天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【23】 秋編

京津線 朝の東山三条

前記、阪急京都線の梅田~嵐山の臨時急行「嵯峨野エクスプレス」に熱を上げている時、平行して撮影していたのが、京阪京津線三条~御陵の記録でした。1997(平成9)年10月11日を持って同区間が廃止されて、翌日から京都市営地下鉄東西線に乗り入れることになりました。京阪百年以上の歴史のなかで、唯一、営業路線を廃止して、他社線へ乗り入れることになりました。同じ軌道法ながらも、それまでの路面電車然とした旧態の路線から、近代的な郊外電車へと脱皮しました。本シリーズでも、以前、桜の蹴上など、春の風景を採り上げましたが、今回は、廃止直前の秋編として、東山三条周辺の記録です。

朝の東山三条、登校する女子高生たちで停留場付近はいっとき人の波で埋まる。

京都の主要な街路は、ほぼ東西南北を向いています。京津線の走る三条通も同様で、このため、朝夕は車両の正面に陽が当たり、側面には陰影ができるなど、自分好みの写真が写せます。そして、当時は、京都から市電が消えて、今から思えば、20年しか経っていない時代、三条通の蹴上、東山三条の停留場では、すこし前に見た市電時代の思い出がよみがえって来るのでした。京津線の安全地帯は、市電より高くて狭く、乗降に少し不安を覚えながら、ステップを上がった時の感触がまだ身体に染み付いています。

東山三条は無人駅だが、朝のみ、社員が出て、集札を行なっていた。

朝の東山三条交差点で相対する80形(上)、信号が青になると、停留場へ進んで停車、乗降が始まる。

市バスと顔を並べるのも併用軌道ならでは。多区間ワンマンの5号系統もなつかしい。

準急は東山三条は通過であるものの、交通信号に引っかかると、停車となる。

 天然色写真で語り継ぐ あの日あの時 【23】 秋編」への2件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    懐かしい京津線の写真、地下化されたこのころ鉄道趣味は復活とまで入っていなかったのですが、大津に戻っていたこともあり、三条ー御陵間は歩いて写真を撮りました。よく利用していた時期はこれより25年ほど前だったでしょうか?ユニバーサル模型に行くのに東山三条はよく利用しましたが、併用軌道の停留場は狭く、人があふれていましたね。歩道で電車を待って、電車が見えてから電停に渡る人も多く、よく事故が起こらなかったものだと思います。

    • はい、東山三条の安全地帯は、京都市電よりも、さらに狭くて、高くて、しかも、電車のステップも段差があり、乗る時はヒヤヒヤもので、よく事故が起こらなかったものでした。時折、クルマが安全地帯に衝突する事故がありましたが、強固な柵に守られて、クルマ側にけが人は出るものの、不思議と乗客に危害は及ばなかったようです。

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