電車の話に終始したのでは大井川鐡道元副社長・白井昭さんに申し訳ないので、少し宣伝させて頂く。このところ各地でSLブームとなっているが、その根端となったのは名古屋鉄道から大井川鐡道に派遣された白井昭さんのご努力の賜物である。その白井さんとの縁を作ってくれたのが京阪3000系特急車であった。3000系を追いかけている道中では蒸機牽引列車を無視していたわけでなく、随時カメラを向けていた。蒸機牽引旅客列車を復活運転させたのは1976(昭51)年夏だと伺った。国鉄が蒸気機関車の運転を終えたのは1975年12月で、山口線で不定期列車【山口号】を走らせたのが1979年8月と言うから大井川鐡道の方が早い。この時の苦労話はパソコンで【大井川鉄道の鉄道保存を顧みて・白井昭】を打ち込んでいただくと該当サイトに繋がる。
このところ各地でSL列車ブームである。中でもJR東日本が広大な自社線を利して臨時列車の運転に乗り出したことがブームに火をつけたように思われる。これとは別に道路交通法改正による貸し切りバス運行距離制限により、大井川鐡道の拠点である島田市が東京都内の圏外となり、SL急行へ乗客の入れ込みが減少する原因となった。加えて大井川鐡道の大株主の一つであった名古屋鉄道は、自社の財務内容確立のため赤字体質の大井川鐡道から手を引くことになった。筆頭株主である中部電力はそのままだが、新しい経営者(スポンサー:出資者)の下に営業内容は変化がみられるであろう。さしあたり金屋~千頭間で列車の大幅な削減を果たし、千頭地区ではトーマス号に乗ってきた子供たち対象の設備充実に入力し、上流へは今のところ接姐峡温泉までの運転だが、永沢ダム中心に日本一の急こう配、90パーミルを売り物とするであろう。ダム頂上へ向けての電気機関車の唸りが碓氷峠の時より軽く感じられるのは技術の進歩であり、こだまする汽笛に耳を澄ませば、日本では聞けない音色があることに気付くであろう。これは他国の提携する山岳鉄道のホイッスルを寄贈受けたものだとのことである。
またもやチョンボを連発した。訂正が遅くなりごめんなさい。先ず長沢ダムを永沢ダムと打ち込んでしまった。次いで井川線の牽引機の出力をルーペの見損ないで誤って打ち込んでしまった。正確にはDLは335PSが1台、ELは675KW4台となる。またELのところで日本では聞けない音色としたが、叡電1型、高松琴平1000型、上信電鉄デキ1型のホイッスルは良く似た音色で、電気機器のメーカーは同一だから、恐らく同じものだと見当付けているのだが、この点を白井さんに質問するのを忘れていた。