昭和の電車 改訂版(238)ー福井鉄道51号ー

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昭和の電車 改訂版(238)ー福井鉄道51号ー」への6件のフィードバック

  1. 扉が開いていたり、前に雑草があるイマイチ写真ですが、昭和42年3月20日、水落駅です。マルーンさんと一緒に行きました。

  2. 昭和48年4月1日、南越線(社)武生駅、クハ51です。
    昭和46年に電装解除してHL制御のクハに改造され、南越線に転属しました。(モハ時代も応援で行ったことあり)
    隣のダブルルーフ車は、モハ12です。

  3. イラストの後ろに描かれているモハ200形急行です。
    昭和48年5月27日、市役所前、モハ202です。

  4.  藤本さんの凄まじい撮影記録には、いつも「凄いな!」と感嘆するばかりです。
     素早いバックアップに感激しています。有り難うございます。
     モハ200系急行の勇姿、懐かしい限りです。ステップも懐かしい。「ハギレヤ」もっと懐かしい!
     この辺も福井銀行本店も建て替えられたり、繊協ビルも建て替え中と変化しているようです。ぶんしゅうさんの方がお詳しいかもですが・・
     「水落~織田」廃線も遠い昔の話になってしまいましたね。

    • モハ51号とは関係ないのですが、昔の写真を探していたら福井鉄道の写真が1枚だけ出てきました。1972年2月に大名町交差点で撮ったもので、バックにマルーンさんがおっしゃる福井銀行本店が写っています。また電車の方向板は福井ー織田となっています。当時福井から織田行があったんですね。

      • 鯖浦線の廃線は2段階あり、終点織田と西田中間は1972年10月で残りの水落ー西田中間の全線廃止は1973年9月でした。
        本来は北陸線鯖江から日本海の港、梅浦までを結ぶ予定の鉄道でしたが、全通せず織田が終点の時代が長く、鯖江ー水落間を先に廃止したため、水落は交差する乗換駅から本線からの分岐駅に変わりました。直通運転が廃止の年まで行われていた事は、初めて知りました。

        私は廃止から6年後の79年に同大に入り、その年の夏休みは九州時代の友人と北陸の旅をして、織田駅の跡を訪ねています。
        当時は越前平井の日野川の鉄橋も残っていました。

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