗り換えて、佐竹さん思い出の地や震災遺構を見学したりと、震災後6年目を迎えた現地でその思いを新たにしました。

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