江若鉄道“生みの親” 安原仁兵衛の思いを知る

少し前になりますが、7月9日、滋賀県高島市の藤樹の里文化芸術会館で行われた朗読劇「江若鉄道の生みの親 安原仁兵衛物語」に行ってきましたのでレポートします。これは、鉄道が無く不便な生活を強いられてきた湖西地方の悲願を達成するために、鉄道敷設に生涯を捧げた安原仁兵衛の生涯を語る朗読劇です。たまたまチラシに私の写真を使っていただいた縁で、招待券をいただき、日曜日の午後、湖西線に乗って安曇川まで行きました。同館は、以前にも江若鉄道展があり、クローバー会会員とともに観覧に行った場所でもありました。

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三江線の話題など

九州地方の豪雨災害や各地でのゲリラ豪雨など自然の猛威による鉄道の被害も報じられています。三江線も何度も自然災害に見舞われてきた線区で、その都度何とか立ち直ってきましたが、その命脈もあと半年ほどです。今回は自然災害のせいではなく、地方交通の置かれた厳しい環境の為せる結果です。いつものように新聞記事頼みの横着記事ですが悪しからず。

平成29年7月19日 中国新聞朝刊

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 夏の思い出 2017-1 祇園祭と京都市電

すっかり「デジ青」からご無沙汰の毎日ですが、外部の愛読者からは「最近、投稿が無いのは、身体でも悪いのか」と心配の連絡がありました。いえいえ元気にしていますよ、ご安心ください。“生きている証し”のためにも、せっせと投稿を続けます。
さて京都は祇園祭の時期を迎えました。DRFC時代なら、前期の試験も終わって“さぁ夏休み”の期間で、京都の学窓を巣立った人間にとっては、祇園祭は何とも言えない解放感・期待感が入り混じった、特別な祭りだったと思います。そんな祇園祭も、齢を重ねると、すっかり観光化した祭りに反発もあって関心が薄れ、この10年以上は行ったことがありませんでした。ちょうど埼玉県から京都へ戻った会員のSさんも、自身のブログで30数年ぶりに祇園祭へ行ったと述懐されています。
今年は、宵山の昨16日、趣味会合の帰りにホント久しぶりに、山鉾の立ち並ぶ烏丸通、四条通を歩き、しばし宵山の雰囲気に浸ることができました。若い世代が圧倒的に増えたこと、そして露店の数の多さにはびっくりしました。

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三江線代替バスルート案

沿線市町村で代替バスルートなどの協議は進んでいるようですが、なかなか全体像が見えてきません。

平成29年7月12日 中国新聞朝刊

この案は島根県側の邑南町が提示したもので、作木口から三次間はそれなりに整備されている国道54号線をメインルートとしたいという案です。島根県側の人が三次に出たい時には、三江線と同じ江の川沿いの狭い道を時間をかけて三次に向かうよりは54号線ルートの方が早いので至当な案でしょう。この案では口羽・三次間の旧三江南線の大半はルートから外れることになります。ただ三江南線に沿って国道375号を走る路線も検討されてはいるようですから、沿線住民の利便性を優先しながら、乗換えが少々面倒だったり便数が少なくても旅行者にとっての選択肢も残した案になることを期待します。

梅小路のKS50

先日 母の3回忌で墓参した帰りに閉館までの時間を気にしながら駆け足で館内を一巡してきました。確かにKS50がありました。今回はこのワンショット投稿です。

梅小路のKS50

昨年に続いての快挙です

先日皆様にご案内しました、「富士フイルム50000人の写真展」には6名の方から応募を頂きました。(事務局で把握している方々だけですが)その中から米手作市様の「窓」という作品が、見事「鉄道のある風景」部門の「心に響いた20選」に選ばれました。昨年の総本家青信号特派員様に続く2年連続の入選で、改めて当会のレベルの高さが証明されました。

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瑞風と三江線

今月17日から山陰・山陽を走り出した「瑞風」ですが、瑞風が停車する沿線自治体は 豪華列車がわが町に停車することを自慢げにPRし、マスコミもそれに乗っかって 新聞、TVで盛んに報じています。

平成29年6月28日 中国新聞朝刊

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三江線はどうなるの?

米手作市様から問いかけがあって気になっていましたが、今朝の中国新聞記事でその答えとさせて頂きます。

平成29年6月26日 中国新聞朝刊

同紙 (続き)

8月末には具体案が見えてくるようです。いずれにせよ全線を乗り通そうと思えば、2,3種類のバスに乗り継がねばならなくなるのではと想像します。果たしてどうなることやら。

京阪大津線の新塗装色

京阪大津線の塗装色が新しくなりました。本線と同様のデザインに統一することとなり、最初の700形1編成が新塗装になりました。今年度から4年かけて順次石坂線の600,700形、京津線800系 の全車両の塗装が新しくなり統一されます。

数日前から営業運転に入っていたようですが、今日出かけた折、たまたま新塗装色の車両が来ましたので写真を撮ることができました。また、塗装色の変更により、京津線と石坂線が同じ配色になるため、両路線を識別しやすくするために路線識別マークが設定され同時に運用が開始されました。新塗装はあまり違和感なく結構良いかなと思っていますが、800系はどうでしょうか。そもそも800系の色は琵琶湖の水面をイメージしたものだけに、地元の人間としてはなじみがあります。

↑ 路線識別マークは右上の行先表示の横にあります。ヘッドマークのような大きなものがつくのではと思っていましたが、これでは見にくいですね。 続きを読む

三江線関連の小ネタ

平成29年6月20日の中国新聞朝刊に載っていた記事です。広島県安芸高田市にある歴史民俗博物館が三江線の企画展を計画しているが、手持ちの資料が少ないので 貸してくださいとのお願い記事です。

平成29年6月20日 中国新聞朝刊

同館は毛利元就の居城 吉田郡山城のふもとにあります。ところが吉田町は鉄道によるアクセスが悪く、芸備線向原駅、吉田口駅、甲立駅が最寄り駅ではありますが、クルマでないと行きにくい場所です。

資料を借りたいとは言いながら、持参して来館できる人に限るということですから そんな枠をはめると どれだけの資料が集まるか疑問ですね。もし万一「貸してもいいよ」というお宝があれば 私宛にお送り頂ければ 私が飛脚となって吉田郡山城麓まで届けることは やぶさかではありません。

 「トレランス8号」 三陸鉄道を走る 〈下〉

釜石から戻りとなる「トレランス8号」は釜石18時10分発、移りゆく車窓は、次第に夕闇に包まれようとしていた。

往きの「トレランス8号」は15時25分に終点の釜石に到着しました。釜石と言えば、駅前に新日鉄釜石製鉄所があり、巨大な煙突から煙を吐き出していた40年前の印象が忘れられません。その後、高炉もなくなり、今では線材を生産するだけの一部門になり、工場は大幅に縮小されています。釜石駅周辺も津波被害がありましたが、ほとんど感じられないほどに復旧していました。この釜石駅ホームで本日のもう一つのイベントが行われようとしていました。

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 「トレランス8号」 三陸鉄道を走る 〈上〉

三陸鉄道南リアス線の恋し浜駅に停車する、佐竹さん貸切列車「トレランス8号」、レトロ調車両36-R形が充当された。時間を掛けた、ゆっくり旅で、まさにトレランス精神あふれる列車となった。
佐竹保雄さんの貸切列車「トレランス8号」が、6月11日に三陸鉄道南リアス線盛~釜石で運転されました。「トレランス」号は佐竹さんが皆さんを招待し展望車を連結した京都発京都行きの特別列車で、1989年に運転を開始して、ほぼ一年ごとに運転され、1996年の7号で完結を見ました。
その後、佐竹さんは、震災復興を願って毎年「東北展」を開催され、三陸鉄道の南リアス線全線開通時にも、自ら撮影に出掛けられるなど、とくに三陸鉄道とは強い絆が生まれ、20年ぶりに場所を変えて「トレランス号」の復活運転となったものです。クローバー会でも参加者を募ったところ、私と、西村さんご夫妻の計3名が参加することになり、本隊の約30名と現地で合流して乗車を果たしました。車中では、“震災の語り部”から当時の様子を聞いたり、そのあとはバスに乗り換えて、佐竹さん思い出の地や震災遺構を見学したりと、震災後6年目を迎えた現地でその思いを新たにしました。

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広島から小ネタ2題

忘れかけた頃に登場する三江線の連載記事と広電の話題です。

平成29年6月8日 中国新聞朝刊

平成29年6月9日 中国新聞朝刊

広島の小ネタ(続編)

先日ご紹介した広電関連の続報です。

平成29年5月29日 中国新聞朝刊 連載はこれで終わり

平成29年5月30日 同紙

広島から小ネタいろいろ

いつものように新聞記事の寄せ集めで失礼します。まずはがんばっている井原鉄道について。累積赤字は大きいですが、集客努力などの成果は立派だと思います。

平成29年5月27日 中国新聞朝刊から

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写真展での発見

先の花見小路での写真展の最終日に会場にお邪魔し、片付けを手伝いもせずに退散致しました。準備、片付けをして頂いた皆様方に感謝申し上げます。さて力作揃いの写真の中で 山科の人間国宝が南米ペルーで撮影された写真がありました。その中の1枚を見て「アレッ、ひょっとして!」と目が釘付けになりました。了解を得て記録撮影して帰ったのがこの1枚です。

右端の緑色の機関車にご注目!

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広島から小ネタ2題

またしても中国新聞ネタです。ひとつは三江線関係です。以前にもご紹介した廃止後の資産の処分問題です。

平成29年5月13日 中国新聞朝刊

平成29年5月24日 同紙

どう考えても「タダほど高いものはない」わけで 慎重姿勢は当然でしょう。✖✖学園や〇〇学園をこういう土地に建てれば 安上がりで かつ地方創生になるのでは?

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 写真展「鉄路輝く」 滞りなく終了

5月3日から開かれていた第7回クローバー会写真展「鉄路輝く」は、86さんから報告のように、5月9日、千秋楽を迎えました。この日も朝から熱心な来場客があり、会員とともに、あの話この話に盛り上がりを見せていました。そして午後4時、この日はこれで終了、即撤収で、つぎの設営が待ち受けているため、許された時間は30分、そこは結束力で鳴らしたクローバー会、某責任者の号令一下のもと、逆らう者もなく、てきぱきと作業をすすめ、30分後にぴったり作業を完了、“立鳥跡を濁さず”のごとく、10分後には写真展会場を出て現役生の新町ボックスへ額を戻し、ゲストの写真・額は私宅へ運び込み、午後6時には、撤収作業を完了しました。お世話になりました会員の皆さんに厚く御礼申し上げます。

黙々と、しかし効率的に作業を進める会員たち。静岡県や三重県から遠路駆け付けた会員もいて、一糸乱れぬ作業ぶりで、予定どおりに終了した。

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写真展を楽しませていただきました。

第7回写真展が本日幕を閉じました。期間中何度か受付をさせて頂きましたが、いろんな方が来られて、話も弾み、楽しませていただきました。その中での話題です。

6日に来られた方、名刺と共に一枚の写真を取り出されました。昭和38年学鉄連でカメラバスツアーが行われた時の記念写真でした。学鉄連は昭和38年4月に発足したそうで、この年の10月この年の当番校となった甲南大学が計画したツアーです。持参されたメモ書きには25名が参加、その中に同志社の方も3人おられたのだが、どなたかご存知の方はおられるでしょうかとのことでした。何せ50年以上前のこと、とりあえず写真をいただいて、聞いてみますと言ったものの全くあてはありませんでした。しばらくしてこられた大阪通信員様にこんな写真がありますが、とお見せしたところ一目見てこの右端は僕やとのこと、他の二人の方もお名前が判明し、50年以上の時空を隔てて時間がつながりました。↑ 大阪通信員様の了解を得て掲載させていただきました。

今日の最終日に来られた方、しばらくしゃべった後、カバンから本とアルバムを取り出されました。本は、交通公社昭和52年発行の時刻表復刻版、当時5000円もしたものです。アルバムはN電、蒸機の写真が満載、断捨離したいのでどなたかもらっていただきたいとのことでした。いずれも貴重なものでありがたくいただきましたが、ちょっと複雑な気持ちでした。

この他、乙訓のご老人が常々「僕の師匠や」と話されていたKさんがこられました。80代半ばと言われていましたが、お元気で、伝説の方かと思っていた方からありがたく名刺をいただきました。みなさんご熱心でゆっくり写真を見られ、長い方は3,4時間も滞在して話し込んでいかれました。私の参加した中ではいろんな意味で一番面白かった写真展ではなかったでしょうか。写真集めからプリント、額装などの事前準備、また連日会場に詰められた総本家青信号特派員様ありがとうございました。

三江線駅物語 その2 三次駅 

4月15日[83825]で所木駅の記事をご紹介しました。えらく間延びした連載記事で その2の三次駅は5月3日の掲載でした。スキャンしていたのにアップするのを失念していました。

平成29年5月3日 中国新聞朝刊

「寒中北海道見聞録10号車」のKAWANAKA氏のコメントにもあるように、「公共性」を投げ出して「経済性」しか考えなくなったこの国が 本当に住みやすい国になってゆくのかと 地方で生活していると肌で感じます。「地方創生」などと耳ざわりの良い言葉がむなしく聞こえます。