昭和100年から 二分の一の時代に還ってみる  〈8〉

新潟駅前の北村製作所バス

昭和の時代、バスはシャーシ(車台)とボデー(車体)は、別々のメーカーで製造し上下を接合して、シャーシメーカーの製品として販売されるのが通例でした。ボデーメーカーには、シャーシメーカーと資本関係を持つ大手もありましたが、戦後、軍需産業から転進して、車体製造を始めた地方のメーカーも数社ありました。その代表が、北九州市にあった西日本車体工業で、「NSKボデー」のプレートは、西日本各地で広く見られたものでした。新潟市にも、昭和23年からバス車体の製造を始めた北村製作所があり、新潟県下にネットワークを広げる新潟交通のバスには、ほぼ独占して北村製作所の車体が供給されていました。

新潟駅前に立つと、つぎつぎ銀色に青帯の新潟交通がやって来る。ボデーは、一見すると、大手ボデーメーカーと同じように見えるが、側面の窓や雨樋に北村製作所の特徴が見られる。方向幕が前後扉の中間に付いていて、その部分のみ前後の引き違い窓になっているのが新潟交通の特徴だ。「新22か・267」、いすゞBA30、(以下、昭和50年6月、新潟駅前)

この日は、取材の仕事で、夜行「きたぐに」で新潟に入った。取材先へ行くまでの間、新潟駅前で、バス撮影に充てた。真っ先に来たのが新潟交通の貸切車、団体客が続々と下車、バスガイドの服装もまさに昭和だった。

 

 

「新22か・254」、日産ディーゼル4R95 トップの写真と似ているが、メーカーは別物、観察すると最後部の窓の割付が異なる。また、先は「後のり、あと払い」、これは「前のり、まえ払い」と記載されていて、乗降車の方法が異なる。このため、中間部に方向幕が置かれたようだ。

上掲の貸切バスと、「銀太郎」と書かれた当時の新車が並ぶ。銀色に塗られた車体から、「銀太郎」の愛称が一時用いられた。

発着する北村製作所製の新潟交通バスを登録番号順に並べてみた。前後扉ばかりのなかに、珍しく前中扉(左下)もあった。

最新のスケルトン車体、冷房付きのスリーセブン「新潟か・777」

まだ上越新幹線が開通前の新潟駅舎、駅前には多くの発着バースを備えたバスターミナルもあった。

 

 昭和100年から 二分の一の時代に還ってみる  〈8〉」への6件のフィードバック

  1. 2023年3月23日、西部営業所、「新潟22か766/60年式P-LV314Q」

    • 総州6RAさま
      そうですね、もう少し古い時代だと、北村製作所の独自ボデーも見られたと思います。この時代は、大手ボデーメーカーの亜流ですから、面白味は少ないです。私のお知り合いは、北村ボデーだけの分厚い私家本を制作されています。

  2. 新潟在住の「オッサンのバスファン」さんから訂正の連絡が入りました。
    (1)冒頭写真「新22か267」の型式、BAではなくBU04D
    (2)4枚組の右下「新22か959」のボデーメーカーは、北村製作所ではなく、富士重工ボデー
    以上訂正します。ご連絡、ありがとうございました。

  3. 全国ではシェアの小さかった北村ですが、その中で、地元かつ最大顧客だった新潟交通納品物件には新規設計要素の先行試作的な車両もありました。おおものでは、前面は食パン顔ながら、後部は丸妻 モノコック 三枚ガラス連続窓というのが印象に残ってます。

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