クローバー会第7回写真展「鉄路輝く」、5月3日(水)から開催し、連休期間も終わり、展示も一区切りを迎えました。連日、多くの皆さんに来場いただいて、会員との対話の輪があちこちで生まれています。ネットの世界では味わうことはできない、双方向の交流が続いています。連休も終わって展示も残すところ、あと2日、まだの方、もう一度、その感動を味わいたい方、ぜひこの2日間にお越しいただき、二度と見られない珠玉の写真をじっくりご覧ください。
5月3日(水)~9日(火)11~19時(最終日9日は16時で終了)
京都・祇園「ぎゃらりぃ西利」(京つけもの「西利」祇園店3階)
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広電 大増発
ひろしまフラワーフェスティバルは平和大通りを中心に5月3~5日の3日間開催される広島最大のお祭りです。昭和50年にカープが初優勝し、平和大通りで行われた優勝パレードの高揚感と成功体験が フラワーフェスティバル誕生につながり 今年で40回目を迎えました。この3日間は広電も特別輸送体制をとり、電車が大増発されます。宮島線で早朝だけしか走らない3100型なども駆り出されて走るのではないかと期待して、広島の街を歩くことにしました。特に宮島口から紙屋町経由広電本社前行きの臨時電車8本が集中して走る11時台に狙いを定めて出かけました。
臨時便の仕業を終えて千田車庫へ入庫するのが 日赤病院前行き0番系統です。「臨」の下に「フラワー会場経由」と表示されています。広島市民が「フラワーへ行く」と言えば「フラワーフェスティバルを見に行く」という意味です。「フラワー会場」とはパレードが行われる平和大通りを意味します。
クローバー会写真展 開催まであと3日
クローバー会写真展の開催まで、あと3日となりました。今日からは、出来上がった写真を特注のマットに貼る額装作業にも入り、ますますその雰囲気が出てきました。多くの皆さんからは“ぜひ見に行きます”と期待の言葉をいただいていますが、“そんなギャラリー知らん。分かりやすい行き方を説明せぇ”と聞き、私も現地へ確認に行ってきました。
すると、何とハガキにも指定した祇園四条駅から経路が通行止めになっていて、遠回りを強いられることが判明しました。そこで、今回は、京阪電車祇園四条駅からの行き方を図解しましょう。
① まずは祇園四条駅で下車、右手奥の6番出口を目指すのが指定の経路。
② スタバ横の6番出口へ行くと、ン!? なんと通行止め。上にある南座の耐震工事のため閉鎖中と判明。
三江線と可部線 続報
三江線の代替バス路線(案)が提示されました。ただ これはあくまで中国運輸局の案であって、これをベースに具体案を協議してゆくようです。沿線の地形や道路事情から考えればルートは自ずと絞られてきます。いくつかの事業者が各地域の生活路線として運営し、三次・江津間を乗り通そうとすると 何度か乗り換えるかたちになるのでしょう。乗換えはやむを得ないとしても 生活路線としても旅行者にとっても いかに上手な接続ダイヤを設定できるかが見ものです。運賃も全線乗れば相当高くなるような気がします。
クローバー会写真展 開催まであと5日
第7回クローバー会写真展「鉄路輝く」開催まで、あと5日となりました。 すでに機会を見つけて告知には努めていますが、本日からは、トップページも写真展告知に模様替え、当ホームページでも写真展ムードを盛り上げることにします。
◆第7回クローバー会写真展「鉄路輝く」
とき / 2017年5月3日(水・祝)~5月9日(火)11~19時 7日間 無休
ところ / 「ぎゃらりぃ西利」
京都市東山区四条通祇園町南側 京つけもの西利祇園店3階
(京阪祇園四条駅下車、四条通南側を東へ徒歩2分)
▲写真展が行われる四条通の「西利祇園店」、この3階にギャラリーがある。
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三江線の資産処分
備後落合余話
C56108保存会様の会報に紹介されました
先にご報告しましたように、4月8、9日に木次線ツアーが催行されました。この旅行で以前デジタル青信号の木次線投稿記事にコメントを寄せられた、C56保存会のおろち様にご連絡させていただいたところ、現地で保存機のご案内、また、懇親会の折に保存の苦労話などをしていただき大変お世話になりました。
昨日おろち様より保存会の会報が送られてきて、そこに我々の訪問の事を載せていただきましたのでご紹介いたします。また、お手紙には進呈しました木次線のフォトブックへの謝辞と共に、今年迎える木次線全通80周年の記念に、木次線の歴史をフォトブックで作成してはどうかの話しが保存会の中で出ており、作成する場合には協力してもらえないかとも書かれていました。デジ青が繋いだ交流の輪を大事にしていき、要請があった場合、会としても協力していきたいと思っております。皆様、昔のネガをひっくり返して木次線の写真がないか今一度お調べください。


写真展「旅路の記憶」を開催して

ふつう写真展の記事と言えば、始まる前の投稿が通例ですが、終わってしまってからの報告になってしまいました。4月7日から12日まで、高槻市内のカフェギャラリーで、故・中島忠夫さんの写真展「旅路の記憶」を開催しました。中島忠夫さん、と言えば以前のピク誌などで蒸機の写真をよく載せられていたことで知られています
4年前に80歳で召天されましたが、クローバー会のKH生さんとともに、氏の功績を広く知ってもらうため、ご遺族の理解・協力のもと、ネガのデータ化を推進してきました。昨年には、フォトブックの制作発行、継続して鉄道出版社への写材提供を行い、今回は、永らくお住まいだった高槻市内での写真展を開催することになりました。
▲中島忠夫さんを偲ぶ写真展。中島さんの人生と、撮影旅行の思い出を重ね合わせてタイトルを「旅路の記憶」とした。▲▲蒸機の写真だけでなく、地元大阪の古い写真も展示、合わせて故人愛用のカメラ・模型も展示した。
広島から3題
先週の木次線ツアーでは満開の桜を堪能しました。木次線のあと三江線に行かれた方もおられました。廃止まで1年を切った三江線の桜も花吹雪になっていることでしょう。こんな記事もありました。
祝:同志社大学鉄道同好会優勝!
何のことかと思われるでしょうが、4月15日(土)17時10分からNHKテレビで「鉄オタ選手権 京阪電鉄」が放送されました。私も途中から偶然見たのですが、中川家(京阪ファンで有名)が司会をして京阪電鉄若手社員3名、鉄オタお笑い芸人3名、そして我がDRFC現役が会長率いる3名で京阪に関する知識で対決するものです。途中からですから集電器を見せて何型の車両に付いているかを訊いているようでした。その時点で三チームは同点でしたから互角の戦いと言うことでしょう。はっきり見た質問は「◯◯から◯◯へ、ジリリン ピリピリ ポーポ 京阪特急~」の◯を駅名で埋めよ、と言うものと、下り方向の発車ベル(音楽)を聞かせて駅名を当てよ、と言うものでした。結果は「天満橋から三条へ」は全員正解で最終問題へ、最終問題が三駅有り全問正解はDRFCだけで優勝となりました。
なかなか難しい問題(我々には)ですが、なぜか大学としては同志社だけが選ばれていて驚きました。何にしても女性会長率いる現役がNHKの番組で何度も「同志社大学鉄道同好会」のタイトルを表記させたことは嬉しい限りでした。
出来るなら、学生も事前に我々にも知らせてほしかったと思います。
「50000人の写真展」応募のお誘い
昨年多数の方に応募いただきました富士フイルム「30000人の写真展」が今年も開催されます。今年はさらにパワーアップし「50000人の写真展」となり「一般展示」、「なつかしいあの頃」、「鉄道のある風景」の3部門で募集されます。「鉄道のある風景」部門の展示は大宮鉄道博物館で7月22日~30日、名古屋リニア・鉄道館で8月19日~27日、京都鉄道博物館で10月28日~11月5日に行われます。詳細につきましては添付資料を参照ください。出品ご希望の方は事務局までご連絡ください。
山陽本線河内駅とシティ電車
先に投稿しました「227系の功罪」に対する1900生さんのコメントで「シティ電車」の話が出ました。当地でも「シティ電車」と書かれた看板を見た覚えがあった河内駅に行ってみましたら、今もありました。
河内(こうち)駅といってもご存知ないでしょう。山陽本線三原駅から広島方面に向かい、2番目、本郷駅の次が河内駅です。歴史は古く明治27年に山陽鉄道によって開業しています。現在は東広島市の東端にあたります。古レールを組んで作られた跨線橋があり、そこに「シティ電車」と書かれた看板が取り付けられています。そもそも「シティ電車」とは国鉄時代の昭和57年のダイヤ改正で広島・岩国間の電車が15分間隔で設定された際に「シティ電車」という愛称が使われたようです。その後昭和59年に広島・西条間と広島・呉間が30分間隔になり、61年には広島・岩国間が10分ヘッドへと増発されてゆきます。昭和62年にJR化されます。
一方 現在は東広島市ですが平成17年まではここは賀茂郡河内町でした(余談ながらこの賀茂郡と言う地名は 中世に京都の賀茂神社の荘園であったことに由来しています。賀茂川もあります)。従ってこの看板はJR発足後で、かつ平成17年以前に掲げられたことになります。現在広島から上り方面に西条止りは殆どなく 更に東の白市折り返しとなっています。白市駅が広島空港に最も近いJRの駅のためです。現在の広島空港の開港は平成5年10月ですから、シティ電車が西条折り返しから白市折り返しに延長されるのも平成5年以降です。看板に「延長を!」とあるのは 白市駅まで延びてきたシティ電車があと2駅延びれば河内駅だからです。しかしこの願いは実現していません。そんなことより、ひと昔も前の看板が今も掲げられていて 10年ほど時計が止まっているような感じがします。
227系の功罪
広島地区に久方ぶりの新型車227系が投入されて、すっかり定着してきた感があります。中国新聞読者投稿欄にこんな一文がありました。
私は広島市域から離れた場所に住んでいますので、ときどき広島に出かけるのに227系に当たるとラッキーと思い、115系が来るとガッカリという思いしかありませんでした。227系はMC+M+MCの3両編成かMC+M+M+MCの4両編成が基本だったと思います。一方115系はTC+M+M+TCの4両が基本ですから、改造車のクモハMC+M+TCの異端編成でない限り殆ど4両でした。なので227系投入でサービス低下を招いているのかもしれません。通勤時間帯の広島市域の実態を体験していませんが、この投稿者の言われる通りだろうと思います。
三江線 あと1年
39685機の写真、さいたま市中央区役所に到着
デジタル青信号は鉄道情報発信の始発駅
デジ青のシリーズもの特番記事に、準特急さんの『保存機とその現役時代』があります。昨年12月で37回にもなる長編連載記事です。今回その関連記事に、準特急さん以外の筆者が無断で割り込みます。お許しください。
実は去る3月7日、デジ青の管理人・小西さんを通じて、筆者宛にこんなメールが届きました。
発信者は、さいたま市中央区役所・区民生活部総務課・防災総務係の I さんです。曰く『デジタル青信号37606号、人と鉄道と-沿線の人々-に掲載の蒸気機関車39685の写真を使わせていただけないでしょうか。都市合併前の旧与野市時代、1972年から市役所東側に同機が保存されていましたが、老朽化が進み危険でもあり、この程解体されました。ついては同機を偲び市役所内に、39685機の写真、それも現役時代の写真を掲示しようと企画中です。』
早速返信を送りました。『何の制約もなく、ご自由にお使いください』と。それと、指摘の画像は同機が玉川口駅に進入するカラー写真(下の画像)で、他に山中の走行カラー(次ページの画像)とモノクロ写真がありますよと、筆者のホームページを紹介し、拡大印刷用に画像データをCDに焼いて送りましょうかとメールしました。すぐに返信が到着、『こちらからは何もできないがいただいてよろしいでしょうか』とありましたので、3月11日データを送りました。近い内に展示されることでしょう。
▼デジ青37606号の記事(2013年7月21日)内から、39685機の画像を再掲載します。

明日から 新しい阪急・嵐電西院駅
京都の西大路四条交差点、西院で、阪急西院駅の新改札口2ヵ所が完成、嵐電西院駅もホームが移設され、明日25日から供用が開始されます。今まで西大路四条西南角にしか改札口の無かった阪急駅では、河原町方面ホーム東端に北改札口が新設され、四条通の北側に移設された嵐電駅の嵐山方面ホームに接続されます。また梅田方面ホーム東端にも、南改札口が新設され、嵐電駅の四条大宮方面ホームと接続されます。
これにより、交差点を渡って徒歩連絡を強いられていた阪急・嵐電接続が、梅田方面から嵐山方面へ、逆の嵐山方面から梅田方面への乗り換えが直結され、円滑に移動できるようになりました。
▲四条通の北側、ビルの壁面に移設された嵐電嵐山方面ホーム、このビル用地は、もともと嵐電のもので、マンション「ランフォート西院」を建設、地下部を改札口とした。
さよなら 京都のツーステバス
久しぶりにバスの話題をひとつ。
今日は、佐竹さん「東北展」の片付けに、有志会員とともに行ってきましたが、その帰り、京都市バス車両の最後を見届け行ってきました。そのバスとは、乗降口が2段になっている高床式のツーステップバスで、残っていた1両がこの日、最終日を迎えました。平成7年式のバスで、実に22年も前に製造されたバスで、公営バスとしては、日本最古の部類に入るでしょう。
ほかの都市では、とうの昔に姿を消したスタイルですが、京都は、大阪府・兵庫県の市町のように、排気ガス規制の対象地域に該当せず、大事に使われて元気に走り回っていました。しかし、2016年度の新車両が導入され、ついに最後の運行を迎えたのでした。京都市交通局では、ホームぺージで最終ダイヤを載せるなど、古参バスに異例の対応を見せました。
▲本日ラストランの京都のツーステップバス、九条営業所所属の6261号車、いすゞKC-LV280L型、ボデーは、アイケイコーチで架装されたキュービック型、左右に三角固定窓を設けた独特のスタイルも見ることができない。










