77-タツと申します。
初投稿させていただきます。どうぞ宜しくお願い致します。
JR四国2700系の定期検査トップ(?)で2752が多度津工場に入場しました。自転車の時は工場線まで見に行くのですが、今朝はあいにくに雨のため、多度津駅AM7:03着のいしづち4号しおかぜ4号の入線並びを撮り帰宅しました。
2752は通常逆向き(下り向き)2号車で、また方向幕のついた顔は見ることができないので、私も初めての撮影でした。
小ネタになりますが、時々投稿できればと思っています。今後ともどうぞよろしくお願い致します。
初めまして!米手作市と申します。以後ヨロシク
四国の情報はほとんど無くて未知の世界です。古い会員の中では琴電・土佐電など私鉄の話は出るのですがJR四国の話は聞けません。国鉄がJR四国になってからは、2000系だの2700系だのと私鉄バリの名前になり、さっぱり分かりません。その辺も教えて下さい。楽しみにしております。
コメントありがとうございます。
私もわからないなりに、近場撮影と、模型を楽しんでおります。今後とも、ご指導の程、宜しくお願い致します。
追記
お昼に、先日黄色アンパンに乗車された方から得た情報では、2752は故障しているのではとの話も有りました。
朝2両で回送されてきましたが、後ろに連結されていた2711は、昼過ぎのスジで高知に向かって単行で帰って行きました。
片運車両が単行で本線を走るというのは見たことがありません。四国ではよくあるのですか?
四国に限らず「回送」片運単行はままありますね。小生は山陰線御来屋でキハ181の後藤入場回送、旧鹿児島線野田郷で小倉入場の鹿児島のキハ58、土讃線讃岐財田で多度津入場の高知2000などを目撃して驚きました。全国的に運行されているのではないかと思います。さすがに営業での目撃はありませんが、むかしピク誌に中川浩一氏が水戸線のキハ17単行営業レが走ったと投稿されていたのを見た記憶があります。往きはよいよい還りは?ですが、別の車両を増結したか、はたまた小山の転車台で向きを変えて戻ったか、今でも興味のあるところです。
コメントどうもありがとうございます。高松運転所で最後まで残っていた2000系2122が、5/11に廃車回送
の為下り向きに方向転換の上多度津まで単行回送着。転車台で上り向きに方向転換中の一コマです。この後多度津工場に入場し、解体待ちになっています。
固定編成になっていない片運DCは、両運車両同様で、単行で本線を走っています。まだ多度津駅構内ですが、写真を添付します。そう言えば、2700系の単行を撮ったのは、初めてでした。
考えて見れば蒸機の単独走行もこれに当たるのかも。
盛りだくさんな一日で、松山からキハ32-3の四国新幹線も検査入場のようで、初めて撮影しました。
77-タツ様、たいへんご無沙汰しています。
1980年度生の四方です。多度津1番のお写真、拝見させていただきました(最初6番と勘違いしてましたが)。給水塔の一つは東側に移設されたようですね。
<片運気動車の単行の件>
以前ならば貨物列車の最後尾に連結して無動回送のところですが、現在では別会社となり、そうもいかないので致し方のないところかと思います。ただ181系DCだけは、試運転のスジで入出場していました。写真は撮っていなかったですが、1度だけキハ181の単行を見たことがあります。詳細はわかりませんが、ブレーキシステムの関係ではないかと思っています。
1900生様も触れられていますが、片運の車の運用は面倒で、基本的には2両編成にして運用しますが、郵便・荷物気動車や増結車は1両単位にしかならず、仕業によっては運転台の向きが指定されていました。客車のフも同様の問題をはらんでました。キハ32-3も両運なのに、新幹線顔のエンドは連結器等を覆ってしまっているので、面倒くさい車になったと思います。
<2700系>
2600系もそうですが、総本家青信号特派員様の「私の好きな電気機関車たち⑤」にもあるように、隅柱を低く抑え、横から、後ろから屋根のラインを落とし込むデザインは、EH10~EF58更新車体~DF50試作型に連なり、本系列にも踏襲(復活?)されたものと思っています。
ここからは私の妄想ですが、SLの煙室扉を模した8600系、DF50試作型を模した2600系及び2700系と続いていますので、8600系次期更新車はDE10のサイドビューを模した小田急や名鉄のパノラマカーのような車になるのでは、と思っています。見れるかどうかはわかりませんが。
長々と失礼いたしました。また、四国のお写真を見せていただけることを楽しみにしています。
こちらこそご無沙汰しております。
数少ない四国ファン(?)の四方様からもコメントを頂き光栄です。
給水塔とは、列車後方の青い建築物の事を言われてますか。これは、多度津駅舎丸亀方に新たにできた跨線橋に増設されたEV棟です。旧の跨線橋横の鉄骨造の給水塔は足カット、高さが1/3位になって別に保管中(?)です。給水塔横にあった構内食堂は5/11~5/12にかけて解体され更地になっています。お店は屋号そのままで、線路から離れた善通寺のお寺の駐車場入り口付近に移転(居ぬき)し、今週あたりから営業を再開しています。田舎ですが、少しずつかわっていっています。
記録程度の写真の貼り付けになるかと思いますが、今後ともよろしくお願い致します。
返信、ありがとうございます。
給水塔ではなく、EV棟だったのですね。よく見れば円柱ではなく、角ばっているのがわかるのですが、6番と勘違いしてたあたりから混乱していたようです。勘違いなコメントで失礼いたしました。
達っあんの初投稿に私も。
御無沙汰しています。
昭和63年4月の先輩の結婚式の四国行きは、酒ばかり飲んで電車を写していなかったので、62年暮れの帰省の途中で最後の宇高連絡線に乗っています。これは高松で、橋の開通前に電車が走り出していた写真です。
先輩の結婚式は橋の開通の2週間後で、こっちに写真は貼れないので、しかし90年頃に誕生した2000系も引退とは、30年の歳月を感じます。
元気でお活躍をお祈りしておきます。
ご無沙汰しております。
コメントどうもありがとうございます。
帰省するにしてもJRを利用する機会が減り、また瀬戸大橋開通後は高松駅を利用する機会がもっと少なくなり、写真を懐かしく拝見しました。
30年を一区切りとするなら、独身時代30年(連絡船)、結婚時代30年(2000系)、リタイア後30年(2700系)みたいな感じで、次の新車を目にすることなく人生も終わりそうな気がする昨今です。
残された時間を有意義につかっていきたいですね。
今後とも、よろしくお願い致します。