天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【22】 秋編

“梅嵐急行”から20年

「東北の鉄路」写真展も一段落、とは言え、来週には次の展示が控えていて、準備に追われる毎日ですが、デジ青にも“天然色”シリーズで復帰することにしました。

先の土日は、紅葉時期とあって、阪急電車も超満員でした。と言っても、現在の阪急電車には、撮影意欲も湧きませんが、以前、春秋の行楽シーズンには、臨時列車が多数運転され、京都線では梅田~嵐山の臨時急行、通称“梅嵐急行”が運転されていた“大運転”の時期を、ふと懐かしく思い出しました。もう20年近く前の話で、車両も様変わりしました。
なんと言っても、前パンの2300系が、二枚看板も誇らしげに走るシーンが、京都線の臨時急行の魅力だった。運転日に晴れると、決まって西向日~長岡天神~大山崎へ向かったものだ。近くとは言え、よく通ったものだった。このスタイルは、5300系非表示幕車でも見られたが、ほかの編成とも共通運用で、遭遇できない日もあって、がっかりして帰ったものだった。ちょっと前のことだと思ったが、前パン、二枚看板の2300系が消えてからもう20年も経ってしまった。その後、2300系非表示幕車の2301Fが2005年9月にさよなら運転を行い、2300系そのものも2009年に姿を消している(1997年 西向日~長岡天神)。

梅田~嵐山の臨時急行は、嵐山線内のホーム有効長から6両編成で、普通用の編成を使用していたが、不足分については、8両編成の梅田方2両を切り離して捻出していた。先ごろ就役30周年を迎えた8300系も、6両編成となって運転されていた。

梅田~嵐山の臨時急行は、嵐山への行楽客輸送のため、春秋の行楽シーズンの日祝日に運転していたが、戦前から運転を開始し、戦争中は中断したが戦後になって再開した。1992年秋の運転から「さがのエクスプレス」の愛称が付けられ、翌1993年の春からは「嵯峨野エクスプレス」に変更された。運転最終日は2000年11月だった。翌2001年3月のダイヤ改正からは、梅田~河原町の臨時特急「いい古都エクスプレス」に変わった。

末期の運転本数は、午前15分ヘッドで梅田発嵐山行10本、午後も15分ヘッド15本の片運転で、乗客が分散する戻りのほうが本数が多かった。表示幕車は、中央に愛称板が付けられた。万博時に就役した3300系も、いよいよ撤退するようだ。特急は9300系のデビュー前で、一部の運用を除き、6300系に統一されていた。梅田~嵐山の直通運転は、いったん姿を消すが、2008年の試行を経て、2010年からは、現在のように、各所からの直通運転の体系に再編された。

 

1 thought on “ 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【22】 秋編

  1. 駅の掲示板を見ると、阪急・堺筋線の相互乗り入れが始まって50年記念で、つぎの日曜日、桂まで、大阪市交の電車が臨時で走るとか。40周年の時も走りましたね。この時は、嵐山までの運転で、まだ紅葉もきれいでした。

総本家青信号特派員 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください