【79527】東海道の電車を楽しむ-その4-

旅の思い出を投稿した後で体調不良(寒波襲来)となり、テレビの番人となっていた。タトラはソ連が広大な地域を支配していた時の産物で、日本が敗戦後各地にばら撒いた規格型(間に合わせ品)とは異なる。メーターゲージ採用都市も多く、そのため別設計による2軸車の量産も活発であった。タトラはPCCの特許を使ったせいか静かで、乗り心地良いのが印象に残っている。話しを日本に戻すとその3では宿場15番目が蒲原(かんばら)宿だと紹介するのを忘れていた。東海道線開通時、蒲原宿を囲むように14宿(吉原)に16宿(由比)があり、駅の建設では設置位置でいざこざがあったようだ。そして興津17宿(おきつ)、江尻18宿(えじり)に続いで府中19宿で(静岡)となる。府中の静岡への改名は明治維新によるものであった。

ピク誌170、171号によれば大日本軌道を起した雨宮敬次郎が静岡市内の鉄道網を創ったと紹介されている。それを地元の有志が買い上げ交渉を行い、大正8年に駿遠電気を立ち上げ、発電、配電、電鉄事業を起こした。ところが昭和15年の大火、昭和20年米機来襲で市域のほとんどが灰燼と化し、事業の全貌が不明確となったのが残念である。先の本稿その3の末尾で紹介した写真は1959年9月東北旅行の途中で静岡に立ち寄った時の撮影だが、乗り忘れが1枚あったので今回掲載した。それが静岡鉄道戦後版の電動車1号で、この車両も前歴があるようで、中古品を自家工場で改造したものらしい。前回掲載の2号車は東急電鉄創業時のデハ1型が種車で、これも自家工場での改造品であった。

静岡鉄道、戦後の1号車は中古車のリニューアル品

鞠子20宿(まりこ)、岡部21宿、藤枝22宿、島田23宿と、ここで大井川を渡り金屋24宿となる。箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川、と唄われるほどに降雨時は大量の水流変化に左右された難所であった。この難所を鉄道で越す様になったのは東海道線の延伸が大井川まで届いた1989年であった。1927年6月開通の大井川鉄道は1949年11月に全線電化された。電気機関車による運転で、電車の導入は1951年に木造買収国電2両を導入することによって実現、紆余曲折を経て今日に至っている。

老人は1994年から2015年に亘り10回以上通い詰めたが、その時々の思い出は関西から貰われていった元急行、または特急車に繋がるもので、喜寿の祝も元南海電鉄21000形車中であった。

日本車両最初のアルミカーは機器取替で多客時の重連運転の一翼となったが、他形式増備に伴い帰郷して展示されている

高野山への足として大活躍であったが、川沿いを走る姿も似合っている

元狭軌近鉄特急は名古屋線時代の面影ありだが、鈍重な姿に変わり映えは?

これぞ繁みを潜り、川辺や茶葉を掻き分け走るにばっちりの元京阪特急

吉野の桜見物、修行装姿の人達を運ぶ特急車、第2の姿に栄光あれ!

帰宅を急ぐ帰り道の人たちと蒸気機関車、撮影者はゴムぞうり持参で川床より

大井川に来たときは貨物、人混合列車の先頭車。今は後押しで力を発揮する!

川越えの次は山越えとなり日坂(にっさか)15宿となる。次は新幹線停車駅となった掛川26宿だ。この駅は新幹線だけでなく元国鉄の*****線との接続駅であった。その線が出来たのは戦時体制下、東海道本線のバイパス線であったことで知られている。車中より停車列車を目にすることがあったが、蒸気時代はC58、DCはキハ10系の待機中の姿が今も目に浮かぶ。天竜浜名湖鉄道となってからは2回に分けて全線踏破している。最初は東海道線新所原から遠州鉄道西鹿島まで、2度目は西鹿島から掛川へ、であった。共に天候に恵まれ、のんびりと車窓から沿線の営みを楽しむことが出来たことが思い出される。

突っ走る新幹線を横目に、今は田舎電車(気動車)とは?

イベントカーであったが、多客時には我を忘れて力量発揮!

続くは袋井27宿となる。ここでは電車とめぐりあえた。石松電車コト秋葉鉄道と言っていた静岡鉄道秋葉線で、1962年廃線となった。当線については以前須磨の大人が紹介してくれた。訪問できずの老人は吉川文夫さんから頂戴した2景を紹介する。

ダブルルーフでボギー台車の組み合わせ改造車

こちらの電動車、足回りが気になる。須磨さんいかが!

そして天竜川を前にして見付28宿となる。昭和3年に開通した光明電鉄の起点である。天竜川沿線の材木の運搬、地域開発を一人占めにするのが目的であったらしいが、夢破れ破産、身売り失敗で鉄道施設は各地にばらまかれたらしい。奇しくも木製車両は山を越え富山に流れ着き、半鋼製となったものが富山地方鉄道に納入された。この話を富地鉄で知ると共に半鋼製車を撮影したが、追ってご披露することにしよう。

さて天竜川を渡り到着した地が浜松29宿となる。以前発表した東北旅行の行きがけの駄賃として紹介した遠州鉄道の本拠である。

軽便電車

軽便DC、これら2種は須磨さんの領域

荷物電車(チッキ=手荷物)は小口荷物と言っていた田舎の親元と都会に出た人達の連絡便、若しくは中小企業の商品運搬便

電気機関車(買収私鉄の中古車)は貨物列車の牽引用

この時期はまだ石炭が主要エネルギー源であり、沿線工場への配達準備中の光景であると思われる。

 

 

 

 

東海道の電車を楽しむ-その4-” への1件のコメント

  1. 乙訓の老人様
    タトラとPCCとの関係はどこかで読んだか聞いたことがあります。タトラはみなさんもご存知のとおり元共産圏の各地に走っていましたが、私は老人様作成のドイツ路面電車案内地図を眺めてどこどこは行った、ここは行けなかったと想いを巡らせたものです。前回タトラのあの丸っこい姿が好きだと勝手に個人意見を申し上げましたが乗り心地もよかったのですね。ぶんしゅう旅日記さんのように路面電車乗り鉄、撮り鉄を充分やっておけばよかったのですが、駅前でのイージーな撮り鉄に終始しました。
    53次の宿場町は懐かしいです。蒲原は今でも風情があり、江尻、府中も静鉄を気にしながら歩きました。島田から大井川を渡り、大井川鉄道のカーブを見ながら金谷の急坂を越えた日坂あたりは非常に景色のいいところです。静鉄秋葉線を訪問し損なったとのことで老人様でもそういう場所があったのですね。私のようなヤング(?)は駿遠線も三島軌道線も皆行けませんでした。大井川鉄道は琴電などと同様動態保存のような存在ですが、いつまで元気に走るのか心配でもあります。ご報告有難うございました。

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