京都で最後の583を見送る 

583系天理臨が、青森から長躯、京都まで運転されました。唯一生き延びた編成も、そろそろ先が見えて来たようで、とくに天理臨で京都まで顔を見せるのは最後のようです。25日の京都着は午前5時台で、これは鉄鈍爺さんが驚異の早起きで捕獲されています(No.81136)。583は数日、吹総京都支所に留置され、27日(金)の晩に帰ることになりました。発時刻が不明だったものの、そこは、クローバー会のネットワーク。直前の時変まで共有することができました。到着の2時間ぐらい前からは、京都駅は劇パ状態となりましたが、示し合わせた鉄鈍爺さんとともに撮影場所を変えて撮影することができました。発車の際は、例の中高生の“長い間ありがとう”の絶叫の声に見送られて京都を去って行きました。

京都駅構内へ進入する583系(鉄鈍爺さん撮影)

ファンの洗礼を受ける583系(鉄鈍爺さん撮影)

京都駅0番ホームに進入する(総本家青信号特派員撮影)

22時15分、京都で見られる最後の583が発車して行った(総本家青信号特派員撮影)

京都駅に居合わせたクローバー会会員は二人だけでしたが、たまたま米手作市さんの娘婿さんが現場に居合わせ、異様な劇パ状態に恐れをなして、米手さんに緊急の電話があったそうです。また、先ほどの準特急さんの連絡では、遠く岩手の好摩付近で撮影を終えたと連絡がありました。いまも元気で現役な、クローバー会の活動の輪でした。

 

10 thoughts on “ 京都で最後の583を見送る 

  1. 夕方の好摩-岩手川口で太陽が山にかかりまだら模様でした。鉄鈍爺さんに報告しないといけないですね。

  2. 総本家青信号特派員さま、投稿ありがとうございます。

    当初予想より発車日時が早まり、危うく撮り逃す所でした。
    やはり「持つべきものは良き友達」と思った次第です。

  3.  鉄鈍爺さんの早朝レポートに始まり、総本家さんの今回のレポート、お二人の素晴らしい連携に脱帽です。そして、準特急さんは東北で撮影とクローバー会のネットワークは素晴らしいですね。パチパチ・・・
     お陰様で583系の勇姿を楽しむことが出来ました。有り難うございました。
     583系の関西入りは最後ですか!? 月光型としてデビュー、私は雷鳥として481系の補完として運用されている時に利用したことが何度かあります。正直ちょっとがっかりしたものでした。晩年北陸線の普通として確か食パン電車と云われながら北陸路を走っていましたね。なんとも不細工でした。可哀想に・・・
     ところで、劇パとは?沢山の方でホームが溢れそうになってパニックに陥っている状況下のことかと思いますが、何の略でしょう?

  4. 激パとは激しく混んでパニックになっている状態のことです。ネット用語ですので大変混雑していると思っていただければいいかと思います。

    • ええっと「激しい」を通り越して、芝居を観「劇」する様な、総本家さんならではの造語だと、深読み、、、(大笑い)

      • 正しくは“激”だったのですね。決して私ならではの造語ではなく、知らずに使っていました。やはり慣れない言葉を粋がって使うものではありません。でも、ネットを見ても“劇”もあり、案外、その場の雰囲気を言い当てて、市民権を得ているのかもしれませんね。

  5. 撮影された皆さま
    無事?キャッチされたようでご同慶の至りです。とのお祝の言葉で本件は終わるはずでしたが、実はとんでもないドラマがありました。以下に一連の顛末記を。
    鉄鈍爺さまと総本家さまが見送られた翌日昼前に、かつて復活C62ニセコを一緒に追いかけた元会社の同僚から「583を撮りに行くが来ないか」との電話が入りました。「昨夜上って行ったはずだが」と申しましたが、彼は66-27原色機も走るからと柏原へ出かけたそうです。
    はたして柏原では「正午頃京都発車」という同じ情報を得た方が5~6人居られたとかで、「前夜東上」の情報に皆さん一様に驚かれるも半信半疑だったとか。
    夕刻に入った元同僚のレポートでは、うち一人にグリーンJRの方がいて、すぐにある支社の友人に確認の電話を入れたところ、「もうすぐ北白川を通過するので待機中」との返事だったため、全員落胆ガックリされたということでした。
    小生は本件運転計画の詳細を知りませんでしたが、鉄鈍爺さまと総本家さまから時刻予想を仰せつかったこともあり(予測途中で外部情報が得られたため中止)、改めて関係者の皆さんの情報をもとに推測してみると、どうやらある時期まで「28日正午頃京都発車」で計画が進んでいたのではと思われます。事実先のJRの方は20日頃の情報だったと言っておられたそうです。
    通常臨時列車の計画締め切りは数か月前といわれ、いわんや数分程度の微調整はいざしらず、今回のような日程・時刻の大幅変更が直前に行われることは極めて稀有のことといえます。ましてや西・東海・東(及び3セク)と数社に跨る列車であればなおのこと。余程の事情があったものと推測されます。
    最近は団体臨時等の時刻が公表されないことが多く、ネット上に流れる情報を頼りにせざるを得ない状況にありますが、今回のケースは誰かの悪意のあるガセネタと断定も出来ず、被害を被られた皆さまにはお気の毒でした。とはいえガセネタも氾濫しているようなので、この種情報にはくれぐれもご注意のほどを。

    • 1900生さま
      天理臨設定の秘話を聞かせていただき、ありがとうございます。たしかに、以前から天理臨の返しは、昼間に東海道を上がるというのが定説だったような気がしますが、いかかでしょうか。事実、実際の京都駅発着は、直前を走る「びわこエクスプレス2号」が所定21:05京都着のところ、遅れで21:08に到着、そのため天理臨も所定21:10のところ21:12着、3分停車で慌ただしく定時21:15に発車して行きました。何か急遽変更になり、無理やり割り込んだような雰囲気が残りました。

      • 総本家青信号特派員さま
        天理臨の返しが昼行だったか夜行だったかの件は正直よくわからないですね。ただここ最近は昼行が多かったように思います。
        ひと昔前までは年間数回の設定があり、ブルトレ用客車を用いたものが大半で、現在のように京都止めではなく奈良線経由で天理まで入線していました。座席車の場合は復路まで天理駅の留置線に置かれることが多いようでしたが、寝台車の場合はリネン等交換のためか、回送で向日町を往復していました。一度昼下がりの宇治川橋梁でDD51牽引の向日町発回送を撮ったことがあります。この時の復路列車は天理19時半頃の発車でした。
        思うに復路の旅程上夕方に東北地方に着くとした場合、北陸新幹線開業に伴う3セク移管までは北陸路夜行が多く、以降は3セク通過が難しくなって時間がかかっても東海道昼行~東北夜行のケースが増えたのではと推測します。余談ですが、一年前の583の京都発着が昼前後というのはやはり珍しいケースだったのかもしれません。もとより東北地方の発着地によっても時間的条件は変わりますが、今後も天理臨は細々と続くとしても、583系に代わる車種等の条件次第では運転時間帯が変動する可能性はあると思います。
        天理臨にまつわる昔話ですが、昭和45年の初夏の頃、丁度小生が車掌見習として宇治線に乗務中、宇治駅を発車してから六地蔵駅に着く直前まで、奈良線のD51牽引(天理)臨時客車レと並走したことがありました。こちらは電車で相手はSLとはいえ、当方は各駅停車のためノンストップで走るD51に少しづつ引き離され、運転士にもうちょっと早く走ってくれと頼んだもののついに見えなくなってしまいました。古き良き時代の出来事でした。

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