尾道鉄道跡をたどって(その2)

事故慰霊碑をあとに、国道184号線を北上することにします。まさに超満員の電車が逆走した勾配を登ってゆきます。

国道184号線開ノ木トンネルと尾鉄2号トンネル(北側出口側から)

左手が国道ですが、右手の歩道トンネルがかつての尾道鉄道の2号トンネルを修復したものです。ちょうどこの撮影地点付近に、「西校上駅」がありました。ここから坂を下りてゆくと、木ノ庄西小学校があります。

元2号トンネルが歩道トンネルに  ここを暴走電車が走り抜けた

ほとんど見る人もない表示板

更に先に進むことにします。すると今度は右手に4号トンネルがかつての姿をそっくりとどめて残っています。

4号トンネル南口

かつて、どですかでん氏と訪ねたこともあります。

看板には「尾道軽便鉄道」と書かれています。

大正7年に尾道軽便鉄道会社を設立。大正8年に地方鉄道法が施行され軽便鉄道法は廃止されます。大正12年に会社名を尾道鉄道に変更し、尾道鉄道として開業しました。従って、「尾道軽便鉄道」という社名を知っている方は、大正時代の方でしょう。

4号トンネル北口

トンネルは崩落個所もなく、建設から95年を経ても非常に良い状態で残っています。路面は舗装されており、普通車でも難なく通り抜けられます。国道工事に伴ってトンネルは建設省(現国土交通省)の所有になったあと、農道として尾道市に移管されたようです。地元有志が産業遺産として保存しようと活動されているそうですが、市所有であれば好都合ではないでしょうか。

ここからは少し脱線して、トンネル保存の話です。瀬戸内海、竹原市の沖に大崎上島という大きい島があります。その島にある古いトンネルの保存が話題になっています。鉄道トンネルではなく、幅1.9m、高さ2.7m、長さ54mの小さなトンネルですが、昭和4年に開通し、90年以上が経っています。このトンネルのすごいのは、住民がお金や労力を提供して作ったトンネルだという点です。新聞記事を2つ紹介します。

令和3年10月25日 中国新聞

令和3年12月8日 中国新聞

トンネル内はレンガ積み部分、石積み部分、素掘りの部分がありますが、寄付者名を彫った石材が壁に埋め込まれています。

令和3年11月13日撮影

財政的には苦しい小さな町にとって、この種の保存は厳しい判断でしょうが、取り壊しを見送ったのは長い目で見て評価されるべきでしょう。鉄道関連のみならず、多くの土木遺産にもっと注目が集まればと願っています。

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