“ナメクジ”に 魅せられる  (2)

(2) 一桁ナンバーの潔さ

D51の製造番号は、ほとんどが3桁、または4桁です。形式の51も入れると、5桁、6桁の数字がナンバープレートに並び、ちょっと煩雑な印象です。ところが、この“ナメクジ”、なかでも1~9の一桁番号のナンバプレートは、何ともコンパクトでシンプル、その潔さに魅せられます。私は、1~9の一桁ナンバーのうち、滝川区で撮り逃がした3号機を除いて、写真に収めることができました。

常紋越えで25‰勾配に挑み、迫り来る一桁ナンバー機 D51 6 大きな煙室に、小さいナンバープレート、これが正面から見る、D51若番機の魅力。

“ナメクジ”スタイルとなったのが、給水温メ器の缶胴上の設置ですが、前形式のD50では、前梁上のデッキに置かれていました。ところが、D51では、デッキの寸法が330mmに縮小されたため、デッキ上に給水温メ器を載せることができず、やむを得ず、缶胴上に載せたと言われています。

 D51 2 1号機と同じく敦賀に配置、あと稲沢、大垣、中津川、多治見、稲沢一と、中部地方を渡り歩いた。半流線型の若番として注目され、晩年は名古屋を中心にイベント列車をよく牽いた。(関西本線弥冨、昭和43年8月)。 D51 4 長く中京圏で働いていたが、昭和41年に深川へ転属、北海道仕様になった。深川区での活躍場所は、留萌線、羽幌線で、当時採掘されていた石炭を運んでいた(羽幌線大椴付近、昭和44年9月)。 D51 6 新製後、すぐ北海道へ渡り、小樽築港、岩見沢、追分、北見などを回った。前照灯への副灯の取り付け、デフの切り詰めが行われた。廃車後、旧神居古潭駅跡に保存されている(石北本線生田原、昭和44年9月)。 D51 7 経歴は6号機と同じで、新製後、北海道の各区を巡った。北見区の時代が長く、この時は、6号機とともに、常紋越えをするナメクジ機がよく見られた(石北本線常紋~金華、昭和44年9月)。 D51 8 6、7が新製後に北海道に配置されたのに対して、8~10は九州へ配属され、この8号機は、大里(門司)、鳥栖、人吉、鳥栖、吉松と移り、吉都線で客貨列車を牽いていた。真横から見ると、ナメクジ部分がかなり長いことが分かる。タブレットキャッチャー取り付けのため、ナンバープレートがはみ出して移設されるなどの九州らしい改造がされている。最後は本州に出て、厚狭区で美祢線の石灰輸送を行い、廃車後は尼崎市内の公園に保存されている(吉松、昭和42年3月)。

 “ナメクジ”に 魅せられる  (2)」への7件のフィードバック

  1. 総本家青信号特派員様
    保存機6、8号機は「デジ青保存蒸機とその現役時代」に発表(13.7.20、14.6.17)しましたので1969.3.17に留萌で撮影したD514にしました。お目当てのD61はほとんど出払って仕方なく撮ったのがこのD514です。総本家さんの切り口で日の目を見ることができました。

  2. 管理人様
    ブローニー版ですが9.29MB→2.96MBに圧縮しましたが、貼り付けができませんでした。他に原因があるのかもしれません。

  3. 準特急さんが、添付するのに、悪戦苦闘された写真が私のところに転送されて来ました。昭和43年、深川区で写されたD514です。前照灯の周りにツララ除けのある、独特のスタイルです。北海道の厳しさに耐え抜く一桁ナンバーのD51が伝わってきます。掲載に当たり、少しトリミング、色修整しました。準特急様、ありがとうございます。

  4. 総本家青信号特派員様
    ご迷惑をおかけしました。有難うございます。撮影地は深川ではなく留萌です。また、ちょくちょお邪魔しますがよろしくお願いします。

    • すいません、間違えました。深川区のD514が留萌区にいるシーンでした。特徴ある給炭・給水塔があります。錚々たる皆さんから、たくさんの写真・コメントを寄せていただいています。やはり、なんやかや言っても、蒸機が心の中に生きていることを思いました。

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