尾道鉄道跡をたどって(その4)

尾道鉄道の山越え区間であり、昭和32年にいち早く部分廃止された石畦(いしぐろ)・市間について大事故の慰霊碑、現存するトンネル、スイッチバックの諸原駅跡の様子を3回に分けてレポートしました。終点市駅周辺の取材ができていなかったので旧銀山街道宿場町としての街歩きも兼ねて、昨日歩いてきました。諸原から国道184号線を下ってゆくと右手に中国バスの車庫が見えてきます。そこが尾道鉄道市駅跡です。国道はほぼ線路跡であり、駅裏側になりますので、駅の正面側 即ち銀山街道とも呼ばれる旧道側から駅前に入ってゆくことにしました。

旧道から入るとすぐに橋があり、その先に古風な2階建ての民家が見えます。

令和4年1月29日 旧尾道鉄道終点 市駅前付近

この橋の下を流れるのは諸原川です。そして橋の名前を記した銘板を見ると「えきまえはし」となっています。

諸原川にかかる「えきまえはし」

駅が無くなって65年を経過していますが、しっかりとここが駅前だったことを示してくれる名前が生きているのがうれしいですね。ところでなぜ「えきまえし」ではなく「えきまえし」なのでしょう。河川や橋梁関係の仕事をされてきた人の話によると、新しく橋を架ける際に、川の水が濁るのを嫌って「し」とせずに「し」とするのだと聞いたことがあります。さてその向こうに建つ特徴ある民家は、かつて「雲雀旅館」という駅前旅館でした。現在は一部が生花店となっています。大きなガラス窓が並ぶ2階の造りがいかにも旅館の雰囲気です。最初の写真で、道路の正面、パジェロが停まっている辺りに駅本屋があったと思われます。またその背後にある山は、中世の山城「雲雀城跡」です。多分旅館の名前はその雲雀城にちなんだものでしょう。

旧市駅跡。現在は中国バス市出張所

右手のプレハブ平屋の建物が、中国バス市出張所で、待合室やバス、タクシーの運転手の休憩所になっています。廃止から65年も経っていますので鉄道の痕跡が無いのは仕方ありません。

かつての市駅構内がそっくりバス車庫に。手前の道路が国道184号。

現役当時の市駅の写真がほとんどなく、詳しい様子がわかりませんが、ホーム1面と機回し線、貨物ホーム1面があったようです。

駅本屋があったと思われる側から旧街道側を望むと下のような景色です。

駅前風景。右手の電柱の向こう側が雲雀旅館跡。左手の木造家屋はかつては商店か?

最初の写真のパジェロの後方の山裾に大きな屋根が見えます。これは日蓮宗本照寺の本堂です。早速訪ねてみました。

日蓮宗本照寺本堂

この本照寺はすでに無住になっていますが、境内はきれいに清掃、手入れされています。この背後の山にある雲雀城は室町時代前期 嘉吉3(1443)年に小早川一族の土倉(はぐら)氏によって築城されましたが、その後戦乱の中で城主は次々と代わり、毛利氏配下の池上氏が長く城主であったようです。本照寺はその池上氏一族の菩提寺でもあります。本堂左手の坂道を少し登ったところに、尾道市史跡でもある「伝雲雀城主墓石群」があります。

苔むした五輪塔などが37基並ぶ

ここから振り返って駅跡方向を見てみます。

本堂裏手から市駅跡を望む。バスが停まっているところが市駅跡。

さて、お寺の話が長くなりましたが、このシリーズの第1回目で昭和21年、37名の死者を出した悲惨な事故とその慰霊碑についてレポートしました。その中で、慰霊碑の正面側になぜ「南無妙法蓮華経」と刻まれているのが不思議だと記しました。この件については、何も確証はないのですが、「南無妙法蓮華経」というお題目は日蓮宗と天台宗のものであること、そして事故に遭われた乗客の大半は市村へ帰る途中の市村の住民が多かったと思われること、そしてその市駅のすぐそばに日蓮宗の古寺本照寺があることから、慰霊碑を会社が建てる際に本照寺も何らかの関わりがあったのではと推察します。日蓮宗のお寺の墓地をそのような目で見たことはないのですが、この度本照寺境内の墓石にも「南無妙法蓮華経」と彫られたものが見られたので、その思いが強くなりました。本照寺は無住のため、お話を聞くすべがないのですが、宿題としておきます。

最後に「おまけ」です。どですかでん氏がコメントで紹介下さったRCC中国放送がホームページで公開している「ひろしま戦前の風景20. 輝く郷土 御調郡市村」を見ると諸原スイッチバック駅の動画に加えて昭和12年撮影の「市村郵便局」が登場します。

戦前の市村郵便局 RCC中国放送のHPより引用

何と85年を経て、市駅跡に近い旧道沿いにその建物が残っていました。

旧市村郵便局

白い石材?に彫り込まれた文字

無粋にもアーチ型のガラス窓や入口の扉部分はコンクリートで塞がれてしまっていますが、外観はほぼ原形を留めています。

大きな建物の一部が郵便局?

大きな総2階の建物の一部を郵便局にしたのか、右隣りの商店?もその向こうの土蔵のような建物も一続きで、不思議な建物です。旧道沿いにはこの他にも気になる古い建物がいくつかありましたが、この日はこのあと「エトセトラ」や「銀河」の撮影予定があり、これで切り上げることにしました。また日を改めて、鉄分抜きの街歩きをしようと思います。「えきまえはし」や元旅館、元郵便局など80年ほどタイムスリップしたような時間を過ごしました。

尾道鉄道跡をたどって(その4)」への10件のフィードバック

  1. RCC中国放送のHPの映像にあった「市村郵便局」が現存していたとは驚きです。この建物は正面からは洋風石造建築に見えますが、実際は木造建築でモルタル壁などで洋風建物に見せかけているのです。西村さんと鞆に行ったときの投稿にも紹介していますが、大正から昭和にかけてこのような建物が流行したようです。「天ぷら建築」というそうです。検索すると一件のブログが見つかりました。それを読んでみると「天ぷら建築」について書かれてある本があるようで、前から気になるので調べてみようと思っています。鞆のまちにはよく見かけられ、特に四国、中国地方によく見られるようです。

    • どですかでん様
      コメントありがとうございます。「天ぷら建築」の書名がわかれば教えて下さい。銀山街道沿いにはまだまだおもしろいものがありそうです。

      • 私はまだ本は見ていませんがブログの投稿者によると「天ぷら建築」について書かれてあるようです。著者は三浦正幸さんで現在は広島大学名誉教授で建築専門だそうです。その中でも古建築に詳しく大河ドラマの「鎌倉殿の13人」や「青天を衝け」「麒麟がくる」の建築考証を担当されたそうです。書名は「鞆の浦を歩く 日本の宝」(瀬戸内文庫)で出版社は広島の南々社です。本は本屋でもネットでも手に入るようです。

        • どですかでん様
          三浦先生でしたか。広島では城郭や古建築で有名な方で、よく知っています。早速情報収集を始めることにします。何だか鉄道から地歴部のようになってきましたね。

  2. 銀山街道の街並みもいい感じですね。
    架線も残り、営業廃止直後と思われる市駅跡の情景です。ボンネットバスがいるのは旧貨物上屋でしょうか?
    出元は岩波写真文庫「広島県」(1957.9刊)で、タマタマ同じページにセノハチの写真もありましたので、そのまま紹介します。

    • 宇都家様
      貴重な情報をありがとうございます。市駅の写真がなかなか見つからず、全貌がつかめないのですが、この写真は非常に参考になります。廃止直後ですから昭和32年でしょう。岩波写真文庫は他でもお世話になったことがあります。時代の記録として価値ある文庫だと感謝です。

      • 写真文庫を収集してました
        結構、鉄道の写真も載ってるし、鉄道以外の写真も興味を引く見ものが多くお気に入りです

  3. また岩国に帰って来ていますが感動しまくりで読んでいます。
    終点市駅の写真を見た記憶があったのですが、
    まさにこれでした。
    岩波写真文庫は宝庫だと思います。いすゞのBXですよね。
    またこの手の大正から昭和初期の逓信省建築のローカル版は
    日本の歴史遺産です。
    中国地方の山あいの村に多く残るのは、たたら製鉄や
    鉱産資源で栄えた我らの先祖たちの遺産だったと思っています。
    多くは朝鮮半島系の移民の残した産業でしょう。
    岩国奥の六日市方面も古い道の跡が多く残っています。

    • K.H生様
      コメントありがとうございます。錦川上流から島根県へのあたりもたたら製鉄や鉱山跡などが数多く点在していますね。雪の心配がなくなれば走ってみたい地域です。

      • コメント失礼いたします。
        日蓮宗の寺院と慰霊碑のことが気にかかり、少し調べてみたのですが、これといって切り札はありません。
        一つは加藤清正のような有名な戦国大名が鎌倉仏教の日蓮宗の熱心な信徒だった歴史が有り、尾道の奥、栗原にも有力な寺院があります。
        行ったことのない尾鉄終点の市が、戦国山城の雲雀城の里村であったことが大変興味深いです。
        おそらくは在郷武士の池上氏時代からの遺習かなと推理しました。
        それと大阪の能勢の妙見山はじめ、妙見信仰の有る所には日蓮宗の「南無妙法蓮華経」の石碑が大変多いです。池田から川西、能勢にかけては、だらけです。しかしここと妙見信仰の繫がりは発見できませんでした。妙見信仰とは北辰、星を崇拝する航海安全の神様です。

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