京都駅1番ホームのC575
年末の連投、失礼します。50年前の昭和46年と言えば、初回にも書きましたが、山陰本線からC57の牽く列車が消えたことが特筆されます。それが4月26日のこと、その後、1ヵ月もしないうちに、サプライズが待ち受けていました。C57が重連で、京都~姫路を往復する臨時列車「青葉の姫路城と蒸気の旅」の牽引でした。京都~大阪では、前年にC57 5牽引の丹後山田行の列車が走っていますが、今度は姫路までの運転、しかもC57が重連で牽くというもの。牽引に当たったのは、人気絶頂のC575が先頭、C5739が次位で、山陰本線の牽引を終えても梅小路に籍があり、このあと、豊岡区などへ転属するまでの間、“SLブーム”に乗っかった、ひと稼ぎと言ったところでした。
▲C57重連の牽く「蒸気の旅」は、昭和46年5月23日からの土日、6月27日までの計10日間運転された。梅小路から単機で回送されたC57重連が、京都駅1番ホーム横で待機する。もう見られないと思っていたC57の流麗な姿が、京都駅でよみがえった。
▲1・2番ホームの間の下り貨物線で待機する、C57 5+C57 39。1番ホームで特急を待つ乗客・駅員も熱い視線を投げかける。
▲客車を連結したあと、誘導されて6番ホームに入線する。客車は、なんと旧客ばかりの12両編成。▲6番ホームに据え付けられた「蒸気の旅」、このあと10回の運転期間、ほとんど毎回のように沿線で撮影したり、大阪駅で発車を狙った。東海道・山陽の電化区間を走る蒸機列車は、翌年に走った、梅小路蒸気機関車館の動態保存機のC61・C62牽引の「白鷺号」が有名だが、山陰本線のC57を追い掛けた身にとって、思い出深いC575、C5739が東海道・山陽本線を走ったことのほうに感激したのだった。
総本家様も「蒸気の旅」を写しておられましたか。新聞に紹介された記事を読み、私も写しに出かけました。運転日によってヘッドマークが変わり、最終日の撮影でしょうか。山陰線のC57が消えて意気消沈していた時に、思いがけない朗報に喜んだものでした。
軒飾りのあるホームのシルエットや、雷鳥1号を待つ乗客の服装から、時代の空気感が漂ってきます。駅撮りのお手本のようなカットですが、この種の写真は今では撮り難くなりましたね。「二段構えの撮影法」は、良い勉強になりました。
最後の運転日となった昭和46年6月27日、私は京都駅の西でカメラを構えておりました。ちょうど雷鳥1号とすれ違ったのですが、いやあ、見事にひどい写りで恥ずかしい限りです。
いゃ~、いい写真ですね。「雷鳥」はもちろんボンネットですね。この付近、たしかM高校の先輩のSさんも撮られたところで、「梅小路で産湯を使い」のタイトルで「国鉄時代」に載せられていたところではないでしょうか。
クハ481はボンネットだけの時代でした。昭和46年にはハーフ版のカメラしかなく、一眼レフが欲しくてたまりませんでした。もう見ることはないと思ってたのですが、デジタル時代の到来で日の目を見ることができたのはうれしい限りです。
「国鉄時代」を開いてみたところ、S先輩の写真は昭和46年11月の17両勢ぞろいが載っていました。
多分、今年最後のコメントになると思います。この一年はずいぶん楽しませていただきました。皆様、どうぞよいお年をお迎えください。
この日は、総本家さんと一緒だったような気がします。
ネガを見ると、この後、神足で走行を撮影、電車で追いかけて大阪駅の発車を撮影しており、大阪駅は凄い人出でした。
画像は、京都駅で113系大垣行との並びです。113系は今も健在ですが、大垣行は無くなりました。
藤本様
はい、覚えています。藤本さんとは何度かご一緒しました。Kawanakaさんも一緒だったような。大阪駅はたしかに、すごい混雑でした。
私が持っている、唯一のC575
米手さま
2番ホームに停まるC575の列車、これは何でしょうか。私は2番ホームからの「はしだてビーチ」は知っていますが、客車が旧客です。「はしだてビーチ」と同じスジの臨時「丹後」かもしれませんが、福知山のC57牽引でした。ナゾが深まります。
C575はきれいなカマでした。梅小路にて。
ホントにきれいなカマでしたね。これは、ツララ切りのある、転属直後の姿ですが、デフにも縁取りがされていて、給水温め器にモールが巻かれています。
姫路市御立交通公園に保存されているC57 5の2016年お正月の姿です。正面ナンバーに注連飾りをつけてもらっています。