やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る 九州の蒸機   ①

一部で休業が解除され出口が見えてきたとは言え、現実の鉄道とは向き合えない日々が続いています。趣味活動は、活動の足跡をたどることしか今はできません。足跡の証しは人それぞれでしょうが、私の場合は、やはり蒸機の時代までスリップします。昭和40年代、DRFC現役時代を中心とした鉄道・蒸機については、今までも“デジ青”でセッセと載せてきました。しかし調べてみると、掲載できたのは僅かで、実際に写していたのはハンパない点数だったことを、改めて思い知りました。そのほとんどがネガ現像、ベタ焼きだけで終わっていて、プリント(紙焼き)、スキャン(データ化)は進展がありません。

趣味の世界でも、世代交代が進みました。雑誌・ネットでは、保存蒸機のイベント運転の記事は載っても、現役蒸機は、すっかり過去の遺産と化してしまいました。老舗の鉄道雑誌は、とうの昔に蒸機の記事はなくなり、“蒸機の世代に向けて”と標榜していた雑誌も、EL・DL特集に宗旨替えしてしまいました。現役蒸機では、商売ネタにもならないのでしょう。ネットでも、ベテランファンらしき“蒸機の思い出”なんてタイトルに釣られて中味を見ても、「やまぐち号」「北びわこ号」が得々と並んでいたりしています。現役蒸機の世代からの発信力、発言力が弱ってきて、自分としては“ついこの前”の世界が、どんどん遠ざかっていることを実感しています。

昭和40年代のネガはすべてベタ焼きは取って、アルバムに貼り付け、一部は撮影データも記入している。一部はプリントもしているが、デジタルになってからは紙焼きも中止、いっぽうネガスキャンのデータ化も、必要に駆られて行なっているものの、進捗率は極めて低く、ほとんどがネガ状態のまま50年間眠っていた。今回、一念発起、朝から深夜まで、近所の散歩を除いて、巣籠もりスキャンに励んだ。その結果、“こんな写真を撮っていたのか!”の連続で、自分でも改めて、その時の熱意に感心した。ネガの状態も、一部にビネガー状態の救済不能ネガはあるものの、大部分は50年経っても、キズもホコリもない完璧な状態だった。相手は黒い車体だけに、引伸し時代は、暗部の調子再現にずいぶん腐心したが、デジタル化では修整ソフトの「シャドウを明るく」のバーをいじるだけで、キレイに調子の整った画像になり、デジタル化の恩恵も感じた。ネガに対しては、“よくぞ50年間待っていてくれた”と愛おしい心境になったものだ。

そこで自身の蒸機総集編の企画を立ち上げて、日頃の溜飲を下げたいものと、以前から密かに思っていました。自粛期間を好機ととらえて、毎日、ネガのスキャンに励むようにしましたが、膨大な量だけに、すべては不可能で、地域、時代、形式を絞らざるを得ません。まずは地域を絞ることにして、九州の蒸機に着手しました。

昭和40年代、九州の蒸機の美しい姿に魅せられて、よく九州へ行ったものです。それらを横断的に洩れなく紹介するのには、「区名板」をキービジュアルにして、機関区別に紹介するのがいちばんではと構想しました。

「梅」の区名板をキャブ下に掲げた昭和40年のC51 271、いかにも梅小路機関区の栄光の歴史を感じさせる文字として映る。「梅」の区名板は、下のC57 1のように、いまも保存蒸機のキャブに継承されている。

蒸機には所属する機関区があります。その表札のようなものが、運転台にある区名板です。機関区名のうち、漢字一文字で表したものですが、その字面の持つイメージが何とも暗示的です。たとえば、地元、京都の梅小路機関区は、「梅」が区名札でした。いかにも京都らしい、高貴な馥郁とした香りが感じられませんか。とくに優美なC51、C57に「梅」はピッタリでした。

いまは梅小路に保存されている8630、C571、D511の現役時代のキャブ回り、区名は国鉄の標準書体のすみ丸ゴシックで書かれているが、記入作業は区に一任されているので、書体にバラツキがあったり、独自の書体を採用する区もあった(左から、弘前区、新津区、青森区で撮影)。

 

 

5 thoughts on “ やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る 九州の蒸機   ①

    • 米手さま
      コメント、ありがとうございます。50年前の蔵出しとして、凡作、愚作も含めて、大量掲載したいと思います。50年も経てば、私にとっては、良き思い出ばかりの写真です。鉄道趣味の醍醐味ですね。

      • いつも言っていることですが、50年も経てば「凡作」も「愚作」も「失敗作」もありません。あるのは50年熟成させた貴重な「記録作品」だけです。どんどん見せてください。それが作品への恩返しです。

  1. 総本家青信号特派員様
     高度な撮影テクニック&センスも然りですが、無数の作品を根気強く整理される大変さを想像しそのご苦労に感じ入っております。そのお陰で我々は総本家さんの秀作の数々を目に出来ているのですから・・・ネガが50年経っても大丈夫だったとのこと、慶賀の至りです。きっと保存にも細心の注意を払われたことなのでしょうね!
     C571 手入れが行き届いた車体が太陽を浴びて輝く様は見事ですね。
     D511 高校時代鉄道友の会福井支部の見学会で南福井の福井機関区へ。そこに鎮座されていたのがナメクジD511。隅から隅まで覗かせて貰ったことを思い出しました。燃料が石炭の大きさに成形された豆炭であることを教えて貰った次第でした。

     ご投稿される皆様にも、大変なご努力にお礼と感謝を申し上げます。

    • マルーンさま
      いつもコメントを頂戴し、ありがとうございます。“自粛の成果”として何か発表をしなければと思い、朝から晩までフィルムスキャンを続けました。50年間、開封していなかった写真に出会い、まるで、埋蔵文化財を発掘したような思いでした。別に特別の保存もしていませんが、きれいなネガで、フィルムのアドバンテージを改めて感じました。いまのデジタル、50年後の2070年には、ちゃんと残っているか、疑問ですね。南福井は、私も福井国体のお召機を、DRFCの仲間と撮った思い出の地です。

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