やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ⑬

各地で活躍するD51(1) 小樽築港区

また通常ペースに戻って、北海道の機関区別の蒸機を紹介していきます。D51と言えば、9600とともに、北海道ではどこでも見られた蒸機でした。ほとんどの機関区で、D51、9600が一緒に配置されていて、D51は幹線の客貨牽引、9600はローカル線の貨物、入換えと棲み分けされていました。

昭和43(1968)年4月の配置表で見ると、北海道全体で9600の153両に対して、D51は実に240両も配置され、形式別ではダントツの一位でした。

C55、C57の旅客機に比べると、華やかさもなく地味な存在でしたが、日本の蒸機の代表、D51の活躍例を挙げてみました。

小樽築港区のD51 204 C62重連の聖地、上目名を函館発旭川行き121レを牽いて通り過ぎる(昭和43年9月)。

小樽築港区ではC62の活躍が余りにも有名でしたが、D51も当区に昭和43(1968)年4月では20両配置されていました。主な活躍の舞台は、“ヤマ線”と言われた函館本線の小樽築港~長万部が中心でしたが、当時は、まだ函館本線もすべて非電化(同年10月に小樽~滝川が初電化)のため、札幌周辺でも函館本線、千歳線の貨物を牽く姿も見られました。

これも上目名の121レ D51 286 上りC62重連「ニセコ1号」通過の前座として通るので、行くたびに121レに出会うことになる。一両目に回送のオロネ10を連結している(昭和43年9月)。熱郛で交換待ちの121レ D51 622 この時代は“三ツ目”だった(昭和43年9月)。C62重連の撮影を終えて、夕暮れの上目名から123レに乗る。牽くのはD51 465 123レは網走行きで、札幌からは517レ急行「石北」になるから、そのまま乗れば、翌日は常紋だ。ただ、これだと食糧を買うチャンスが札幌の18分間の停車時間しかなく、これを逃した私は、丸二日間、空腹をかかえることとなった。小樽に到着した42レ D51 286 右の看板は「8月28日から小樽・滝川間に電車が走ります」で、北海道初の交流電化が完成して、一部のDC列車を置き換えて711系電車が走り始めた。この年の10月が「ヨンサントウ改正」で、さらに電機・電車が増えることになる(昭和43年9月)。岩見沢のD51 916 この時期はたしかに小樽築港の所属なのだが、函館本線の電化から3年が経過していて、同線の貨物牽引とは考えにくく、一時的に岩見沢区に貸し出されて室蘭本線の貨物を牽いていたのかもしれない(昭和46年3月)。

小樽築港のD51は、さらに足を伸ばして、札幌を通り越して、千歳線の貨物列車も牽いていた。植苗に停車する6754レ  先頭D51 1149、次位D51 947、さらに後部にはD51 596を連結していた。▲▲列車交換後、発車する6754レ(昭和44年9月)。

 

 やっぱり蒸機が好き! 《区名板》で巡る北海道の蒸機 ⑬」への1件のフィードバック

  1. 恒例の一人コメント入れます。文中、昭和43年8月28日に電化が完成し記しています。これは、昭和42年10月改正の訂補として実施されました。ダイヤはそのままで、従来の気動車、客車列車のスジに、車両のみを電車または電機に置き換えるものでした。列車番号も同じの暫定的な運転で、同年10月のヨンサントオ改正までの一ヵ月余りの暫定的な運転でした。面白いのは、電化区間をまたぐ列車、たとえば、余市発幾春別行きは、最初DCで、小樽で711系電車に替えて、岩見沢に着くと、またDCに交換すると言う、同じ列車で3種の車両を運用していました。写真は、ある方からいただいた当日の様子です。

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