「エトセトラ」を追いかけて

山陽路の観光列車「エトセトラ」について、運行初日の様子などを3回に分けてご紹介しました。以前の「瀬戸内マリンビュー」時代は土・日・祝の呉線往復でしたが、「エトセトラ」に変身してからは、月・金も加わった上に尾道・宮島口間と運転区間も拡がり、上り・下りのルートも変わったので、撮影地点の幅が増えて、運転日は急に忙しくなりました。まずは呉線のシーンから。

令和2年10月23日 上り尾道行き 三原市 呉線沼田川橋梁にて

三原から山陽本線に入り、糸崎を経て尾道まで走ります。上り列車の営業区間は尾道が終点なので乗客はすべて下車します。しかし尾道駅の上り線からは折り返しのための逆出発ができません。そこで、回送列車として更に山陽本線を東上します。

令和2年10月26日 尾道駅で乗客を降ろしたエトセトラは回送列車として備後赤坂へ

東尾道、松永を過ぎて備後赤坂まで行きます。備後赤坂駅2番線は両方向への折り返しができます。福山終着の下り列車が、備後赤坂で折り返すケースもあります。

令和2年10月26日 備後赤坂駅2番線で待機中のエトセトラ。昔ながらの跨線橋が健在。

同日。エンジンを切らず、アイドリングのまま約1時間停車。

運転席、車掌席には乗務員の姿はなく、また2両とも両サイドのカーテンが閉じられていて、車内の様子はわかりませんでした。多分昼食休憩中なのでしょう。

同日。115系4411M糸崎行き。共に昭和の国鉄生まれ。

備後赤坂でひと休みしたエトセトラは尾道に戻ってきます。

同日。回送列車として尾道に戻って来たエトセトラ

尾道を出たエトセトラは糸崎までの間は左手に瀬戸内海を眺めながら進みます。

令和2年10月19日 下り宮島口行きエトセトラ 尾道・糸崎間にて。             右手奥に見えるのはしまなみ海道の因島大橋

下りエトセトラは三原からは呉線ではなく、山陽本線を行きます。

令和2年10月23日 本郷・河内間 三原市本郷町船木にて

うしろに見える橋梁は山陽新幹線沼田川橋梁です。右手の第2高山トンネルを出た新幹線は、沼田川を渡るとすぐ左手にある第1高山トンネルに入ります。第2高山トンネルがある右手の山は、小早川隆景の居城、新高山(にいたかやま)城跡で、新日本百名城に指定された急峻な山城です。中世には新幹線の橋があるあたりの、城のすぐ下まで、瀬戸内海水軍の船が入ってきていました。一方左手の山も、新高山城が築かれる以前の古城 高山城(通称古高山城)跡です。

さて本日、尾道や備後赤坂まで追いかけをしたのですが、思わぬ列車に遭遇しました。上り回送エトセトラを尾道駅東側で撮ったあと、尾道駅へ戻る途中に後ろから見慣れぬ列車に追い越されてビックリしました。「WEST EXPRESS銀河」の117系6連でした。尾道には停車せず、通過してゆきました。「WEST EXPRESS銀河」は本年12月12日から来年3月まで週2往復程度 大阪・下関間を運行すると発表されています。下りは大阪発7:20頃、下関着19:45頃とされており、尾道を12:37頃通過してゆきましたので、本番通りのダイヤで試運転されたのでしょう。

令和2年10月26日 尾道駅を通過してゆく「WEST EXPRESS銀河」の試運転列車

エトセトラとセットで人気を集めている「シースピカ」の様子も添えておきます。

令和2年10月19日 三原港を出て広島港へ向かう「シースピカ」

「WEST EXPRESS銀河」が走り出すと、下り下関行きが当地三原を通過するのが13:00頃。翌日上り大阪行きが通過するのが16:00頃と予想されます。エトセトラは2両ですので撮影ポイントに困らないのですが、銀河は6両となると改めて場所探しが必要です。忙しくなりそうです。ではこれからも取材を続け、デジ青をにぎやかすことに致します。

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