秋の北海道 鉄道ひとり旅 【5】

“秋”の報告のはずが、すっかり冬になってしまいました。先を急ぐことにします。今回は、過去に訪れた長万部駅の様子を集めてみました。初めて北海道を訪れた昭和43年8月、青函連絡船で函館に着いて、五稜郭機関区を訪れたあと、長万部に午後着きました。以後、長万部では、乗り換え、機関区訪問、食事、はたまたステーションホテルと、ずいぶんお世話になりました。長万部と聞いて、まず浮かぶのは、前回のようにC62重連の出発・到着駅であることですが、さすがに道南のジャンクションだけあって、さまざまなシーンが見られたものでした。

室蘭線の重量貨物を牽いて長万部を発車するD52414〔五〕、この時期、残っていたD52は、五稜郭機関区の10両だけだった。密閉キャブに改造しただけで、あとはすべて原型、わが国最強の貨物用機関車の勇壮なスタイルを堅持していた。
長万部で初めて撮った写真、昭和43年8月30日、13時52分、上り「ていね」が到着、本日の機は3+2の“逆ゴールデンコンビ”だった。
D52136〔五〕と並ぶキハ21、当時、北海道で普通列車に使われる気動車はキハ22一色だったが、比較的暖かい道南地方では、デッキなしのキハ21も少数だが使われていた。
駅の西側に広がっていた長万部機関区、室蘭線を通すD52も区で休む姿が見られた。D52は五稜郭から東室蘭まで通す運用もあるが、長万部で折り返す運用も多く、C62と並ぶシーンも見られた。
入換え時の誘導係員の立ちスペースを確保するため、北海道で進められていたのが、デフの切り詰めだった。原型を保っていたD52にも、この204だけに施工された。
これは珍しいD51+客車+気動車(回送)の137列車が5時24分に発車して行く。時刻表から推測すると、熱郛で気動車を落とし、折り返し函館行き急行「せたな」となるようだ。この日はステーションホテルしての起き抜けの一枚。
そして、下り「ていね」(のちの「ニセコ3号」)の発車、発車時刻近くになると、どこからともなく、構内外れのカーブした区間に、ファンが集まってくる。当時でも、超有名、お手軽撮影地だったが、殺気立つことも、罵声が飛び交うこともなく、いつも十数人が、しごく和気藹々と、のんびり撮影していた。当時の雰囲気を出すため、あえて撮影者を入れてみた。

 秋の北海道 鉄道ひとり旅 【5】」への6件のフィードバック

  1. 特派員様、
    なつかしい写真をありがとうございます。
    長万部というと、黒煙垂れ込めるシェルパの基地の観がありました。今はただ寂れ果てた地方駅。私も目名でまりもを追っかけたことを思い出しました。
    デフの切り詰めの訳を今頃知りました。

    • 米手さま
      コメント、ありがとうございます。かつての長万部は、乗り換え客も含めて、ホームは大混雑していた記憶がありますが、最新のデータによると、長万部の一日平均乗降数は176人と言うことです。たったの176という数字に、これが北海道の現実なんだと思います。
      デフの切り詰めは書いたような理由が主であると聞いています。ただ、入換えは全国にあるわけで、北海道に限ったデフの切り詰めは冬季の凍結による転落防止以外にも、労使問題という北海道特有の問題もあったようで、美醜よりも安全性が優先されたようです。

  2. 総本家青信号特派員様
    ステホという言葉。小海線を愛する会とかいう団体の方がよくなされたやに聞きますが、私は体が弱かったせいか夜行列車の利用はありましたが、ステホの経験はほとんどなく、大学卒業後一度だけ参宮線鳥羽駅で夜をあかしたことがあります。早朝到着の蒸機急行「伊勢」の撮影の時で土砂降りでした。もうひとつ山陽本線の己斐(現在の西広島)と横川の間でこれは野宿のようなもので夜通しC62やC59の夜行急行列車を眺めていました。長万部も道南のジャンクションで札幌―函館間では最も大きな駅に見えましたが、駅前のカニ飯の店はまだあるのでしょうか。長万部のカニ飯、森のイカ飯、峠の釜めしなどは百貨店の駅弁大会の目玉ですが現地で食べることはなく遠い存在になりました。

  3. 準特急さま
    いつも暖かいコメント、ありがとうございます。ステホは、私もそれほどしているわけではありません。とくに寝袋持参で、前日から泊まり込むような完全武装のステホは数えるほどてす。ただ、長万部などのように、深夜から未明に夜行列車で到着し、明るくなるまで駅で寝る、いわばハーフステホは、かなりしました。
    長万部名物のカニ飯の店は駅前にありましたが、どう見てもお客は居ない様子でした。ただ、特急の到着が近づくと、カニ飯を数箱下げた店員が特急に運び込むのを見ました。特急の車内で予約すると、駅で積み込んでくれるようです。

  4. 総本家青信号特派員さま
    客車とDCの併結という珍しい写真をよく撮っておられましたね。さすがです。この組み合わせは全国に在りそうでそう多くはなかったと記憶しています。(回送DCの併結はいくつか例が在ったようです)。小生は東北線、盛岡発ED75牽引沼宮内行客車に花輪線大館行DCをブラ下げた営業列車に乗ったことがありました。DCのエンジンがどうだったのかもう記憶にありません。ディーゼルエンジンは切るのも始動するのも大変なため、恐らくアイドリングだったのではと推測します。貴重な写真をありがとうございました。

    準特急さま
    駅前のカニ飯屋の「かなや」さんは今もありますよ。特派員さまが仰るとおり特急への積み込みもやってます。現在はJRの旅客向けよりマイカーなどで立ち寄る観光客向けの方が多いように見受けられます。

  5. 1900生さま
    連続コメントをありがとうございます。盛岡付近での客車+DC列車は、私も龍ケ森へ行く時に見たような記憶があります。掲載の列車のDCが客扱いしていたかは不明ですが、多分回送扱いだと思います。このDCは折り返し熱郛から急行「せたな」となりますが、熱郛~長万部は普通でした。時間帯からすると、朝の通学・通勤輸送のため、わざわざ熱郛まで持って行ったと思います。その当時の国鉄ローカル線は、とくに通学生思いのダイヤになっていたこと痛感します。

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