来年春に可部・あき亀山間1.6Kmが延伸開業予定で、今月23日からは試運転も始まることになっています。可部・三段峡間が廃止されたのは13年前の2003年(平成15年)12月1日。一旦廃止された区間が一部とは言え再び開業するのはJRになってから初めてということで話題になっています。今回延伸される区間は廃止後そのままの姿で残されていましたので、様子を見に平成23年の夏に廃線跡の一部を歩いたことがありました。それから5年が経ち、再起も近いということで再び訪ねてみました。廃線跡歩きは各地で何度も経験していますが、開業前歩きは初めてです。なお廃線跡歩きは通常路盤内を歩くことが多いのですが、今回はもちろん線路内ではなく 線路につかず離れずの道路歩きです。
まずは可部駅の風景の比較から。
新ホームは12月18日から使用開始だそうです。一方右手にある行き止まりの1番、2番ホームは廃止されます。この線路切り替えも18日に実施され、その作業のため一部の列車の発着時刻も変更されるようです。
従来は西口のバス乗り場から構内踏切を渡って電車に乗り換えられていたのに、18日以降は広島方面行きは跨線橋を渡らなければならず、高齢者には不評のようです。
すでに可部線の電車はすべて227系に置き換えられたようで、時間帯に応じて2連、3連、4連が走っています。5年前は105系と115系でした。
改札口の上にはこんな看板もありました。
さて可部駅を出て 延伸区間方向へ歩くことにしましょう。すぐに西中野踏切があります。これも新旧比較を。
先を急ぎましょう。しばらく行くと道路と立体交差します。
ここで気付いたのですが、線路の両脇はすき間なくフェンスが設置されています。今頃の地上を走る新線はどこでもこうなのでしょうか。高くつく筈です。
線路長では可部から800mで次の駅「河戸帆待川(こうどほまちがわ)」です。ホーム1面の無人駅で、ホーム側は完成し、駅舎や駅前が整備中でした。
線路と並行して走る広島交通のバス路線がありますが、便数は非常に少なく 電車が走り出すと格段に便利になりそうです。
この延伸について地元は総論賛成ながら、各論では生活道路が分断されるという踏切問題で協議が重ねられたと聞いています。結果的には2ヶ所の踏切が廃止されることで決着したようです。
看板にもあるように自転車や車いすの方は迂回してもらうことになるのですが、近くにエレベーター付きの立派な跨線橋が建設中でした。工費3200万円とのこと。
踏切廃止で決着したものの、こっそり線路を横断する不届き者を締め出すために全線フェンスでガードしたとも思えますね。
あき亀山駅も近づいてきました。
あき亀山駅の直前に太田川の支流灰川に架かる灰川橋梁があります。きれいに塗装され 枕木も新品でいかにも新線らしいプレートガーダー橋です。
でもよく見てみるとリベットが打たれた かなりの年代もののようです。近づいて観察することにしました。鉄橋の下をくぐって反対側に回ってみると、ありました。銘板が取り付けられています。
まだ工事途中なのか防護ネットが前を邪魔していてうまく撮れません。何層もペンキが塗られているので字も読みづらいのですが、上半分は
鉄道省 活荷重KS10 〇〇ては019 汽車製造株式會社製作 昭和十年 (〇〇〇276)
下半分は字も小さく 殆ど読み取れません。この下にもう1枚小さい銘板がありましたが、解読不能でした。可部から陰陽連絡の構想のもと北に向かって まず可部・安芸飯室間11.1Kmが開業したのが1936年(昭和11年)10月13日ですから、この鉄橋の製造年が昭和10年というのは理にかなっています。リベットを打って作られてから80年を経た近代化遺産ものの鉄橋です。KAWANAKA様、KS10とは汽車會社の橋梁に関する規格なのでしょうか?いずれにせよこの種の構造物は大切に使えば100年は使えるということ、そして当時のモノ作りの確かさを物語っていると感じました。
鉄橋もきれいなのですが、橋台(支承部)もきれいです。多分一旦ガーダーを吊り上げて外し、探傷検査や再塗装する間に橋台も補修工事をしたのではと思われます。
さて終点のあき亀山駅までもう少しです。そこでこんな看板を見つけました。
この看板 一瞬「安佐市民病院が可部線延伸を歓迎」と思ってしまいますが、そうではなく「安佐市民病院が来てくれるのを歓迎」なのです。実は可部市街地にある広島市立安佐市民病院が手狭になり、老朽化も進んでいることから新病院建設が大きな問題となっていました。病院近隣の住民からは現在地で建替えてほしいと言われ、それでは敷地面積や建替え工事期間中の代替施設が確保できないという市側の言い分が折り合わずに時間が過ぎていましたが、可部線延伸が決まったことで一気に話が前に進んだようです。あき亀山駅近くに最新鋭の病院を建設するとともに、現在の病院も改装して、一部の診療科を残すという案で落ち着いたようです。そういう背景もあっての「歓迎」なのです。
あき亀山駅は駅や線路、信号、架線工事は終わっていて、駅前周辺などの工事が進行中でした。
ここから先 三段峡方面にはまだ築堤が残っています。今回はここで折り返すことにしましたが、ここから先の廃線跡歩きも楽しそうです。
駅前にはこんな案内図もありました。2011年製作のようですから、新駅開業で更新が必要ですね。
可部・あき亀山間1.6Kmですが 回り道をしながら片道約1時間で歩けました。可部まではまた違う道で戻ったのですが、この延伸を当て込んでか、最近できたばかりのアパートや住宅が目につきました。この秋三段峡を訪れた外国人観光客が非常に増えているとのニュースがありました。それほどPRしているとは思えないのですが、紅葉の見事さに感激した訪問客の口コミで バスやタクシーで訪れているようです。渓谷というものがない国オランダからの観光客は渓谷歩き、滝、紅葉、小舟での渓流上りなどが感銘を受けるほどの体験だったようです。もし可部線が三段峡まで残っておれば、一大観光地として脚光を浴びていたかもしれません。あるいはこのままのほうが秘境感があって良いのかもしれません。廃線跡の写真にも写っているように ここから奥にもまだ住宅地は広がっています。駅が多く単線で時間のかかる可部線ではありますが、広島市中心部へのアクセスは新白島駅開業もあって便利になっていて、延伸のメリットは大きいと思われます。「安全・安心」「人に優しい」「バリアフリー」など以前に比べて公共交通機関に求められる必要条件は格段に厳しくなっており、容易に新線開業は難しいとは思いますが、バカな豪華列車を作って喜ぶのではなく もっと地に足のついた投資ができないものかと また愚痴でのしめくくりとなりました。
実は井原鉄道開業直後に車庫で限界測定用のおいらん状態の鉄建公団のモーターカーを見たことがありました。もうすぐ試運転開始だということで、実は今回もそのような限界測定用の特殊な車両などが来ているかと期待していましたが、その姿はありませんでした。12月23日から試運転開始ですが、正式な開業日はまだ公表されていません。約3ケ月ありますので、年が明ければまた様子を見に行こうかと思っています。ただ沿線で見た電気設備には「融雪装置」の表示もありました。広島市北部の安佐北区は積雪地帯でもあり、冬場の訪問は要注意でもあります。
長ったらしいレポートになりましたが、開業後乗ってしまえば5分とかからない延伸区間ではありますが、面白い発見があったウオーキングでした。
かなり大規模な工事をやるんですね。こういうご時世ですから線路などの設備も後々メンテの手間を省くためにきっちり費用と手間暇をかけているのでしょう。特急でも走らせるような立派な線路に見受けられます。ここまで投資するのは殆ど宅地の無い広島都市圏にあって、延伸区間が将来とも有望な住宅地と看做されているのでしょうね。
廃止前年の暮れに三段峡まで小生なりのさよなら乗車をしたことがありました。可部からの往復ともJR職員が添乗して乗客数調査をしていました。地元とギリギリの交渉をしていた時期だったようで、旅客数が持ち直すなら廃止を考え直すという話も噂されていました。現に三段峡からの復路の列車に、加計からだったと記憶しますがドッと団体が乗って来て満員になりました。聞けば町の職員の忘年会を可部の料亭でやるためだとか。いわゆる「乗って残そう我が可部線」を実践していたようです。しかし残念ながら翌年には廃止になってしまいましたが。山口線日原まで出来ていれば中国山地のまた新たな車窓風景を楽しめたのにと思うと、未成線につきものの期待感とはいえ、惜しいことだったと思います。
1900生様
さよなら乗車に来られていたのですね。もし今も存続していたとしても、三江線と同じ運命を辿っていたことでしょう。観光で集客というのは中山間地では極めて難しいと思います。宮島でさえ島民が減って 観光客を迎える側も連絡船で通勤という状態ですから、イノシシや鹿の方が優位な山の中ではなおさらです。NHKのクローズアップ現代+でJR各社の地方線区が厳しい状況にあることや若桜鉄道ががんばっているなどを話題にしていましたが、要するに国としての公共交通に対する確たる方向、方針がなく成り行き任せですからしっぽ切りに終始してゆくのでしょう。可部線2駅延伸は特異な事例になるでしょう。今どきの新線が付帯設備を含めると高くつきそうなのが良くわかりました。走行写真の撮影には不向きな1.6Kmですし 開通後に再訪するだけの魅力が無いというのが正直な感想です。