やっぱり蒸機が好き! 九州の蒸機 私鉄・専用線編 ①

豊国セメント苅田工場

ここで、ちょっと前のシリーズに戻します。「《区名板》で見る九州の蒸機」を掲載しましたが、もちろん全部が国鉄の蒸機で、考えたら、九州では私鉄・専用線にも、多くの蒸機が活躍していました。これらも紹介しないことには、シリーズも完結しません。とは言うものの、私鉄・専用線の蒸機は、国鉄よりも一歩先に姿を消していて、訪れた昭和40年代初頭では、その片鱗をのぞいたに過ぎません。とくに、石炭王国の筑豊には、地産地消とばかりに、多くの蒸機が専用線を走り回っていましたが、炭坑の閉山とともに蒸機も消えていきました。こんななかで、辛うじて残っていた専用線を訪ねることができました。日豊本線苅田駅には、山手側には、日本セメントの石灰岩の採掘専用線、海側には豊国セメントのセメント工場へ向かう専用線があり、採掘された原石は両線を通って工場へ送られた。その輸送を担っていたのが、豊国セメント苅田工場の2両のタンク蒸機だった。写真は、苅田駅構内の日本セメント専用線にやって来た5号機関車、距離標の1,634米は、専用線の終端境を示すものだろう。

5号機関車は、昭和17年製造の日立製38tのCタンク機で、戦争中は海軍で使われたそうだ。蒸機としては新しい産業用の蒸機で、面白味は少ない。左にチラリと見えているのは、同社専用の石炭車。あと6号機がいて、これは昭和28年製だが、この日は出会うことは出来なかった。現在でもセメントの精製が行われていて、社名は、三菱マテリアル九州工場となり、原石の輸送は、大がかりなベルトコンベアで行われている。結局、この3枚を写しただけで、滞在時間約30分、苅田から次の撮影地に向かった(昭和43年3月)。

 

 

 やっぱり蒸機が好き! 九州の蒸機 私鉄・専用線編 ①」への2件のフィードバック

  1. この蒸機のうちの1台は、今も苅田町の小学校に保存されています。
    また引込線の跡は、昭和50年代は痕跡が明確に残っていましたが、今は山側の方だけが判る程度です。
    セメント工場だけだった苅田の工業地区は、日産自動車の九州進出のあと、トヨタも工場をつくり、今は九州で一番豊かな地方自治体になっています。

    • K.H.生さま
      連続コメント、ありがとうございます。専用線跡は、三菱マテリアル工場の手前の水路を渡るところに、古い親柱のある橋があって、これがかつての専用線の跡と聞きました。苅田の名前は、まずフェリーの発着場として知られるようになり、最近は、多くの著名企業の工場が立地することで、よくニュースなどで耳にします。

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