昭和の電車 改訂版(78)ー近鉄モ6601系ー

これに関してはwakuhiroさんや犬伏さん、どですかでんさんにお任せします。

なお、2012年11月20日に藤本哲男さんから投稿がありますのでリンクを張っておきます。

近鉄モ6601系

昭和の電車 改訂版(78)ー近鉄モ6601系ー」への5件のフィードバック

  1. 古豪の久しぶりの登場です、車両については藤本さんが本当に詳細に述べられています。大阪に住んでいた頃にはよく乗っていた車両で、重厚感があり途中駅は「地響き」を立てて通過していきました。特に朝の通勤時間帯はこの急行・準急の間をかいくぐる様にしてラビットカーが走り回っていたという情景を思い出します。ただ、大阪線の2200等と比べると、非常に地味な存在で終わったのが今となっては惜しまれます。以前の5200と同じ場所で二上山をバックにした写真がありました(1970.10.20)。

    • wakuhiroさん、
      乗った感じはどんなでしょうか?
      近鉄2200系や阪急P-6という重量級の高速走行という感じでしょうか?

      • 米手さま、乗った感じは、すぐにいい表現が出てこないのですが、重量級の鈍足走行でした。南大阪線は曲線も多く、阪急のような定規で引いたような直線区間もありません、二上山の山越えもあります。当時は停車駅も多く、大阪府の“出口”となる「古市駅」と奈良県に入った最初の主要駅「尺土駅」に停まり、尺土から吉野までは各駅停車でした。さらに高田市から吉野までは単線でしたのでそもそもスピードを出せる区間も無かったと思います。現在でも大阪阿部野橋・吉野間64.9Kmは急行で92分を要しています。また無停車の阿部野橋・古市間でも平均時速は60Km/hくらいです。6601の時はさらにスピードは遅かったと思います(ローカルな地名で申し訳ありません)。

        • 見た感じだけでいうと、下でINUBUSEさんが書いているように「徐々に加速、一気に減速」で運転士は冷や汗ものではなかったでしょうか。むかし、無印不用品先輩が京阪の1300だかを運転したときの武勇伝を思い出しました。

  2. 大学時代 南大阪線は6601、6411の大形車、5800、5651、5201などの小形車、6800、6000の新型車(ラビットカ-)が役割を分担して運用されていました。朝のアベノ口の準急、急行は大形車6、7連、各停はラビットカ-4連が分担していましたが、予備車の少ないラビットカ-の代わりに大形車の4連が各停運用に入ることがありました。一度先頭車に乗ったことがありましたが、目いっぱいの加速、ぎりぎりのブレ-キ まさに運転手の腕の見せ所という感じの見事な走りっぷりが印象に残っています。しかし6601はゆったり走るのが似合っていたように思います。

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