志布志機関区(1)
暑さや自粛に乗じて、デジ青投稿を怠っていましたが、めっきり涼しくなり、以前の行動様式に戻ったことから、心を入れかえて、キーボードに向かうことにしました。九州の蒸機、あと少しお付き合いください、と言うか、最後の2つの区こそ、いちばん紹介したかった区名板なのです。
まず「志」の区名板、いかにも前へ向かって突き進む、力強さを感じさせる、蒸機らしい区名板だと思います。当時、日南線の終点にあったのが、志布志機関区でした。「志布志」は、かな、漢字とも回文で、あとは石北本線の「瀬戸瀬」だけと言う、貴重な駅名でもあります。
日南線、志布志へ行ったのは、今までの九州訪問時より、もっと後年の昭和49年8月でした。昭和も40年代末になると、蒸機は急減に数を減らし、九州では、本線はほぼ全滅、辛うじて筑豊にキュウロク、ローカル線にC11、C12が走る程度になっていました。毎年、愛読していた車両配置表の蒸機のページが、どんどん減ってきて、昭和50年になると、梅小路の動態保存機も含めて、たった2ページになって、愕然としたことがありました。
日南線の開業は昭和38年のことで、旅客は最初からDCでしたが、貨物はC11が牽いていて、志布志湾にある石油基地へのタンク車輸送もあって、結構な本数の貨物が運転されていました。志布志区には、C11のほか、当時はまだ健在だった志布志線、大隅線のC58も配置されていました。まずは、形式別に「志」の蒸機を見ていきます。
▲海岸線に沿って走るのが日南線の魅力。大堂津付近 ▲▲DC列車の車内から見た「志」の区名板。バス窓も懐かしい。
▲志布志では一番の若番のC11 41 直前まで米子区にいて、倉吉線で客貨を牽いていた。この年の12月には休廃車となり、志布志での活躍は7ヵ月だった。青島
▲DCと並ぶC11 161 行橋区から昭和48年6月に志布志へ来た。油津▲切取り式デフを装備のC11 165 佐々区にいて、昭和44年の長崎国体の際には、松浦線でお召列車を牽いた。油津 ▲▲志布志機関区の庫内から同機を見る。▲ C11 189 戦後すぐに志布志に配属された生え抜き。廃車後は、ゆかりの無い可部線三段峡駅前の保存展示されていたが、可部線廃止後、いまは広島県内のイオンモールに露天展示されていると言う。志布志
▲同機の非公式側 煙突の前の細い排気菅は、本来の位置だが、点検の便のため、煙突後部に移設された機も多い。志布志▲ C11 195 非公式ながらもロッドの下りた形式写真が撮れた。標準的なC11の三次型だが、前掲のC11189と比べると、デフに点検窓が開いていること、デフのステーが太いなどの差異が見られる。志布志
▲志布志線で使われていたC58 112 大分区にいた時は、大分国体の際に、お召を牽いた。いまでも、志布志市内の鉄道記念公園に保存されている。志布志
▲こちらも、大分区時代に、お召牽引の経歴を持つC58 277 現在でも志布志市内の公園に保存されていると言う。なお、志布志のC58と言えば、最終ナンバーの427号がいたことで知られているが、この時期には廃車されており、大分区から転属したC58が占めていた。
特派員さん
C1141を倉吉で撮っていました。
やっぱり「乱撮り」必要ですね。いつか役立つ時があるのです。
いつ撮ったかは1900生さんか西村さんに聞いて下さい。
昭和48年7月15日です。夜行列車で夜明け前に上井で下車し、上灘、倉吉まで歩きましたね。あれからもう47年が経ちました。
えっ!
もうそんなに経ちますか!!
つい二三年前のような気がします。
下関行きの各停に乗りましたか?DF50だったように思いますが。
入れ忘れました!
米手さま
さっそくにコメントを頂戴し、ありがとうございます。いいですねぇ。私の大好きな時間帯です。蒸機ならではのシンダの赤い火まで写っています。C1141は記録ですと、昭和49年5月に志布志に転属したとあります。
さらにC11189も三段峡駅前で撮っていました。
2001年11月8日、もう二十年も経つのですねぇ。
三段峡は、私も廃止前に乗りに行きましたが、駅前にC11が保存されているとは全く知りませんでした。見ると運転台にも自由に入れるようになっていたようです。
志布志名物C58 427です。志布志線岩北-末吉間で、画面中央に高千穂峰があるのですが霞んでしまっています。
井原さま
やはり撮っておられましたか、私は427号は撮ったことがなく、志布志線にも一度も乗らずに廃止になってしまいました。神出鬼没の活動をされている井原さんらしく、最近でも、P誌の「野田線」特集に当たり、以前、2008年に旧掲示板に発表された、野田線豊春~八木崎の3222Fの貴重なカラーをネタに、準特急さんとともに盛り上がっておりました。