備後・備中に消えた鉄道を訪ねて 最終回 ~こんどは“おのてつ”のまぼろしと尾道の「ハッサク電車」~

 いよいよ最終回である。

 芦田川を越えて福山の町に入った。福山城の横を通って、福山自動車時計博物館の所へ来た。野外展示場が見えたが本来の目的地へ向かうことにした。それは再び井笠鉄道の車両が保存されているところである。そこは福塩線上戸出駅から北へ約1.5Kmほど行った所にある新市クラシックゴルフクラブである。この入口に井笠のコッペル2号機とホハ12が保存されているのである。ところがこのコッペルは西村さんによると3号機で、岡山の池田動物園に保存されているコッペルと入れ替わった番号になっているらしい。福塩線沿いに走って、途中でゴルフ場へ行く道を上っていく。ゴルフ場へ行く道であるから車は走りやすい。そして、間もなくすると井笠のコッペルが見えてきた。ゴルフ場入口の手前にフェンスで囲まれて保存されている。西村さんが以前に投稿された時に述べられているが、運ぶのが大変だったと思う。だが、井笠開業時のコッペルが3両とも残っているのは奇跡というか、喜ばしいことである。

ゴルフ場のコッペル-w

ゴルフ場に保存された井笠のコッペルと客車 客車の入り口がオープンデッキとなっている。

 

 ここから西村さんのお勧めで天空の城に行くことにする。天空の城と言ってもあの有名な竹田城址ではない。井笠のコッペルがあったゴルフ場のちょうど芦田川をはさんで南西方向にある相方(さがた)城址である。西村さんによると車で城郭のある近くまで登れるらしい。ところが少し手前で車を駐車したので山道を上ることになった。しかし、車を駐車したところになぜか地蔵さんの小屋があった。碑があって少し読んでみると、かなり恐ろしいことが書かれていたので写真を撮る気にもならなかった。帰って調べてみると、以下のような伝説がわかったのである。天正年間に尾道で妖怪騒動があり、その妖怪を相方村の弓の名手がその妖怪を退治した。しかし、その家族に祟りがあり、祈祷師によると妖怪を退治した時に罪のない子猫も退治されたので成仏できない。だから、親子の猫地蔵を祀ったら祟りはなくなる。このように告げられたので親子の猫地蔵を祀ったところ、祟りはなくなったという。その猫地蔵尊が車を駐車したところにあったのである。もしかしたら水呑で撮った写真にへっつい列車が現れたのは子猫の妖術で現れたものだろうか。子猫の妖術だから未熟なために色がなく、鉛筆で書いたようなものになっていたのかもしれない。山頂の相方城址からは先ほど行ったゴルフ場の建物らしきものも見えるし、福塩線の黄色い電車が走っているのが見下ろせる。そして、草や木々のなかに石垣が見えるのが廃城となったことが実感できる。ここが廃城になったのは関ヶ原の合戦後であるから、かなり年月が経っている。発掘調査はされたようで、その結果をふまえた解説板があった。

 井笠鉄道、鞆鉄道と消えた鉄道を訪ねてきたが、最後に尾道鉄道を訪ねることにした。まず、腹ごしらえである。昼食は道の駅「クロスロードみつぎ」ですることになった。地名の“みつぎ”は漢字で書くと御調となる。これも難読地名に入るのだと思う。この道の駅は尾道鉄道の終点であった市駅の近くにある。食事をしてからスイッチバックの駅であった諸原(もろはら)へ国道184号線を通って向かう。途中、中国バスの車庫がある。ここは“おのてつ”の市駅跡である。さらに国道を諸原へと登って行く。諸原駅があったと思われる所の少し手前で下っていく道がある。国道はさらに登って行き、谷を橋で跨いで回り込んで登って行く。線路跡の道は国道の橋の下を通って諸原駅跡に続いている。諸原駅跡の所に着くと車を停めて周辺を観察したり、写真を撮ったりする。

 “おのてつ”の電車はここでスイッチバックをして尾道方面へ登って行く。線路跡の道の先には鉄工所らしき建物があり、さらに先は地図で見ると国道につながっている。国道はすぐにトンネルを二つ通って畑駅跡となる。ここは“おのてつ”の最高地点で標高225mぐらいである。このあたりまでは国道が廃線跡のようだ。この諸原駅については鞆鉄道の戦前の映像があった中国放送の「ひろしま戦前の風景」の中で「“輝く郷土 御調郡市村”より」に映像として見ることができる。この映像を初めて見た時はわぉぉ~という感じであった。 動画として残っているのがいい。“おのてつ”の動画は同じサイトでもう1つ、「桜と尾道鉄道」がある。前者は御調郡市村を紹介する記録映画の一部であるが、後者は尾道から“おのてつ”に乗って御調へ花見に行く家族の映像である。どちらも昭和12年の撮影とある。

 ところでこの諸原で撮った写真で不思議なことが起こった。鞆鉄道の水呑での出来事と同じで、年が明けてから次第にはっきりとしてきた。水呑の鞆鉄道は色がなかったが、今回は色があった。妖術も技術的に進歩したようである。

尾電が走る諸原-w

尾道行の電車がやって来た。

 

諸原から国道を尾道に向かって走る。途中、車窓から畑駅跡でプラットホームの跡を見る。そして、国道横にある4号トンネルが当時のまま残っているで、降りてじっくりと見ることにする。レンガ造りでトンネルのアーチが美しい。

 “おのてつ”が御調の市まで開業したのが1926年(大正15年)であるから、このトンネルは今年で89年となる。国道をさらに尾道へと下る。三成にある中国バスの車庫は“おのてつ”の三成駅があり、車庫もあった所である。そして、“おのてつ”のエネルギー源である火力発電所があった。車は新尾道駅を通過する。“おのてつ”はこの新尾道駅の下を通っていたらしい。その“おのてつ”には壮大な夢があって、将来は出雲までつながって行くというものである。“おのてつ”はなくなったが、その壮大な夢である尾道から出雲へのルートは中国横断自動車道尾道松江線となって瀬戸内尾道と出雲松江が今年の3月22日につながる。

 この旅の始発駅は三原港であったが、終着駅は尾道駅となった。今回の旅の目的はもう1つある。それは尾道に行って「はっさく大福」を買うことである。尾道の街を帰りの電車まで少しばかりブラブラすることにした。とりあえず帰りの切符を買うことにする。帰りは新幹線で、「さくら」の指定席をとる。これは2列シートであるから楽しみである。ところで駐車場のところは山陽本線がよく見える。ちょうど「ハッサク色」の113系が来たので写真を撮った。これからはこの電車を「ハッサク電車」と呼ぼう。

ハッサク電車-w

ハッサク電車がやって来た。

 

 そのハッサクの原産地は広島県で、最初に栽培されたのは因島である。しかし、今は生産高の7割ぐらいが和歌山県である。駅の売店が手ごろな値段で「はっさく大福」を売っていたので、乗車前に買うことにして駅周辺をブラブラする。駅から西へ行くと本通り商店街がある。この商店街をブラブラしていると尾道商業会議所記念館があった。これは大正12年に建てられた鉄筋コンクリートの建物で、尾道市重要文化財となっている。2006年に記念館として修復復元されている。入ってみると「軍師官兵衛」に関する展示があった。ここで驚いたのはあの官兵衛を幽閉した荒木村重が尾道で隠遁していたことある。こんなところで荒木村重が出てくるとは思ってもいなかった。それと尾道は商業、金融で栄えた町であることが展示されている。後で調べてみると、今は三井住友銀行となったが住友銀行の発祥の地がこの尾道であることを知った。(また、広島銀行も尾道が発祥の銀行ということも知った。)そうすれば、出雲へと線路を伸ばそうとした尾道鉄道ができたのも不自然ではないと思う。さらに歩くと風呂屋があったが、どうも風呂屋ではないようである。土産物屋である。建物としては古く、店の中も風呂屋当時の下足箱や体重計などが置いてある。なんとも奇妙な風景である。

商店街を抜けて海岸沿いに歩いてちょっと休憩。そして、駅へ戻る。戻る途中で尾道駅全景の写真を撮る。帰ってから尾道に関する文献を見ていると昭和12年頃の尾道駅の写真があった。これを見ると今の駅舎が昭和12年頃の駅舎の一部が今も残っていることに気が付いた。それは正面入り口を中心として左右にある屋根の妻面である。正面入り口にあった車寄せがなくなり、屋根の中心部の上に小さい棟があったのがなくなっているが、昭和初期の面影が感じられる形のいい駅舎である。

尾道駅-w

尾道の風景にとけこんだ尾道駅

 

 ここで旅の案内をしていただいた西村さんと別れた。今回の旅は西村さんの案内があって、このような有意義な旅ができた。本当に感謝する次第である。まだ、列車に乗るまで時間があるので、再び先ほどの商店街へ行く。尾道駅側が西向きであるのでアーケードに夕陽がさしこむ。歩く人や自転車の影が面白い。

夕陽と踏切-1w

夕方、尾道駅方面へ行く人影が長くのびる。

 

その写真を撮ってから駅へ戻る。土産として、駅の売店で「はっさく大福」など買い、また駅に隣接する百貨店で西条柿を買う。この西条柿は中国地方の店では売っているらしいが、他の地方ではあまり売っていないようである。そういえばこの柿は初めて見た。広島が原産らしいが愛媛とも言われている。今は島根県が最も多く作っているという。

 列車の来る時間には少し早いがホームに入る。雰囲気のいい駅なので写真を撮ることにした。次第に駅もリニューアルされるので、駅の写真はできるだけ撮っておきたいからである。

 尾道といえば小津安二郎監督の「東京物語」が思いつく。老夫婦が子供たちが暮らしている東京に訪ねて行くのであるが、子供たちがあまりかまってくれなかった。しかし、老夫婦はそれなりに満足して尾道へ帰るのである。話はさらに展開するのであるが、昭和28年に公開されたこの映画が現在の高齢化社会の一つの側面を表しているように思える。それが今でも内外で高い評価を受けている理由の一つであるのだろう。老夫婦が東京に行くための汽車が広島の方から来るような感じのする駅のホームであった。

尾道駅ホーム上-w

間もなく東京行の汽車が来そうなホーム

 

 間もなく、新幹線に乗り継ぐ福山行の列車が来るので待っていると、貨物列車が目の前にとまった。列車が到着する時間であるのに貨物列車はとまったままである。アナウンスによると千光寺踏切で異常があったので、状況の確認中であるらしい。福山で20分の接続であるので、何とか間に合うと思うのであるがヤキモキする。なんとか約10分遅れで列車が到着したので、少しほっとする。福山で無事に「さくら」に乗ることができた。久しぶりの新幹線である。

さくら車内-w

「さくら」普通車指定席 ゆったりした椅子であった。

 

車内は海外からの観光客が多く乗っていた。安芸の宮島でも行ってきたのであろうか。そんなことを考えていると、もう新大阪であった。

 ところでまだハッサク季節はずれの時に旅をしたのであるが、今はハッサクの食べられる季節となってしまった。食べられないと思って買った土産の「はっさくゼリー」と「はっさくマーマレード」まだ賞味期限が過ぎていないので、いまだにある。

尾道のハッサク土産と和歌山のハッサク-w

和歌山産ハッサクと「因島のはっさく」で作ったマーマレードとゼリー

 

そして、今は家に尾道で買ったハッサクの土産といっしょに広島産でなく和歌山産のハッサクが常に数個は確保されているのである。今年はいつ頃まで食べることができるのだろうか。                                ~おわり~

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