各地から12名が集まった三江線の旅ですが、その中で地元民である私だけは JRには全く貢献せずマイカーで参加しました。実は私は地元でありながら 三江線を訪れていないばかりか、福塩北線や芸備線も殆んど撮影していないのです。三江線と同様 早朝と夕方中心のダイヤである福塩線府中・塩町間を撮るチャンスと考え、早起きして5時にマイカーで自宅を出発しました。
三次盆地は馬洗川、西城川、可愛川が合流して江の川となる水の豊かな地であるとともに霧に包まれる地として有名です。ようやく明るさを増してきた6:40頃 馬洗川に面した吉舎には霧がたちこめ、霧の向こうから1722Dが姿を現わしました。乗客は1人だけでした。実はこれは1番列車ではなく、府中行きの2番列車です。1番列車は三次発5:15の1720Dで 誰が乗るのだろうと不思議です。この時期は暗すぎて撮影不可能です。
次は吉舎駅で1722Dと交換する三次行きの1番列車1721Dです。少し場所を変えて 浄土真宗明玄寺の前で待ちました。
府中行きの3番列車1724Dは 広島を5:42に発って約4時間をかけて府中まで走る長距離?列車です。
小1時間のあいだにこの上下3本を写すと 1日12本のうちの1/4を写したことになります。朝の福塩線はこれで終了として ぶんしゅう殿と合流し三江線に向かいました。三江線の写真はぶんしゅう殿にご披露願うことにして、三江線の走らない時間帯に足を伸ばして撮影した芸備線の拙作をご紹介します。
神社の名前をメモし忘れましたが 社叢と参道の雰囲気が良いのでこの場所に目をつけたのですが 線路際に笹が生い茂り、足回りが隠れてしまってイマイチでした。
志和地駅には見事な桜の古木に加えて タンポポが色を添えてくれました。上の4863Dもこの4865Dもともに広島行きではなく狩留家止まりです。狩留家・広島間は旅客も多いので単行というわけにはゆかず、広島に向かう人は狩留家で接続する広島行きに乗り換えるというダイヤになっています。
板木川の両岸の桜も満開でした。橋脚の石積みは芸備鉄道時代のものと思われます。
三江線ツアー2日目は私を除いて皆さんが早い列車で江津へ向かわれました。ぶんしゅう殿には潮以北 江津までの間も桜が見ごろと勧められていたのですが、ロケハンを兼ねて芸備線に戻ることにしました。三江線と違って列車本数も多く 短時間に効率よく撮影できます。但し三江線のように追っかけはできません。
茅葺きの立派なお屋敷を見つけ ここで次の快速みよしライナーを待つことにしました。近隣の家の犬がうるさく鳴くのには閉口しましたが、待った甲斐がありました。芸備線も広島近郊はベッドタウン化していますが、狩留家以北 三次、庄原、備後落合、新見とまだまだ原風景が残っています。実は三江線ツアーの2日前に廿日市市で開催中の「日本のふるさとを描く 原田泰治の世界」展を見に行きました。地方の鉄道風景の作品も数多くあり、個々の鉄道の雰囲気を見事に切り取られていて感銘を受けたあとの三江線ツアーでした。1枚だけ絵ハガキを引用させて頂きます。多分上田交通の風景だと思います。
福塩線、芸備線や三江線江の川沿いの農村風景、春の風景を原田さんならどのような絵にされるだろうかと想像しながらの楽しい2日間でした。桜が終われば新緑とこいのぼりの季節です。地の利を生かして地元の風景をしっかりと記録せねばと再認識させてもらった旅でもありました。4月10日には備北交通が窓口の第5回「三江線フォトトレイン」としてまた貸切列車が走るようです。我々はラッキーにも丁度満開の日に当たりましたが 1週間後の10日では葉桜と八重桜でしょう。10日の臨時列車や回送列車のダイヤが判らないので どうしようかと思っていますが、どっと同業者が押しかけるイベントの日は避けて 福塩線や芸備線に出かけるのが正解のようですね。三江線ツアー参加者の皆様の思い出話や作品を是非ご披露下さい。18きっぱーの皆様お疲れさまでした。
三江線ツアーではお世話になり、ありがとうございました。
確かに三江・福塩・芸備北部・木次の各線などは朝しか撮れませんね。車両は小生としてはあまり触手が動きませんが、風景は日本の原風景というか、典型的な里山の風情漂う良い所を走ります。せめて芸備線並みのキハ40・47だといいのですが。かつてC58の末期に福塩・芸備線の撮影を計画したことがありましたが、残念ながら休暇が取れず諦めたことがありました。撮っておればいい記録になっただろうと思います。
芸備線は数年前の開通何周年記念号だったか、キハ48にシールを貼ったニセ58を撮りに行きました。上深川辺りからいいポイントが点在していましたね。当時ローカルはまだ黄色い山口線色が主体で、写欲があまりわきませんでした。今回のツアー後に木次線~芸備線と回り広島へ出ましたが、結構桜もあっていい雰囲気でした。更にDCはもう殆どがタラコ色になっていたので、また撮りに行きたいですね。
仰るように、三次~狩留家の昼間時に3本の単行があります。そのうちの上りの最後の列車は、運用が変わってなければ広島までそのまま直通します。広島着が15時なのによくやるなあという感じですね。
とりとめのない雑談になってしまいました。またカメラに収められたら、懐かしい原風景を走る120を見せて下さい。
1900生様
コメントありがとうございます。C56の動画を堪能させて頂くことができ 楽しい宴となりました。三江線は乗るのも撮るのもひと苦労ですが、同様に福塩線も難儀な線区ですので 積極的に足を運ぼうと思っています。ところで運用の神様への質問なのですが、お手元に最新の時刻表があれば福塩線のページをご覧ください。3月28日、4月6、7、23日に8726D、8727Dが昼間に走ります。一体これは何のための臨時列車なのでしょうか。沿線で特段のイベントがあるわけでもなく、首をかしげております。同じく3/28、4/6、4/7に芸備線にも8354D、8357Dなる臨時列車があります。これも意味不明です。是非ご高説を賜りたく、よろしくお願い致します。福塩線の昼過ぎに臨時列車が2本走るのは是非ゲットしたいと思います。今日は他用で行けなかったので明日7日にと思いましたが 残念ながら雨模様なので 23日に府中・上下間で早朝から頑張ってみようと思っているところです。桜のある場所はしっかりメモしておけばまた来年も再訪できますが、こいのぼりは見当がつかず ましてや子供の姿もまばらな中山間地では無いものねだりなのかもしれません。ともあれ原風景を求めて ダメモトで沿線を走るしかありません。
昼間時の変な臨時はどですかでんさまがお調べになった詳報の通りです。小生も以前から特定の平日運転なので、通学列車ではないかと予想していましたが、今回初めて詳しいことを知りました。どですかでんさま有難うございました。
以前、紀勢東線の新宮~紀伊長島間にも同様の臨時が設定されていました。もっともこちらは土曜日の下校用だったと記憶しています。
西村さまの仰るように、かかったコストは運賃で回収するのが経営上のセオリーですが、一方で国鉄時代の地方の足を確保するという使命と、どう調和させるかですね。この相反する使命はJR発足時からの命題であったはずです。JR化時にいくらか枷がかかっていたと思いますが、そういう点ではJR西はよくやっていると評価すべきなのかもしれません。
西村雅幸様 ちょっと、よこはいりさせていただきます。今回の三江線ツアーに参加できませんでした。以前から行ってみたいと思っていた三江線、福塩線が気になってルートと列車の時間を調べていましたら、ちょうど福塩線に日中に走る臨時列車がありました。それが西村さんがコメントに書かれてある8726D、8727Dですが、運転日がヘンテコなので「福塩線の臨時列車」で検索してみると「PDF臨時列車運転日【福塩線】」がありました。開いてみると運行日のカレンダーと列車の時間表が書かれてあり、三次鉄道部とありました。残念ながら今年ではなく平成24年のものでした。そして上りと下りの時間表の間に「臨時列車の運転日は、各高等学校が午前で終業する日(試験、行事等)に運転します。」と書かれてありました。これでヘンテコな運転日の謎が解けたのです。さてその高校は3校あって、三次に県立三次高校、塩町に三次青陵高校、吉舎(きさとよみ昔からの宿場町)に県立日彰館高校です。さて、ちょっと考えているのが世界遺産の石見銀山から銀を運んだルートで中国山地を越えて瀬戸内海側の尾道、笠岡への石見銀山街道がちょうど三江線、福塩線に少しダブっているのです。ここを鉄道とバスなどを利用してたどってみたいと企んでいるところです。その企みを考えていてこの臨時列車のことがわかったのです。この臨時列車に合わせて行くのもよいかなと思っています。そうすると、この列車が高校生のために運行されていることが確認できるかもしれません。ただし、いつ実行できるかはわかりませんが。ちなみに石見銀山街道は吉舎ぐらいから尾道ルートと笠岡ルートに別れていて尾道ルートは御調を通っているのでどうも尾道鉄道のルートのようです。こうなるとワクワクしてきます。
どですかでん様
謎が氷解しました。高校の下校時間とは気が付きませんでした。福塩線、芸備線とも高校通学に機能している証ですね。三江線ツアーの早朝に塩町駅に立ち寄ったのですが、春休み中ですが部活のためか 三次青陵高校の生徒が列車から降りてくる姿を見かけました。ところで高校生は当然通学定期券利用でしょうから高校生のために臨時列車を走らせても JRとしては売上増にはならないので気の毒な感じがします。このあたりも地方線区の赤字がふくらむ一因なのでしょう。そう考えるとJRの運賃体系そのものが時代に合っていない気もします。現在地方交通線の運賃は幹線の運賃より高い設定ですが、むしろ地方交通線をぐっと安く設定して旅客を呼び込む一方、幹線や都市部での利益を地方交通線の運営に注ぎ込むのが地方再生であり、公共交通機関の役割ではないのかと。また愚痴がでたところで 銀の道をたどる旅を計画されているのですね。尾道ルートは出雲街道と呼ばれています。私のホームページhttp://www7a.biglobe.ne.jp/~tujidou/mapframe.html
から入って頂いて「常夜灯アルバム」の尾道市木の庄町家政のページをご覧下さい。出雲道の道標を載せています。プランが決まりましたらお知らせ下さい。以前貴君とおのてつ探訪したようにまたいにしえの道をたどりたいと思います。ありがとうございました。
その節は大変お世話になり、ありがとうございました、また先輩方のいろいろなお話も興味深い内容で濃い2日間でした。このようなツアーでもなければ三江線には乗ることがなかったでしょう。福塩線も昭和56年3月に70系電車引退を撮り逃してから一度も乗ったことがありませんでした。青春18キッパーでしたので、翌日は、キハ120、キハ126、キハ47を腰が痛くなるまで堪能しました。鳥取ライナーのキハ126は、山陰線高速化の主軸でもありますが、貫通扉もないせいか騒々しく、以前のキハ58系ならもっと静かだったと感じました。新しい餘部鉄橋をキハ47で渡るのも初めてでしたが、しっとりとした日本の元風景ともいえる非電化ローカル線を探訪する良さを再発見、まさにディスカバージャパンした思いがしました。最近は、国鉄車等人気車撮り鉄に傾斜していましたので、一つ新たな方向性も見出だせたと感じています。ありがとうございました。
ブギウギ殿
貴君が「ブギウギ」さんであることが判ったのも今回のツアーの収穫のひとつでした。宮原からマイテを独占したなど往時の思い出話にお酒もすすみました。実は私も地元にいながら このツアーのおかげで三江線はじめ地元の素晴らしい原風景を再認識させてもらいました。ブギウギさんもどしどしデジ青に登場して下さい。期待しています。