2019年桜前線追っかけ旅 長崎からのさくら紀行 Part2 長崎市電、151号・701号・1051号の引退記念の「さよならパレード運行」を撮る

▲ 10:00 長崎市電の浦上車庫で開催された1051701号151号の引退記念のセレモニー撮影会です。

左から、1051号は1976年3月に営業廃止となった仙台市電のモハ100形5両を譲り受けました。他の4両は老朽化により既に廃車になっていますが唯一生き抜いた車両です。701号元東京都交通局2018号、都電杉並線と本線で運用された後、路線縮小に伴い余剰となっていたのを譲り受けました。151号は1956年に箱根登山鉄道小田原市内線の廃止に伴い余剰となったモハ20形を譲り受けました。3両とも冷房装置がないため夏場の運行はできなくイベントに出庫する程度でしたが車体や部品等にアスベスト(石綿)を使用している可能性があると分かり廃車が決まりました。いずれも重要な鉄道遺産なので里帰りも検討されたようですが、アスベストの使用が確認された場合、車両の譲渡、売却等が禁止されていて出来ません。詳細な調査は今後実施しますが具体的な時期は未定です。

こう言った事情により引退せざるを得なくなったそうです。3月30日(土)に「さよなら撮影会」、「さよならパレード運行」、「さよならアンコール運行」のイベントが開催されることとなりました。
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2019年桜前線追っかけ旅 長崎からのさくら紀行 Part1 長崎へ

第1日目 3月29日 旅立ち

台湾・九州の旅から一週間、千住のヤスベーさんのお誘いで長崎へと参ることになりました。3月30日に開催される長崎市電の151号・701号・1051号の引退記念の「さよならパレード運行」の撮り鉄と当日朝に実施される車庫での見学会参加が目的です。その後松浦鉄道を訪問して桜と鉄道も撮りにいきます。往路は購入した青春18きっぷの残が2日分ありますのでこれを使って長崎まで鈍行列車の乗り継ぎ旅です。長岡京からは、807.1㌔もあり私の青春18きっぷの乗車としては最長距離です。普通運賃で購入すると11,120円ですので十二分に元は取れています。乗った列車本数は11本、乗り継ぎ時間も入れた乗車時間は17時間21分で、鈍行列車乗車としては最長時間でした。
ちなみに私が大学時代だった1968年当時、京都⇒長崎を走行する急行雲仙2号は所要時間16時間4分で時間差は1時間17分、新大阪⇒長崎を走行する特急あかつきは所要時間12時間53分でした。
今回乗継時間の合計は1時間37分ですので単に走行時間だけ見ると急行よりはむしろ早かったことになります。

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2018年夏、酷暑の旅 Part9 青春18きっぷで長崎から直方へ

第3日目 8月29日(水) その2

① 長崎(区間快速シーサイドライナー)⇒11:40早岐
② 早岐 12:41⇒14:14 鳥栖 14:17(快速)⇒14:45 博多
③ 博多 15:00(快速)⇒16:00 直方

9:36 今日はこれから青春18きっぷを利用して直方に向かい筑豊電鉄に乗り換えて目的地は黒崎駅前です。途中、筑豊直方で筑豊電鉄の撮り鉄予定です。
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2018年夏、酷暑の旅 長崎へ Part1 台風に翻弄される旅立ち前

今年は台風の多い年です。今日も台風21号襲来でJR西日本は京阪神地区の列車は8時以降順次運行を取り止めるとの発表がありました。各私鉄もほぼ同様な対応になるようです。今は青空も見えていつもと同じ状況ですが、今年最大で25年ぶりの最強台風だそうでどうなるかとても心配です。

と、朝に投稿原稿を作成しながら思っていましたら午後2時を過ぎた頃から突然に風雨が強くなりました。今まで経験したことがない激しさです。外を見ると木々は折れていきトタン屋根が木の葉のように舞って飛んでいます。約3時間近く続き、後は嘘のように静かになりました。テレビを見ているとあちこちで車が飛ばされてぶつかっています。また関空の連絡橋にタンカーが激突して橋がずれて、関空は孤島となって利用客3,000人と従業員2,000人の合わせて5,000人の方々が取り残されています。明日以降に無事な連絡橋の片側路線を使って脱出させるようですが停電で空調も止まっているターミナル内で一晩過ごすのは地獄でしょうね。体調を崩されないように、お見舞い申し上げます。
米 原稿は9月4日に作成しております、

台風で迷惑を受けたのは私も一緒で21号前の20号で大変でした。ご報告をさせていただきます。

【 台風20号に翻弄させられた旅立ち 】
8月7日に青春18きっぷを購入して候補にしていた訪問地の選択に入りました。結果、混み合うお盆が終わった頃に出かけようと決めました。目的地は今まで3回は参りましたが鉄ちゃん活動はしていなかった長崎市電筑豊電鉄の撮影です。

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駅を旅する 〈11〉

長崎

長崎本線の終点、長崎である。

最初に訪れたとき、三角屋根に時計台を備えていた駅舎は三代目で、原爆被災から4年後の昭和24年にできたと言う。現在では、完全な終端式の駅となっているが、当初は、通過式の配線だった。その先に長崎港駅があり、もっと以前は旅客営業も行っていたが、訪れた当時は、貨物のみ扱っていた。

駅に隣接して長崎機関区、客貨車区があったが、当時は配置機関車がなく、鳥栖、早岐の機関車が出入りしていた。ターンテーブルの周りに扇形庫はなく、たいへん広々した機関区だった。

長崎港への貨物線は、昭和62年、国鉄民営化時に廃止され、平成12年には、現在の四代目駅舎が建設され、終端式の構造に改められた。

以前は、長崎始発の東京・大阪方面の優等列車が運転され、駅の格を高めていたが、平成20年に特急「あかつき」が廃止以後、すべて九州内のみの運転となっている。

また2022年開業予定の九州新幹線の長崎乗り入れに向けて、駅の立体化工事と周辺の整理事業が進行中で、もと長崎機関区・客貨車区、現在の長崎運輸センターの移転が焦点だったが、早岐駅と構内への移転が決定したと言う。

長崎IMG_0031sy▲鳥栖のところでも触れたように、昭和42年の訪問時、長崎本線の優等列車はDD51化されていたが、臨時列車はまだ鳥栖区のC60が牽いていた。長崎駅でも、C6026[鳥]の牽く大阪行き急行「第二玄海」の発車をとらえた。これを、鉄道ピクトリアルのトピックフォトに投稿したところ、初採用となった。高校2年生だった。嬉しくなって、学校へ持って行って、みんなに見せた。この号だけがボロボロになって、いまもその時の感動を伝えている。(昭和42年)長崎IMG_0033sy▲長崎駅前の風景。路面電車はバスに隠れてしまったが、その分、自動車が時代を語っている。その後に、付近にペディストリアンデッキが設置され、見通しが悪くなった。(昭和42年)

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