▲ 21:05 函館駅8番線に到着したのは札幌16:12発⇒上野9:25着のDD51重連牽引の寝台特急カシオペアです。北海道新幹線開業により消えゆく列車になります。札幌発は今年3月20日、上野発は19日が最終運行日となります。(※ 今後は団体臨時列車としては運行)今まで乗車する機会のなかった豪華A寝台オンリーの寝台列車で、乗りたくとも最終日まで全席売切れです。最後の対面となりました。
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「紀行文」カテゴリーアーカイブ
福岡・北九州 路面電車 いま・むかし 〔2〕
天神
博多駅前からブラブラ歩きながら、天神まで来た。商業施設が高度に集積した、九州最大の繁華街も、昭和50年までは、貫線・環状線が交差する福岡市内線の要衝だった。
▲当時の天神のシンボルが、背後に見える岩田屋百貨店で、その南隣は西鉄福岡駅と接していて、改札口と岩田屋2階がつながっていた。九州初のターミナルデパートだった。貫線の西新行きが天神交差点を渡って行くところ。その後、西鉄の天神ソラリア計画により、交差点から南下したソラリアターミナルビルのなかに福岡駅、バスターミナルが入り、この場所はパルコが入店した。いま見ると建物外装が違い、新築のように見えるが、中身は当時のままである。写真では、機動隊、パトカーに囲まれて行進するデモ隊が見える。昭和47年の浅間山荘事件後は、学生運動も下火になって、我々の現役時代と比べると、行進もずいぶんおとなしくなっていた。
はこぶら・津軽の雪飛ばし 2016年冬 Part3 白い道を行く、夜の函館市電を撮る
第1日目 2月17日 その3
16:35 ホテルにチェックインして部屋に邪魔な荷物を置きました。身軽になって、撮影スイッチが入りました。
▲ 17:12 JR駅前を恵山国道から海峡通へと直角に曲がり函館駅前へと入線する3003、2系統の谷地頭行きです。函館のこの日の日没時間は丁度今の時間、17:12です。雪空で直ぐに夕闇がやってきます。薄暮からの夕闇に包み込まれる頃には、車内照明が白い道を照らだします。そんな幻想的なイメージを撮ってみたいと夜撮に臨みました。
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はこぶら・津軽の雪飛ばし 2016年冬 Part2 函館市電、ササラ電車を追う
はこぶら・津軽の雪飛ばし 2016年冬 Part1
▲ 15:35 青柳町~宝来町 新雪を吹き飛ばしながらササラ(排形)電車が走ります。降雪のあった早朝に走るとは聞いていましたがこんな真昼間に、着いたばかりなのに走っているのを撮影できるとは感激でした。
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福岡・北九州 路面電車 いま・むかし 〔1〕
博多駅前
“つい最近”と思っていた出来事なのに、改めて思い返すと数十年も経っていたことに愕然とすることがあります。これも加齢現象のひとつでしょうか。少し前に九州を駆け足で回りましたが、そう言えば、西鉄福岡市内線が昭和54年に全廃にになってから37年、北九州市内線でも最終区間が平成12年に廃止になってから16年になることを改めて知りました。いずれも廃止前には、ほぼ全線を歩いて写しており、時代の隔たりを感じるとともに、感慨深いものを覚えました。「一人で今昔対比ができるのは高齢者のみである」は、準特急さんの至言ですが、生き永らえて地道に趣味活動を続けてきた者の特権として、福岡、北九州での今昔対比を試みようと、久しぶりに両市の中心部を歩いてみました。
▲博多駅前の西鉄福岡市内線、背後に見える博多駅は、昭和38年に完成した第3代目で、それまでの博多駅は別のところにあり、手狭になったため、移転・新設された。路面電車も同時に移設・延長された。駅は、ビル全体を博多ステーションビルと言い、百貨店の井筒屋がキーテナントとして入店していた(昭和51年8月)。
雨のなか 最後の青ガエルを見送る
年が開けて一ヵ月半、少しは自分の時間も持て、小旅行もできるようになりました。こんな時、熊本電鉄の“青ガエル”こと5101Aファイナル運転の報を聞き付け、久しぶりの九州入りとなりました。
かつては福島交通、長野電鉄、松本電鉄、上田交通、岳南鉄道でも、第二の人生を送っていた東急5000系ですが、現役として稼動していたのは熊本電鉄5101Aのみとなりました。両運転台化改造され、数年前に東急時代のグリーン一色に復刻されると注目を集めるようになりました。東京メトロから置換用として入線した01系が増備され、2月14日の運転・展示を最後に引退することになりました。
▲上熊本線と言われる上熊本~北熊本間3.4キロで、「青ガエル引退イベント」として1、2月の休日を中心に5101Aが終日運転された。訪れた2月13日は、青ガエルに相応しい土砂降りの雨、坪井川公園付近の築堤でズクズクになって写した。
福井見聞録 2016年冬 Part4 えちぜん鉄道、雪景色を求めてⅡ
福井見聞録 2016年冬 Part3 えちぜん鉄道、雪景色を求めてⅠ
▲ 昨夜就寝前に外を見ましたら白いものが舞っていました。ひょっとしたら今日は白い朝になるのではと期待していました。6時前に起床、カーテンを開けて窓の外を見ましたが残念ながら濡れた路面が見えるだけです。雨に変わったようでした。
7:04 福井駅前、朝焼けがわずかに残る中、静かに発車を待つ急行越前武生行きです。 続きを読む
福井見聞録 2016年冬 Part2 えちぜん鉄道、北陸新幹線高架を走る
福井見聞録 2016年冬 Part1 雪景色を求めて福井へ
50年前の撮影地を歩く -10-
初の雪中撮影で米原へ <その2>
50年前の米原、初の雪中撮影記を続けます。午前中は、一面の鉛色の空だったものの、午後からは晴れ間も見えてきました。雪の反射を受けて、列車の下回りもきれいに出て、雪の撮影の良さを満喫します。今では人家も建って見通しが利きませんが、当時は、分岐して行く東海道線の上り線がよく見えて、両方を掛け持ちも出来ました。
▲交直接続の米原~田村が電化し、田村駅南に交直のデッドセクションが設けられたのが昭和37年で、その時に、浜松工場でEF553の機器を流用して交直両用の電気機関車ED301が製作された。短区間の米原~田村の折返用に特化した凸型のセンターキャブを採用、屋根が狭いため当時では珍しい下枠交差形パンタを載せた。それまで、蒸機で間接接続しかできなかった直流・交流区間を跨ぐ列車牽引を、初めて電機が担った。交直両用の471系と同じローズピンクの塗色が、雪のなかによく映えていた。
撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(6)
7.武田尾-道場間(2)
武田尾から廃線跡を辿り、大茂山トンネルの対岸×印のところで道が途絶えました。そこで道場側から回り込み、旧線の対岸を○の地点まで引き戻りました。×~○間、距離にして凡そ1kmほどは通過できずとなりました。尤も道場までのこの区間は、廃線の対岸で道路のあるところだけを通りましたので、廃線軌道敷き跡を歩いていません。
▼大茂山トンネル-道場間地図
それで、大茂山トンネルの道場方坑口と、野田尾トンネル武田尾方坑口は見れずじまいでした。せめて野田尾トンネルの道場方坑口をと探しましたが、草木が覆い茂り、なかなか容易に見つかりませんでしたが、石積み箇所をようやく見つけ、坑口も判りました。
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2016台湾の旅(後編)
打狗鉄道故事館はMRT橘線終点の西子湾駅の2番出口を上がったすぐのところにあり、旧高雄港駅で、開業時は打狗駅と言う名前であった事から打狗鉄道故事館と呼ばれています。一昨年ぶんしゅう様が行かれた後、2014年4月19日に新しくDL2台、貨車1台が展示されました。
▲林口発電所で使っていた1970年日立製HG60BB型ディーゼル機関車、動態保存なのか訪れた時はエンジンがかかっていて、2人の係員が何やら触っている。広いヤード跡は緑地になっていてこの日は何かのイベントかタコがたくさん上がっていた。
翌10日は早起きして太麻里に向かいました。太麻里駅で金崙温泉で宿泊して先行されているデカンショまつり号さんに電話して、場所をお聞きし、駅から約30分坂道を歩くと上の方からブギウギさんの呼ぶ声がして、無事に合流することができました。 続きを読む
撮影地今昔-旧・福知山線・生瀬-道場間(5)
6.武田尾-道場間(1)
▼ ❶現武田尾駅の下を潜り、❷右にカーブし、道場方面に向かいます。この道路も廃線跡。❸少し幅が狭くなりました。❹草山トンネルが見えました。
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50年前の撮影地を歩く -9-
初めての雪中撮影で米原へ<その1>
50年前の数年間、冬になると決まって訪れたのが、北陸本線米原~坂田~田村の交直接続区間でした。この区間の魅力を知ったのも、シリーズ前回の加太と同じ「鉄道ファン」の撮影地ガイドでした。この区間の魅力は、時代によって様ざまな交直接続機が見られたこと、湖西線は開業前で、大阪、名古屋方面からの優等列車も、ボトルネックのように通ったこと、そして、冬季は、もっとも手近に本格的な雪中撮影が出来ることでした。当時の米原は近くて遠い駅、もうすっかり雪国の気分を味わえるところでした。
▲雪煙を巻き上げて、高速で走り去る「しらさぎ」。米原駅から国道を歩いて1キロ余り先の撮影地に着いた。この区間は、前年8月に初めて訪れているが、夏とはまったく違った様相を見せていた(撮影日すべて昭和41年1月23日)。
遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part14 帰路
いよいよ帰路となりました。今日はボスニア・ヘルツェゴビナのトゥズラのホテルから陸路をセルビアのベオグラードへ、ここで飛行機に搭乗してドーハ経由にて帰国します。ただドーハに着くのは深夜で空港に一泊、翌日の午前便で羽田に向かいますがここでも深夜着で空港近くの平和島温泉に宿泊しての帰宅となります。何と2泊3日もかかります。
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遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part13 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その9 バノヴィチ炭鉱
▲午前18時24分今回最後の撮影は最初の日に訪れたバノヴィチ炭鉱鉄道のヤードでの2回目の夜撮です。83-158号機と前回(25-30号機)と違って55-99号機が用意され、55-99号機は1段上の路線に停められました。
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台湾の旅2016<前編>
1月8日~13日まで台湾に行ってまいりました。鉄道関係のイベントはないのですが、この時期特に南部は天候が安定し、丁度過ごしやすい気温で我々老体とっては行動しやすいため、ここ数年同じ時期に訪台しています。今回の第一の目的は昨年ぶんしゅう様がレポートされていた高雄のトラムが昨年12月25日より一般乗車できる試乗会が始まったとのことで、この乗車、台湾鉄道で取り残していた部分に乗車し、完乗する。また、今回台湾通のブギウギさんとデカンショ祭り号さんが太麻里に行かれるということで、御一緒して初めての太麻里を案内していただきました。
桃園空港に到着するとまず、バスで高鉄桃園へ、バスは頻発していて、15分ほどで高鉄桃園に到着します。桃園空港では空港アクセスのための捷運が建設中で台北-桃園空港-高鉄桃園-環北間が昨年末に開通との報道がありましたが、延期され、現在では3月末の予定で、一部の話では7月になるのではと言われています。高鉄桃園から乗車、10分あまりで高鉄新竹に到着しました。新竹は新幹線開通当時、台鉄との接続がなかったのですが、2011年に従来の内湾線を改良し、内湾線竹中駅から六家駅まで3.1kmを新設して高鉄新竹と台鉄新竹が接続されました。
▲竹中駅より高鉄側を見る。後に見えるのが高鉄の高架で六家を発車した列車は高鉄に並行して走り、右に90度曲がって竹中の駅に到着します。 続きを読む
遥かなる東欧の旅 ボスニアの現役蒸気機関車を訪ねる 2015年 Part12 トゥズラ(Tuzla)炭鉱鉄道 その8 Rudnik Šikulje炭鉱
▲ 33-503号機と33-504号機が重連で牽引する重量運炭列車です。撮りたいと願っていた列車ですが、最後の日に用意されていました。
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