五十年前に見た 当たり前の風景  -8-

一度だけの名古屋市電

前回の「名松線」で誤記がありました。均一周遊券の名称は「南紀」ではなく、「南近畿」でした。また発売は、周遊地に至近な京都・大阪からの発売はなく、名古屋の発売でした。どうやら名古屋に住んでいた知人に頼んで購入したようです。さて、その「南近畿」の帰りに、名古屋へ寄っています。周遊地までのルートは、幾通りもあって、たとえば名古屋からは、関西本線だけでなく、東海道線-京都-奈良線でもいいし、東海道線-大阪-阪和線でもOKという選択自由なものでした。いまの「おトクなきっぷ」のように、二人以上とか一週間前購入とか、制約ばかりではなく、なんともおおらかな切符ではありました。

さて、その名古屋駅前で市電を2枚だけ撮りました。あと名古屋の市電は、別の日に乗換えの間に撮った数枚だけ、それ以外に撮ったことはなく、私としては貴重なシーンとなりました。

名古屋駅前の特徴のひとつ、ロータリーに掛かる11系統の1800型。名古屋と京都をざっと比較すると、最盛期の総延長は、名古屋106キロ、京都67キロ、路線長では京都の1.5倍以上、最盛期の車両数では名古屋422両、京都357両(トロバス除く)で、それほど差がないのは、京都が稠密な輸送を行っていたせいだろうか。

この日は「名古屋駅前」の停留場標識を記念に撮っただけで引き揚げた。真夏の午後、歩行者の向きも動きもバラバラ、何か映画のワンシーンを切り取ったような、見るほどに不思議な写真となった。「東海銀行」も懐かしい。

以下は、別の日、乗換えの間の名古屋市電、この時も数枚撮っただけ。弾性車輪とドラムブレーキが外観上の特徴の1800型。背後右手のビルは、屋上に森永の大きな球体広告のある「大名古屋ビルヂング」。もっと小さい頃、名古屋駅に降りると、ドーンと建っている、このビルが印象に残った。高層階に大きな文字で「大名古屋ビルヂング」と表示されている。“ビルヂング”も時代がかっているが、私は読みを“大名”“古谷”と信じて疑わなかった。“古谷”はビルのオーナー名だろうが、なぜ“大名”なのか分からなかった。これが“大”“名古屋”と分かったのは、だいぶしてからだった。戦前製の1400型は75両あって、名古屋市電の最盛期の415両のうち、約2割を占めていた、名古屋市電の代表車。系統番号は、10の位が車庫ごとに分類されていた。京都のように車庫ごとの色分けとは対照的で、最大の番号は82号系統。

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