拙老も撮っています。時は1957年3月6日、場所は名鉄大江の近辺。バックの架線柱は名鉄常滑線です。大江にズラリ並んだボギー、2軸、木製半鋼製車の一群はかつて諸兄のお目を汚したことがありますが、その際行きがけの駄賃で撮影したナハ22802(仙ココ)の車体ハウスです。当時60系鋼体化改造の種車(といっても使うのは台枠と台車、連結器のみ)にするため、国鉄は全木製車を現車調査し、車体はその程度をAからDまで4段階に評価。Aが最もいいもので、妻面に丸で囲んでA、B、C、Dと白ペンキで記入していました。この住宅の妻にはBとありました。決してスラムではなく、周囲も住宅?自体も綺麗に保たれているのがお分かりでしょう。
かような住宅代用は電車もバスもあり、路面電車廃止時期には各地で幼稚園や公園の自治会集会所等に足を外した車体が流用されていたのは周知の通りです。国鉄では食堂や倉庫、組合事務所にもいっぱいありました。しかもスチーム地域暖房(そのエネルギープラントは蒸機のボイラー)が行き届いていたものも少なくありません。大和鉄道では電化・改軌で不要になった日車製単端式ガソリンカー車体が住宅になっていた由で、その住宅模型を作った奇特な人もいました。
拙老はその時期佐竹先輩とせっせと情報を交換し合い、かような「ハコ」―といっても主目的は旧2軸客車や雑型ボギー車ですが―を撮っていました。
湯口徹様
早速の投稿ありがとうございます。我々の世代が物心ついた頃には、さすがに汽車住宅に接する機会もなく、また趣味誌にも紹介されなかったため 全く知らない世界のままおりました。ある日「汽車住宅物語」を入手し、衝撃を受けたことを思い出します。京都に住んでいた頃には 近くの建仁寺に京都市電の単車の車体があったり、烏丸車庫近くの紫明幼稚園にも単車があるのは知っていましたが、住宅にまでは思いが及びませんでした。いずれにせよ鉄道趣味の奥深さとクローバー会の底力を痛感しました。
まいった。京都市電300形の市電住宅は新聞でも報道され、見にいったことがある。
それが残存していることが仕事仲間から知らされ、最初に見に行ってから30年ぐらい後だけに、よくぞ無事であったと、その昔の道筋を思い出し出かけて行き、しばらく眺めた。この時のことをキャンブックス京都市電で紹介したら、見知らぬ人から何人も問い合わせがあったが、道案内は控えた。が、老人の弟子だと称している男が突き止め撮影したと言う。
仕事仲間が京都市から依頼を受けたのは屋根の漏水止めであり、ブルーシートで仮しのぎをしたと言った。老人が行った時は補修工事後であった。当該物件以外に電気工事業者の倉庫になっていたものと、2車体が残っていた。他の区画には木造住宅が建築されており、市は土地分譲したものと思われる。その後、行ってないから現状は?