昨日のエトセトラとウエスト銀河

呉線の観光列車「エトセトラ」と下関行き観光特急「ウエストエキスプレス銀河」の運転日が重なると、備後赤坂駅で折り返し待ちの「エトセトラ」の横を「銀河」が通過してゆく筈なので、そのシーンを撮ろうとクルマで出かけることにしました。しかし、そのためだけにクルマを走らせるのは、燃料高騰の昨今不経済なので、先般連載しました「尾道鉄道跡探索」で まだ調査できていない、御調町市駅周辺の取材も兼ねて出かけました。「尾鉄」については別稿でご報告します。

まずは、尾道で乗客をおろしたあと、折り返し駅である備後赤坂駅まで回送で走ってくる「エトセトラ」を撮ることにして、東尾道・松永間の今津川鉄橋に行きました。丁度干潮で砂地がむき出しで、パッとしないのですがここで撮ることにしました。

令和4年1月29日 東尾道・松永間今津川鉄橋を行く上り回送エトセトラ

エトセトラはイマイチでしたが、思わぬ収穫がありました。福山・尾道間は明治24年11月3日に山陽鉄道として開通したのですが、山陽鉄道時代のレンガ積み橋台、橋脚が健在であることが確認できました。

松永寄りの橋台(手前側が上り線側)に山陽鉄道時代のレンガ積みが残る

右側の橋脚(上り線側)がレンガ積み

今津川橋梁は両岸の橋台、4基の橋脚とも上り線側がレンガ積みで健在でした。よく見るとレンガの積み方は1段ごとに長辺側、短辺側を繰り返すイギリス積みでした。開通以来130年を経ていますが、現役施設として大動脈を支えているわけで、明治時代のものづくりの確かさ、丁寧さを感じます。この辺りは明治時代には干拓地や塩田が拡がっていた場所で、細い水路も多かったのですが、今津川鉄橋のすぐ東側にも水路があって、ここにもレンガ積みの構造が残されていました。

レンガ積み構造物が残る

幅が狭い水路の為、レンガ積みの橋台を設け、天板に石材を乗せ、その上にまたレンガを積むこのような構造が、尾道市街地にも多く見られます。尾道は石工の町でもあり、花崗岩が手に入り易い地だったのでこのような構造が多いのではと思います。

さて思わぬ収穫に気をよくして備後赤坂に向かいます。エトセトラは12:47に備後赤坂に着き、14:22の発車まで待機です。運転士も所在なげにホームに降りて時間つぶしのようでした。14:02に福山を発車した下り銀河が14:10頃通過するはずですので私も駅西側で待つことにします。下校してくる高校生たちから「カメラを持った変なオジサン」という視線を感じながら待ちました。

備後赤坂駅を通過してゆく下り銀河

すぐ前を1731Mが走っているためか、えらくノロノロと銀河は通過してゆきました。銀河は地味な色合いでもうひとつ絵になりません。もとはあの117系という眼で見てしまうせいなのか、あまり有難みを感じないのは私だけでしょうか?

エトセトラが待機している線は、普段はあまり使われない待避線のせいか雑草も伸び放題でガッカリでした。赤坂の通過シーンは次に撮るとすれば、跨線橋の上からですが、もう一度来てみようかとは思いませんでした。ちなみにこの先、このシーンが見られるのは、2月5,12,19,26日の各土曜日です。

最後に、尾道に戻るエトセトラを撮って今日は終わりにします。どこで待とうかと考えましたが、10分あとの発車なので近くのポイントで待つことにして急いでクルマで移動しました。

今伊勢宮前を通過する尾道行き下り回送エトセトラ

備後赤坂・松永間に「今伊勢宮」という古社があります。室町時代前期の創建で、小高い山全体が神社になっていて、外宮、内宮がある まさに伊勢宮です。古くからあった参道を山陽鉄道が横切ったかたちになっています。

オミクロン株の急速な拡がりで、広島県下にはまん延防止措置が2月20日まで延長され、毎日感染者が増えています。そんな中、エトセトラや銀河といった「不要不急」の乗客を乗せて走る観光列車は運休になるのかと思いきや、満席状態です。エトセトラは県内移動ですが、銀河は関西から下関間の運転です。経済との両立というのはこういうことなのかと複雑な気持ちで、不要不急の外出を終えて帰宅の途につきました。

 

昨日のエトセトラとウエスト銀河」への2件のフィードバック

  1. 「ウエストエクスプレス銀河」は、四国在住の者にとっては昨年のクリスマスプレゼントのように、12/25に琴平までやってきました。多度津駅周辺で見学しましたが、所用の為引き上げ、翌日の帰り便に備える事としました。
    12/26は、琴平駅からの帰りに日本一小さな天守閣の「丸亀城」に立ち寄るスケジュールになっています。丸亀駅には待避線がないので、回送するなら、上りで坂出駅、折り返し下りで多度津駅で待機、再度上りで丸亀駅に回送かと予想し、チャンスの多い丸亀駅〜多度津駅間で張り込む事としました。
    ところが時間を過ぎても来ず、JR四国の走行位置情報からも臨時が消えてしまっています。
    「丸亀城」へは多度津駅からチャーターバスで行かれたようで、車両は多度津駅で2時間近く待機というスケジュールでした。
    この日は天候にも恵まれませんでしたが、走行写真は、高松運転所から琴平駅への送り込み回送のみという残念な結果に終わりました。
    12/25 土讃線 多度津駅〜金蔵寺駅間の写真(記録)をつけておきます。

    • 77-タツ様
      銀河が瀬戸大橋を渡っていたとは知りませんでした。張り込みが空振りだったようで、さぞ気をもまれたであろうことがよくわかります。私も、コロナ禍で運休になっているのではと心配しつつ、時計を見ながら待っていました。単線区間を行く銀河の貴重なカットをありがとうございました。

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