昔々のことー2 投稿日時: 2017年8月14日 投稿者: 無印不良品 1965年(昭和40年)の合宿風景です。 沼尻硫黄鉄道の川桁駅(だと思います) 関連記事: 加太会だより 保存蒸機とその現役時代(38) 札幌市電 じいじ二人が行く、新緑の四国路の旅 Part3 馬路村へ 魚梁瀬森林鉄道 3の1 新年のご挨拶
米手作市さま 左端の人物は間違いなく私です。若かりし頃人もうらやむほどフサフサしていたものでした。この合宿には強烈な思い出があります。合宿中猛烈な腹下しとなったことです。その用を先に済ますか近付く列車の写真を優先するか究極の選択に迫られたものです。下痢止めの薬を求めて地元薬局に伺いました。店主の古老の言葉が一語も理解できずパントマイムで意思疎通を図る羽目に。腹下しの恰好を演ずるとは(涙)! 返信 ↓
これは大正出版2004年5月刊行の青木栄一、三宅俊彦『軽便鉄道』の表紙を飾った写真の一連ですな。貴兄が切支丹伴天連魔術を習得され、当サイトに投稿なさる処女作品として誠にふさわしく、心より歓迎申上げ、貴兄もデジタル老人の仲間入りなされたこと、理屈抜きでお慶び申し上げまする。なお画面のコントラストをもう少し上げたほうが、余計見栄えが致しますぞ。世の中外見見栄えが全てでありまする。今後を大いに期待。頑張れジーサンズ! 返信 ↓
1965年となれば私がまだ中学生の頃、写真を拡大してよく見ると右の木のそばに炭俵がたくさん積まれていて、客車のオープンデッキには炭俵が一つ乗っかっているのが見られます。ところで荒縄で縛った少しくたびれた段ボール箱にはいったい何が入っていたのですか。想像するに液体の入った一升瓶が入っているような感じがするのですが。 返信 ↓
湯口先輩様、 鋭いご指摘、ありがとうございます。 コントラストの件は、アップ時に気になりましたが画像処理ソフトがインストールされていないためその場で対応が出来ませんでした。汗顔の至りです。 我が家にあるソフトをインストールするために後日訪問を約束しております。 ところでこの投稿欄を見ながら投稿する術が分からない“ジーサンズ”を鼓舞するために「訪問介護」をすることにしました。次のターゲットは「大阪通信員」氏だ! 返信 ↓
“デジタル難民”の救済は、デジ青の最大テーマですね。大阪通信員さんも、みごとターゲットにはまり?コメントしていただきました。何よりです。私も、もっか隣駅の老人さまのお助けを考えています。老人も環境が変わり、自分では手も足も出ない状況です。こちらも「訪問看護」してから「代理投稿」を考えています。いずれにしろ、“老老介護”、お疲れ様です。 返信 ↓
懐かしい画像ですね。磐越西線狂化合宿の一齣です。当時の合宿は撮影機会を逃さぬよう、碓氷峠や小海線のときも轢かれそうな線路際にテントを張るのが常でした。沼尻鉄道の線路の横に設営し、晩ご飯の用意をしていたら、先住民の方が通られ「ここは熊が出るよ」との一言。慌ててテントを畳み、生煮えの飯盒片手に鎮守の森へと移動したのを覚えています。 湖畔のヒマ人老も、先日の大阪梅田での米手作市介護士の受賞祝賀会で、訪問介護の執拗な勧誘を受けられたようで、スキャナーなど一式の購入契約を結ばれたようですね。クーリングオフという制度もありますよ。ネガやポジなど押入れの中を探されると思いますが、貴金属や着物の買い取りを強要されぬようお気をつけください。 当大阪通信員は、先月に後期高齢者なる医療分類に入れられ、不要不急の治療は費用対効果次第となり、機能的にもED75というところです。訪問介護の手が伸びてきそうで恐ろしいですね。 七条大宮のほかに浜大津からも、「こんなんありまっせ」と出てくるのを楽しみに 待ってまっせ! 返信 ↓
次の目標、大阪特派員様、 やはり貴兄の手が回っていたのですね。言葉巧みにヒマ人氏宅の押し入れや縁の下、屋根裏はもとより風呂の焚き口、便所のくみ取り口まで探しましたが金目のものは見つからず、肩を落として帰途についたものです。挙げ句の果ては湯口先輩から写真の品質不良のご指摘まで頂き、踏んだり蹴ったりの有様。近々画像処理ソフトを売りつける計画で捲土重来を期しておりますので妨害はなさらないように。次の目標はいい写真をたくさん持っているのに投稿方法が分からずボーッと過ごしている夕陽丘のオジサンです。このオジサンは玄関にお宝を放置していますのでかなりボケ、いや、優雅な方と拝察しております。「いいものをお持ちですね」とか「お手伝いしましょうか?」などと優しく言えばチョロイチョロイ!ではお楽しみに 返信 ↓
湖畔のヒマ人さま、
お疲れ様でした。
天野君と思った人物は63年度宮本さんではないでしょうか?まだ毛のあった頃の写真ですから見間違えたのかもしれません。
米手作市さま
左端の人物は間違いなく私です。若かりし頃人もうらやむほどフサフサしていたものでした。この合宿には強烈な思い出があります。合宿中猛烈な腹下しとなったことです。その用を先に済ますか近付く列車の写真を優先するか究極の選択に迫られたものです。下痢止めの薬を求めて地元薬局に伺いました。店主の古老の言葉が一語も理解できずパントマイムで意思疎通を図る羽目に。腹下しの恰好を演ずるとは(涙)!
宮本様、
やっぱりですねぇ
余人をごまかせても吾輩の目はごまかせない!
因みにこれは何年ですか?ヒマ人さんの記憶に違いはないでしょうか?
これは大正出版2004年5月刊行の青木栄一、三宅俊彦『軽便鉄道』の表紙を飾った写真の一連ですな。貴兄が切支丹伴天連魔術を習得され、当サイトに投稿なさる処女作品として誠にふさわしく、心より歓迎申上げ、貴兄もデジタル老人の仲間入りなされたこと、理屈抜きでお慶び申し上げまする。なお画面のコントラストをもう少し上げたほうが、余計見栄えが致しますぞ。世の中外見見栄えが全てでありまする。今後を大いに期待。頑張れジーサンズ!
1965年となれば私がまだ中学生の頃、写真を拡大してよく見ると右の木のそばに炭俵がたくさん積まれていて、客車のオープンデッキには炭俵が一つ乗っかっているのが見られます。ところで荒縄で縛った少しくたびれた段ボール箱にはいったい何が入っていたのですか。想像するに液体の入った一升瓶が入っているような感じがするのですが。
湯口先輩様、
鋭いご指摘、ありがとうございます。
コントラストの件は、アップ時に気になりましたが画像処理ソフトがインストールされていないためその場で対応が出来ませんでした。汗顔の至りです。
我が家にあるソフトをインストールするために後日訪問を約束しております。
ところでこの投稿欄を見ながら投稿する術が分からない“ジーサンズ”を鼓舞するために「訪問介護」をすることにしました。次のターゲットは「大阪通信員」氏だ!
“デジタル難民”の救済は、デジ青の最大テーマですね。大阪通信員さんも、みごとターゲットにはまり?コメントしていただきました。何よりです。私も、もっか隣駅の老人さまのお助けを考えています。老人も環境が変わり、自分では手も足も出ない状況です。こちらも「訪問看護」してから「代理投稿」を考えています。いずれにしろ、“老老介護”、お疲れ様です。
懐かしい画像ですね。磐越西線狂化合宿の一齣です。当時の合宿は撮影機会を逃さぬよう、碓氷峠や小海線のときも轢かれそうな線路際にテントを張るのが常でした。沼尻鉄道の線路の横に設営し、晩ご飯の用意をしていたら、先住民の方が通られ「ここは熊が出るよ」との一言。慌ててテントを畳み、生煮えの飯盒片手に鎮守の森へと移動したのを覚えています。
湖畔のヒマ人老も、先日の大阪梅田での米手作市介護士の受賞祝賀会で、訪問介護の執拗な勧誘を受けられたようで、スキャナーなど一式の購入契約を結ばれたようですね。クーリングオフという制度もありますよ。ネガやポジなど押入れの中を探されると思いますが、貴金属や着物の買い取りを強要されぬようお気をつけください。
当大阪通信員は、先月に後期高齢者なる医療分類に入れられ、不要不急の治療は費用対効果次第となり、機能的にもED75というところです。訪問介護の手が伸びてきそうで恐ろしいですね。
七条大宮のほかに浜大津からも、「こんなんありまっせ」と出てくるのを楽しみに
待ってまっせ!
次の目標、大阪特派員様、
やはり貴兄の手が回っていたのですね。言葉巧みにヒマ人氏宅の押し入れや縁の下、屋根裏はもとより風呂の焚き口、便所のくみ取り口まで探しましたが金目のものは見つからず、肩を落として帰途についたものです。挙げ句の果ては湯口先輩から写真の品質不良のご指摘まで頂き、踏んだり蹴ったりの有様。近々画像処理ソフトを売りつける計画で捲土重来を期しておりますので妨害はなさらないように。次の目標はいい写真をたくさん持っているのに投稿方法が分からずボーッと過ごしている夕陽丘のオジサンです。このオジサンは玄関にお宝を放置していますのでかなりボケ、いや、優雅な方と拝察しております。「いいものをお持ちですね」とか「お手伝いしましょうか?」などと優しく言えばチョロイチョロイ!ではお楽しみに