本日2014年2月5日(水曜日)、朝日新聞夕刊2面、「まだまだ勝手に関西遺産」の頁に、
『京阪びわこ号』の記事が、勿論、乙訓の老人の名前と薀蓄と共に掲載されていましたので、ここに紹介します。
拡大してお読みください。
①画像をクリックして拡大表示する方法と、
②この文字列をクリックして拡大表示する方法の、二通りがあります。
本日2014年2月5日(水曜日)、朝日新聞夕刊2面、「まだまだ勝手に関西遺産」の頁に、
『京阪びわこ号』の記事が、勿論、乙訓の老人の名前と薀蓄と共に掲載されていましたので、ここに紹介します。
拡大してお読みください。
①画像をクリックして拡大表示する方法と、
②この文字列をクリックして拡大表示する方法の、二通りがあります。
乙訓の老人様
出ましたね。おめでとうございます。びわこ号は確か日本最初の連接車でしたね。これから鉄道遺産として何かと話題になると思います。DRFCーOBのどなたでしたか、京阪本線を走る貴重な写真を撮られています。再度見てみたいものです。
乙訓の老人様
私も昨日、本記事を拝見いたしました。他の現役会員にも紹介しておきます。
コメント有難うございました。
びわこ」については折りを得て語ることにします。落語、漫才屋?の後押しは要りません。プランナーのご子息と語り合った30年前のことが思い出されます。原型となった車両を見に行きたかったのですが、「これだ!」と確信を得たときは嬉しかったですね。
関西の電鉄は創業当時から如何に「おもてなし」するか、これにどのように徹していたか、この一点に尽きると思います。