続・ユースで巡った鉄道旅 -4-

昭和46年7月14日 日の岬ユースに泊まって、紀勢本線の海岸沿いへ

和歌山線でC58・C57を撮ったあと、和歌山経由で御坊へ、バスに乗って、本日の宿泊地、日の岬ユースホステルに向かいました。ここも公営のユースで、海にも近く、賑わいを見せていたと思いますが、内部の様子や、ユースの周りの光景など、全く覚えがありません。翌14日には、紀勢本線の海岸沿いに向かいました。紀勢本線の旅客は一部に蒸機が残っていたものの、早くからDL化が進み、蒸機は、もっぱら貨物の牽引でした。紀勢本線は、和歌山を出ると、冷水浦付近で初めて海岸沿いを走りますが、開けた場所も無く、製油所も目障りでパスして、つぎに海岸沿いを走る切目~岩代~南部は、開けていて撮影しやすく、代表的な撮影地でした。岩代で下車して、海岸沿いを行く複線を俯瞰できる高台に行き着きました。和歌山~新宮の電化完成は、昭和53年であり、当時はDF50、80系DCと“亜幹線”の代表が走っていたのです。海岸沿いにある紀勢本線の岩代で下車

紀勢本線切目~岩代の海岸沿いを行くD51 800[田]の牽く貨物1377レ、紀伊田辺区の所属で、どこでも見られたD51、集煙装置付きで、特段に食指が動く対象ではなかったが、真夏のカッとした快晴のもと、海岸沿いを行く列車は絵になった。現在でも、紀勢本線の代表的な撮影地となっている。

宿泊した日の岬ユースからバスで御坊に向かい、駅で停車していた紀州鉄道のキハ16を撮影、その前々年に、廃止された江若鉄道から、DC251とともに塗装もそのままでやって来た。江若では何度も見ていた車両で、2年ぶりの再会となった。

 

御坊から126レに乗車、下車する岩代へ向かう途中、D51 930[田]の牽く貨物とすれ違い。

難波・天王寺発新宮行き「きのくに2号」、先頭2両のA号車、B号車は、南海キハ5501・5551で、外観は窓の保護棒で区別できる。最後まで非冷房だった。この上り「きのくに2号」、折返しの下り「きのくに6号」は、南海DCも含めて、この区間では11連で、紀勢本線の最長編成だった。

午後からは岩代~南部へも行ってみる。ここも、海岸が続く。列車名不明の下りDCを撮る。なにせ、急行、特急がつぎつぎ来るから、暑さでボーッとしていて、メモするのも忘れるぐらいの運転頻度だった。

 

 

 

新宮発和歌山市・難波行き123レ、南海線に乗り入れする南海サハ4801を連結している。分かりにくいが、2両目の屋根に歩み板が通っているのがサハ4801、この翌年に国鉄への南海客車の乗り入れは中止されている。同区間を行く、上り「くろしお2号」と思われる列車。「くろしお」は、天王寺~名古屋を結ぶ1往復のほか、天王寺~新宮、白浜の区間列車が多数あったが、波動が激しいため、季節列車が多かった。「はつかり」の81系の転入は昭和47年のことで、この時は82系で統一されていた。普通列車は、スルザー機関のDF50の0番代が担当。亀山区に配置されて、関西本線も含めて、当時は37両が配置されていた。和歌山市発紀伊田辺行き1134レ、岩代のどちら側で撮ったのか、メモを見てもよく分からないが、列車は、紀伊田辺発和歌山市行き325レ、DF50 5の牽引。亀山のDF50の0番代には、2~7の初期車が配置されていた。1~6は最初の登場グループで、試作的要素があり、正面を見ても、窓が大きく、前照灯が高い位置にある。5号機は昭和38年に中央線、篠ノ井線でお召を牽いている。炎天下で、ヘトヘトになって、夕方の列車で岩代を去る。途中、南部で下り「くろしお3号」が通過して行った。跨線橋がないため、下車した客がホーム上で待っている。このあと、新宮まで行って、再び夜行鈍行921レの客となって、和歌山線、阪和線の撮影を続け、南近畿周遊券を目一杯使い果たした。

 続・ユースで巡った鉄道旅 -4-」への11件のフィードバック

  1. 昭和46年7月の時刻表を開きながら、楽しませていただきました。切目~岩代~南部は海沿いを走り、景色の良い所ですね。わずかな本数のSL目当てでは効率の悪い所ですが、DF50に58・80系気動車、南海のキハ55とバラエティーに富んだ車両が見られたのですね。私鉄にも魅力的な車両がいて、なんと素晴らしい!私が和歌山県に足を踏み入れるのは、平成になってからでした。
    DF50 5が牽く325ㇾの撮影場所ですが、岩代から500mほど切目方向に行った場所だと思います。奥に跨線橋の様なものが見えるのですが、駅のものではありません。国道と国鉄線を越え、海岸に車を降ろす通路だったようです。今ではJR線を越える道路橋はありませんが、ストリートビューで国道42号線とオーバークロスする痕跡が見つかりました。
    D51 800ですが、ひと月ほど前の昭和46年6月6日に、奈良運転所で見かけました。

    • 紫の1863さま
      いつも、ありがとうございます。そうですね、いまから思えば、バラエティに富んだ車種のそろった線区だったと思います。蒸機もC57、C58、D51がいましたが、いずれも集煙装置付きがどうしても好きになれませんでした。DF50の後ろに見える陸橋は、四方さんも書いておられるように、駅ではなかったのですね。たしか岩代には跨線橋はなかったはずで、不思議に思っていました。D51 800、キリのいい番号です。私の行く一か月前に奈良で撮られていたのですか。調べますと、亀山区に転属後、昭和47年4月に廃車されていました。

  2. 扇形庫に入ると動輪や従台車がはずされ、大掛かりな検査が行われてました。テンダ台車の台枠や、給水ポンプが床に置いてあります。肝心のナンバープレートは見えませんが、「田」の区名札が顔をのぞかせてました。

  3. 切目~岩代は、DF50が走っているうちにと思いながら結局行けず、5年ほど前に、18きっぷの消化試合で行ったことがあります。
    紫の1863様も仰っておられるようにDF50 5号のお写真は、切目側で跨線橋までは行けそうですが、その先は線路内乱入となりそうです。国道42号からも俯瞰できますが、貼付(小さくてわかりにくいかもしれませんが)右側の如く、撮影は厳しいです。結局その日は、この地点よりさらに西に行ったあたりで、左下のような写真でお茶を濁しました。
    お召しの件ですが、1号とペアでした。予備は3号と邪推しています(KE66から)。
    また南近畿ワイド周遊券は、同じ名鉄管内の米原で購入したことがあります。

    • 四方さま
      写真付きで岩代付近の現況をお聞かせいただき、ありがとうございます。私の撮った写真も、今では“乱入”箇所となるのですね。でも「なにわ」のほうが、良い場所ですね。さぞ、賑わったことと思います。
      DF501+5の御召は、昭和39年に運転されています。番号からして、てっきりDF50の御召第一号と思ったのですか、すでに500番台で御召実績があること分かりました。

  4. 総本家青信号特派員様
    紀勢本線は関西在住者でもなかなか行き難い所です。総本家さんの写真を見て特に初期車のDF50大窓の走行写真や前回の和歌山線C57等は趣味誌でもあまり見かけたことがなくオヤッと驚いた次第です。よく地道に撮られていると感心しました。
    私はDRFC入会後の1965(昭和40)年3月2日名古屋から夜行ディーゼル準急「うしお2号」2902Dと新宮からの鈍行115列車、紀伊田辺からの127列車を乗り継いで紀勢本線を1周しました。最初で最後の同線乗り鉄でしたが生憎の雨でした。本当は諸先輩方や総本家さんもお撮りになっているとは思いますが、その日の記録を2枚ほどは貼り付けます。
    最初は途中で立ち寄った紀伊田辺区のD6055です。軸重軽減のための従輪が見えるように工夫しました。雨の方がかえって撮り易かったかなと思います。

    • 準特急さま
      紀勢本線の思い出、ありがとうございます。「うしお」、ありましたね。時刻表を調べますと、下りは名古屋発紀伊勝浦行の夜行、上りは紀伊田辺発名古屋行の昼行と、上下で区間も時間帯も異なる準急でした。D60は、私が行った時には、もういませんでしたが、貨物機らしい、いい角度の写真ですね。D60の背後に丘が見えます。ここから見下ろすと、機関区全体がきれいに望めました。

  5. 2枚目は月並みの列車交換写真ですが、当時の時刻表を確認しますと南部駅で2106列車白浜口行き準急「しらはま1号」です。牽引機はその後梅小路に転属することになるC57190です。

    • いゃ~、これも素晴らしいですね。準急を牽く、C57190ですか。私も小学校の2年生の頃、南紀旅行の帰りに、客車準急に乗ったことがあります。その時は、形式不明ですが、後補機が付いていたことを覚えています。それより、C57190とは、貴重です。梅小路に転属後も、調子がいまひとつなのか、異端機で嫌われたのか、本務で牽く姿はほとんど写していません。紀勢本線の同機は、初めて見た気がします。ありがとうございます。

  6. 総本家青信号特派員様
    「うしお」に乗ったのは3月2日でなく5月2日の間違いです。そんなことを気にする人もいないでしょうが、あの総本家さんでも私の下手な写真付きコメントに即答していただきましたのでもう1枚64年8月15日紀三井寺-宮前間下りD6050[紀伊田辺]を訂正を兼ねて貼り付けます。

  7. 岩代駅の出てくるこんな音楽があります。
    谷山浩子が私の在学中の1979年に出したアルバム「夢半球」に入れていたナンバー「テングサの歌」
    https://www.youtube.com/watch?v=wJpYFam8wbk
    お時間があったら聴いてみてください。
    同じ1970年代の紀勢本線で、駅員がいる情景と言うのが聴きものですね。
    (^^)

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