地震体験

 地元京都を始め関西在住のDRFC-OB先輩の皆様から早速地震に関するお見舞いの言葉を頂戴しております。有り難うございます。関東在住者は今の所、皆さん無事のようですが、この先しばらくは不便な生活を強いられることと思います。

 さて、地震のあった11日は朝から好天に恵まれたので、逗子のTさんの案内で横須賀市田浦の梅林を見に出かけた。ここは下を京浜急行が走っており、それを俯瞰撮影できる場所である。メモを見ると縦位置の写真はその場を去る前の14時32分に撮影したもの。京急の誇る2扉クロスシートの快速特急である。この撮影の後、JR田浦駅に向ってしばらく歩いている時に、Tさんが「あー地震や!揺れている!揺れている!」の声に始めて地震の発生に気づいた。この時は長いこと続くことと揺れがおさまらないので、もっと大きくなると危ないと恐怖感を感じた。電柱が倒れたり、民家の屋根瓦等が落ちてきたらこれを避けないといけない。年配の女性はしゃがみこんでいる。道路横の駐車場の車も揺れている。随分長い時間揺れを感じたが、ようやくおさまってきたころ、自宅の近い、それでも後で聞いたら6kmもあるTさんと別れた。この先はどうなっているかわからないが、横浜まで歩こうと考えた。昨年5月に小田原~三島の東海道旧道箱根八里を歩いたことがあるからその2/3くらいなら何とかなると思い、歩き続けた。横浜を選んだのは夜に動き出した時に相鉄、東急、京急、JRの選択肢が増えるからである。また、明日は勤務があるから早く帰りたいと言う気持ちがそうさせたのかもしれない。国道16号線は車が大渋滞で歩いた方が早いくらいである。金沢八景手前では横位置の写真のブルーの606-1の試運転車が金沢文庫から折り返して来たのか地震で停車中で技術員が乗っているのが見える。金沢八景付近は停電で年配の駅員さんは津波の心配があるので横浜市大へ避難の誘導をすると言うが、一向に誘導しないので食料品確保に商店街に向かう。1軒営業していた弁当屋は私の前で商品は終わり。仕方なくほかの店で100円ケーキ4個買う。携帯電話は通じないが、公衆電話はかかる。家では「ホテルに泊まって来い」と言う。徐々に暗くなってきて、一時雪が舞ってきた。横浜市営地下鉄の吉野町駅に寄って見るが、鉄道は全部アウトとのこと。しかし、22時頃には京王線は走ったようであるが、ここは神奈川県の情報。関内で夜明かしするレストランを探す。「ガスト」は15人待ちで営業は2時までなので24H営業の「わたみん家」で朝までねばることにする。大きな余震が続くのが気味が悪い。4時過ぎに店内に居た若者の情報で相鉄、小田急、京王が走り始めたということがわかり、これなら何とかなる目処はついたので、4時半に店を出た。横浜まで再び歩く。横浜ではJRは動いていないが、東横線と京急が動いたことがわかり、インストラクターにはとりあえず京急で川崎に向うように勧めて別れる。横浜5時半の東横線各停で渋谷に出て、井の頭、京王で家に戻る。シャワーを浴びてお色直しして出勤。

2011.03.11 京急田浦~安針塚 2117ほか快速特急三崎口行き

2011.03.11京急田浦~安針塚606-1を後部とする上り試運転電車

 さて、連日凄い惨事がテレビ放映されているが、特に津波の恐ろしさは想像を絶する。それに、福島の原発事故。こんなにもろいものなのか、どうすることも出来ないのか。これは予想もしない出来事で大迷惑。

 私事で恐縮であるが、震災を受けた東北の人から見れば小さいことであるが、不便なことと心配ごとは

①計画停電の影響で鉄道の運行が不安定なため、早めに起きて出勤せざるを得ない。入場規制も経験した。

②ガソリンが底をついてきたが、営業中のスタンドは長蛇の列。

③米、カップ麺、餅類等を中心に食料品不足。

④乾電池や湯たんぽなどがない。

⑤経験したことがない余震が今日も続いている。もうあれ以上のものは絶対来ないか。

⑥原発は30km外は本当に大丈夫か、風向き等によって影響は無いのか。

いろいろ心配してもしようがないが、店舗の営業時間も不安定で、店内照明は間引きて暗い。しかし、節電行為は致し方ないし、協力せざるを得ない。今日は南大沢の駅前で助け合い義援金に少しであるが協力。そんなことしか出来ない。アメリカは日本のこの様な非常時に略奪が無いことに驚いて感心しているが、この日本の秩序はいい伝統としていきたい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください