どですかでん様
見学会のときの記念写真をご披露致します。あえて皆様の顔にボカシを入れさせて頂きました。普段乗ることがないグリーン車サロ112のリクライニングシートにうれしそうに座っていますね。ぷるぷるさんの顔も見えます。
この日のために車両班が作った見学メモも手元に残っています。それによると 当時の高槻電車区の配置車両は最新型が113系、そしてまだまだ主力だった72系、51系のクモハ73、モハ72、クハ79、サハ78、クモハ51、クハ68、クハ55。そして職員輸送用のクモハ32002、クモニ13001、クモヤ22001。最後にクエ9400となっています。クエ9400の説明には 「日本最初の17.5m4扉車で、かなり原形を保っており、クエ9400を写すだけでも高槻に行く価値がある」と書かれています。スキャンや修正が下手で読みづらいですが見学メモも添付します。多分 文章はF氏作、ラビット氏が協力のようです。当時をなつかしんでご覧下さい。
昭和45年と言えば社会人1年生でした。
見学メモは、INUBUSE氏が作成された文書と思われ、正確にかつ解り易く解説されておりさすがです。
さぞかし参考になったと思います。
特に72系、51系の解説は素晴らしく、クモハ32002、件のクエ9400についても正確に書かれています。
それにしても、貴重な資料をよく保管されておられましたね。
高槻電車区は、私の現役時代、昭和41年11月12日にも見学会を開催しており、帰りに駅までクモハ32002に乗せていただいたことを思い出します。
その時は80系が健在で、113系と併用されていました。
西村雅幸様 貴重な高槻電車区の車両班見学メモを見せていただきありがとうございます。西村さんは物持ちがよいのですね。私も物持ちのよい方ですがぐちゃぐちゃですので探すのが厄介ですし、つまらないものも多くあります。記念写真は懐かしいです。“国鉄で大阪から京都まで通学すると客レに乗れるとか、クロスシートのゲタ電に乗れるからええで~”と言って私をそそのかした御仁の顔もあります。あのときはホンマに面白かった。クエ9400のこともしっかりとかかれていたのですね。ほとんど覚えていませんでした。クモハ32の写真も写していました。見学メモがないと新米DRFC会員であるのでクエ9400やクモハ32の写真など撮っていないと思います。おかげ様でこの時の空白を埋めることができました。ありがとうございました。
貴重な写真と見学メモなつかしく拝見させていただきました。ありがとうございます。見学メモの原稿はたぶん私ではないかと思われます。昭和42年4月から46年3月の間 大阪から京都への通学で国鉄 京阪 阪急といろいろ利用していました。車両の変化の激しい頃で 特に国鉄の快速電車は80系から113系へ置き変わっていき ゲタ電も103系が西明石に配置されたり3扉車が地方転属と変化の激しい時代でした。この頃は京都寄り3両目にクモハ51が入っている編成も少なくなり見つけるとよく乗っていたことを思い出します。高槻から山崎への高速運転区間でのかん高いモーター音(ギヤ音)が耳に残っています。
最近サハ220とクハ260のキットを入手しましたのでモハ220 クハ260の2連に組み上げようと思っています。
藤本哲男様
どですかでん様
INUBUSE様
見学メモはF氏作成と書いてしまいましたが、ラビット氏作成でした。考えてみればF様はご卒業後の行事でした。失礼しました。決して物持ちが良いわけではありませんが、このようなちょっとした資料や合宿の案内メモ、それに一時期行っていた 市内のチェックポイントを鉄道と徒歩だけでいかに早く回ってボックスに帰りつくかという「ラリー」の馬券ならぬ「人券」などを 卒業後早い時期にスクラップブックに貼って保存していましたので今でもすぐに見ることができます。ワラ半紙は黄色く変色していますが、それらを見ると思い出は色あせていません。今でもたまに高槻電車区の横を通過する時には 見学会で訪れたことを思い出します。
すばらしい思い出を聞かせて頂き、感激しております。
吊り掛けモーター音も、客車内からデッキへ出る引き戸を開ける音も、車内消毒薬の匂いもいつでも思い出せます。
西村さんの記録癖や藤本さんの研究熱心さもクローバー会の宝物です。ありがとうございます。
すばらしい先輩・後輩の皆様に囲まれて楽しい限りです。
今日のニュースで、江差線の駅から駅名標を盗み、転売していた男を「撮り鉄」ならぬ「盗り鉄」と揶揄しておりましたが、もとよりあんな奴らは鉄道ファンではありません。
どうか諸兄のご活躍が今後も続きますように願っております。
昔の先輩方は羨ましい&微笑ましいですね。