735D、吾桑。
(予土線へ)
高知駅の高架下でそそくさと昼食を食べ、暫しとさでん交通を撮影してから、高知14時35分発の735Dで終点の窪川まで1000型ディーゼルカーに約3時間乗ります。3連で出発しましたが途中の須崎で2両を切り離し、30分停車した後、4735Dとなって1両で窪川まで向かいます。高知から窪川まで直通する普通列車は下りで5本しかなく、「特急にのってください」ということなのでしょう。もっとも高知―須崎の区間運用の普通列車は1時間に1本程度はあるので、輸送密度に応じたダイヤになっているのだと思います。
安和発車。
土佐新荘から安和あたりでは太平洋が見えます。四国の鉄道は、中央部が山地で、海沿いを走る鉄道線が多い、いや、日本全体がそうなのかも知れませんが。窪川には17時23分に着きます。ここからは予土線に乗り換え、17時40分発の4827Dで宇和島まで乗ります。ここまでは1000型ばかりでしたが、予土線から松山まではキハ32、キハ54、キハ185系3100番台と国鉄最末期の1986年から1987年にかけて新生JR四国の門出のために作られたディーゼルカー群が今なお活躍する牙城となります。
中村始発のあしずり12号が須崎に到着。
須崎。
4827D、予土線三兄弟の次男、かっぱうようよ号、窪川。
かっぱうようよ号の車内。
さりげなくかっぱがのぞく。
予土線の沿線風景。
4827Dは、キハ324、予土線三兄弟の次男、海洋堂ホビートレイン、かっぱうようよ号です。フィギュア(人形)で有名な海洋堂の世界が車内外に溢れる車輛で、車内もかっぱの人形とフィギュアが満載のショーケースが存在感を放っています。四国で、地方交通線は予土線以外に、徳島線、鳴門線、牟岐線がありますが、予土線がもっとも鄙びている印象をもちました。予土線三兄弟や、この8月に徳島線の「藍よしのがわトロッコ」を宇和島-江川崎間で「夕涼みビールトロッコ」として走らせているのも集客施策の現れ、と言えるでしょう。現実には、窪川から江川崎でいえば、この窪川17時40分発の4827Dが最終列車となります。そもそも窪川から宇和島まで直通する下り列車は一日に4本しかありません。33年前の4月にも、当時新鋭のキハ32かキハ54に乗って窪川から宇和島まで四万十川に沿って乗ったことがあります。季節は違いますが、今回気になったのは、走りながら「ガササッ」「ザザザ」とほぼ常時といえるくらい列車と草木とがかなり激しく擦れていました。夏場なので、草木が生い茂る季節であることを割り引いても沿線の草木を刈り取るゆとりを持ち得ていないのではないだろうかと思いました。
江川崎で交換した4824Dが窪川へ向かう。
江川崎
江川崎
江川崎
江川崎に18時37分に到着し、18時39分発の窪川行4824Dと交換後、19時7分の発車まで30分近くも停車するのです。これはもしかしてトイレ休憩以上か?と思うような停車時間です。キハ32、キハ54など国鉄から引き継いだステンレスカーには車内にトイレがありません。高松、徳島、高知で主力となっている新鋭の1000型、1200型、1500型ディーゼルカーはトイレがついていますが、松山から窪川までの予讃線、予土線では、ローカル列車に乗れば、駅のトイレを利用するしかありません。乗車時間が3時間近くかかる運用もあるので、トイレが車輛に無いのは如何なものか、と思いますが、国鉄から引き継いだ車両群の交代を待つしかないのでしょうか。宇和島には20時15分に着きます。駅前からは商店街が伸びていますが、夜8時を過ぎて閑散としていました。
夜の宇和島
ブギウギ様
ローカルニュース
8/25夕方、予土線江川崎~半家間で、かっぱうようよ号が落石に接触。
全輪脱線したとのこと。乗客が少ないからか、けが人はかすり傷の一人とのことで、まずは良かったです。
車両も傾いたくらいで、横転はしていませんので、復活してくれるものと思います。
予土線は8/27まで運休が決定しているようで、藍よしのがわトロッコ編成のビールトロッコも最終日8/28のみになるようです。
77-タツ様
情報ありがとうございます。大事に至らなかったようで、よかったと思いますが、四国など三島会社の山間路線の維持は大変です。一事業者だけでは何ともならなくなって来ているように思います。
飽きもせず、DF50の写真で申し訳ありません。
吾桑駅での単797レのタブレット投下です(1983年4月13日)。いつもは職員さんのご迷惑にならないよう反対の1番線側から撮影するのですが、この日はDF50が最後なので2番線側から。当務駅長の立ち位置は本来、もう少し写真手前側でかつ線路寄りとなり、私のアングルでは当務駅長さんの背中のドアップ写真となりますが、気を使っていただいたのか駅名標の後ろに隠れていただいたみたいで、I駅長さんには申し訳ないことをしたと思っています。
なお、運転番線は電子閉塞化の際に下りに向かって左側から1,2,3番に統一されており、ブギウギ様撮影の735Dは1番線に停車していることになります。
四方様
四国では本当に何処ででも撮っておられますね。残念ながら動いているDF50は見たことがありません。お写真の昭和58年は、遠方へ行くとなると旧型国電(それも少しですが)でした。
ローカルニュース続報
さる8/26、落石と接触事故にあったキハ32-4、かっぱうようよ号ですが、キハ185-3103、3107に牽引されて、今朝AM4:30頃無事多度津駅までやってきました。通常より早く7:30までには工場に入場したようで、工場線を走行するところは、撮影できませんでした。
早く復帰できることを待っています。
9/1 AM6時頃 多度津駅にて撮影
77-タツ様
地元ならではの最新情報有難うございます。早い復帰を願います。それにしても牽引がキハ185の3100番台というのも面白いですね。
ローカルニュース続報
落石接触事故後9/1に多度津工場に入場していた「かっぱうようよ号」キハ32 4ですが、10/4無事出場、松山に向けて単車で帰って行きました。入場時に外されていた華奢なパイプスカートもまた取り付けられていました。
これからも活躍してくれるものと期待しています。
2022 10 4 予讃線 多度津〜海岸寺