五十年前に見た 当たり前の風景  -5-

二条駅を偲ぶ(2)

鈴なりの旧二条通踏切の陸橋、土日ともなると近所の小中学生で一杯になった。

先述の旧二条踏切には、鉄骨造りの横断陸橋がありました。本線の列車だけでなく、貨車の入換で踏切の遮断時間も長く、歩行者用の陸橋が設けられたのでしょう。ここから見下ろすと、二条駅を発車した下り列車がカーブを曲がってやって来るシーンが撮れました。もちろん周囲の街並みも、下にいる撮影者も入りますが、逆に時代の証言にもなりました。京都市内では、いちばん手軽に撮影できるところで、蒸機が姿を消すようになると、どんどん撮影者が集まって来ました(昭和46年4月)。

C57発車の頃には、子どもだけでなく、オッちゃん、オバちゃんも総出で線路端に。▲▲警官も出動、もちろん鉄道用地内から追い出すなど無粋な行為は全くなく、「気ぃつけて撮りや」と言うだけだった。

 

日曜日夕方限定の重連、1827レも陸橋から撮影。この日は、なかなか見られない、C57 190が先頭だった。同じ場所から同じ列車を、京都のベテラン鉄道写真家Kさんが撮られていて、それが「レイル」の表紙を飾た。右手の日通倉庫も懐かしい。
人波をかき分けて発車して行くC57 89

 五十年前に見た 当たり前の風景  -5-」への2件のフィードバック

  1. いつものことながら、総本家様の人物を巧みに取り入れた画面構成は勉強になります。2枚目などは「前に立たないでいただけますか」、いや、「こらァ!どかんかい!ボ〇ェッ!」と言いたくなる場面ですが、それを逆手にとって作画するのは容易なことではありません。カメラを構えたおじさん、白いエプロンを着たおばさん、50年前には普通に見られた服装ですね。列車だけの写真より、当時の雰囲気が伝わってきます。子供たちを見守るお巡りさんにシャッターを切っておられるのも、総本家様らしさを感じます。
    旧二条踏切の北側にあった跨線橋、覚えています。私は撮影してないのですが、友人が上から撮影してました。5枚目のC57 89のような黒煙をまともに浴び、来ていた服は真っ黒け。家に帰ると鬼の形相をしたお母ちゃんに、こっぴどく叱られたそうです。
    数年後、この踏切を渡って教習所へ通いました。しかし、ワイヤーが上から降りてくる遮断器だったとは、つい最近まで知りませんでした。何度も見たはずですが、記憶とはいい加減なものだと思い知りました。

    • 近くにお住まいの紫の1863さんには、二条駅の思い出は数知れずお持ちだと思います。踏切付近は、小学生、中学生がホントたくさん集まっていました。少しぐらいなら、避けて撮りますが、これだけ多ければ、むしろ、入れてしまったほうが、時代が感じられると、積極的に入れて撮りました。陸橋の上からは、煙がモロですね。それも時代の思い出です。

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