昭和の電車 改訂版(238)ー福井鉄道51号ー 投稿日時: 2021年12月19日 投稿者: 米手作市 福井県出身の方は写真を貼ってください。 この記事を共有:TwitterFacebook印刷 関連 関連記事: 昭和の電車 改訂版(208)ー京阪電鉄京津線80型ー 昭和の電車 改訂版(157)ー京王電軌23型ー 昭和の電車 改訂版(98)ー大阪市電3001型ー 昭和の電車 改訂版(84)ー阪神1001型ー 昭和の電車 改訂版(78)ー近鉄モ6601系ー 昭和の電車 改訂版(41)ー京阪スーパーカー2000系ー 昭和の電車 改訂版(29)ー京成電鉄1600型ー 昭和の電車 改訂版(18)ー奈良電クハボ600型ー
昭和48年4月1日、南越線(社)武生駅、クハ51です。 昭和46年に電装解除してHL制御のクハに改造され、南越線に転属しました。(モハ時代も応援で行ったことあり) 隣のダブルルーフ車は、モハ12です。 返信 ↓
藤本さんの凄まじい撮影記録には、いつも「凄いな!」と感嘆するばかりです。 素早いバックアップに感激しています。有り難うございます。 モハ200系急行の勇姿、懐かしい限りです。ステップも懐かしい。「ハギレヤ」もっと懐かしい! この辺も福井銀行本店も建て替えられたり、繊協ビルも建て替え中と変化しているようです。ぶんしゅうさんの方がお詳しいかもですが・・ 「水落~織田」廃線も遠い昔の話になってしまいましたね。 返信 ↓
モハ51号とは関係ないのですが、昔の写真を探していたら福井鉄道の写真が1枚だけ出てきました。1972年2月に大名町交差点で撮ったもので、バックにマルーンさんがおっしゃる福井銀行本店が写っています。また電車の方向板は福井ー織田となっています。当時福井から織田行があったんですね。 返信 ↓
鯖浦線の廃線は2段階あり、終点織田と西田中間は1972年10月で残りの水落ー西田中間の全線廃止は1973年9月でした。 本来は北陸線鯖江から日本海の港、梅浦までを結ぶ予定の鉄道でしたが、全通せず織田が終点の時代が長く、鯖江ー水落間を先に廃止したため、水落は交差する乗換駅から本線からの分岐駅に変わりました。直通運転が廃止の年まで行われていた事は、初めて知りました。 私は廃止から6年後の79年に同大に入り、その年の夏休みは九州時代の友人と北陸の旅をして、織田駅の跡を訪ねています。 当時は越前平井の日野川の鉄橋も残っていました。 返信 ↓
扉が開いていたり、前に雑草があるイマイチ写真ですが、昭和42年3月20日、水落駅です。マルーンさんと一緒に行きました。
昭和48年4月1日、南越線(社)武生駅、クハ51です。
昭和46年に電装解除してHL制御のクハに改造され、南越線に転属しました。(モハ時代も応援で行ったことあり)
隣のダブルルーフ車は、モハ12です。
イラストの後ろに描かれているモハ200形急行です。
昭和48年5月27日、市役所前、モハ202です。
藤本さんの凄まじい撮影記録には、いつも「凄いな!」と感嘆するばかりです。
素早いバックアップに感激しています。有り難うございます。
モハ200系急行の勇姿、懐かしい限りです。ステップも懐かしい。「ハギレヤ」もっと懐かしい!
この辺も福井銀行本店も建て替えられたり、繊協ビルも建て替え中と変化しているようです。ぶんしゅうさんの方がお詳しいかもですが・・
「水落~織田」廃線も遠い昔の話になってしまいましたね。
モハ51号とは関係ないのですが、昔の写真を探していたら福井鉄道の写真が1枚だけ出てきました。1972年2月に大名町交差点で撮ったもので、バックにマルーンさんがおっしゃる福井銀行本店が写っています。また電車の方向板は福井ー織田となっています。当時福井から織田行があったんですね。
鯖浦線の廃線は2段階あり、終点織田と西田中間は1972年10月で残りの水落ー西田中間の全線廃止は1973年9月でした。
本来は北陸線鯖江から日本海の港、梅浦までを結ぶ予定の鉄道でしたが、全通せず織田が終点の時代が長く、鯖江ー水落間を先に廃止したため、水落は交差する乗換駅から本線からの分岐駅に変わりました。直通運転が廃止の年まで行われていた事は、初めて知りました。
私は廃止から6年後の79年に同大に入り、その年の夏休みは九州時代の友人と北陸の旅をして、織田駅の跡を訪ねています。
当時は越前平井の日野川の鉄橋も残っていました。